~西へ~(84)10日目⑧ 日本100名城 大阪城Ⅳ 豊國神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





南仕切門跡を通り、豊國神社が鎮座する二の丸(南)へ入りました。



南外堀に面する二の丸石垣上には江戸時代、7つの隅櫓が建てられており、
ほぼ同じ規模の櫓であったこともあり、名称は「一番櫓」から「七番櫓」
まで連番でつけられていました。

   
   重要文化財 六番櫓(ろくばんやぐら)
二の丸南側の石垣上には、2層2階でほぼ同規模の隅櫓【すみやぐら】が、東から西へ一番から七番まで建っていた。この櫓は東から六番目であることから「六番櫓」という。外側にあたる南面と西面に石落としを1カ所ずつ設け、窓は外側を中心に26、鉄砲や矢を放つための狭間【さま】を多数あけられ、外敵に備えた堅固なつくりをなしている。創建は徳川幕府による大坂城再築工事の最終段階にあたる寛永5年(1628)で、上層の破風【はふ】を飾る東西の懸魚【げぎょ】のうち、西側の懸魚の裏側に「寛永五暦辰拾月吉日」と書かれている。面積は1階が約224.16平方メートル、2階が約133.43平方メートル、高さは約15.4メートルある。 -案内板より

 

現在、大阪城二の丸(南)には「豊國神社」が鎮座しております。


豊臣秀吉公像
高さ 5.2メートル(像 3.2m 台座 2m)



 ご祭神は、
(主祭神)
豊国大明神(豊臣秀吉公)
(配祀)
豊臣秀頼公
豊臣秀長卿         で、ございます。


 社殿

  
                凄い尻尾の狛犬(社殿前)


 拝殿ない
 
 向拝と本殿の懸魚と彫刻

        

 若永神社(左)
ご祭神: 宇迦御魂神
 元淀屋辰五郎の鎮守の社であったと伝えられる。東区(現在の中央区)大川町に鎮座し同町有志の崇敬者によって奉斎されて居ったのが、御堂筋道路拡張の為、昭和二年当社の境内社として遷座した神社である。 -豊國神社公式Webより

 白玉神社(右)
ご祭神:宇迦御魂神(稲荷神)
 元白玉稲荷神社と言う。この社は中之島字山崎の鼻の藩蔵屋敷に祀られてあったが、仲仕頭の野崎喜三郎なる者が東区(現在の中央区)淡路町の自宅に移して居ったのを明治十二年に境内社として遷座し白玉神社と称した。 
-豊國神社公式Webより



 秀石庭
神社の庭園の発祥が磐座・磐境にあって石を神格化する本来の意味も含め、秀吉公のゆかりの千成瓢箪の形を地割模様とし、巨石を組み合わせ日本庭園の伝統の中に著名な蓬莱山石組を以て石山が表現されており、一段高い石舞台にも瓢箪地紋を用いて、鑑賞の場となっている。
本庭園に使用された巨石は、阿波産の緑泥片岩である。
本庭園の名命は、豊臣秀吉公の‘秀’と石山の地名の‘石’とを取ったもので、同時に巨石秀吉の豪健な庭園の意味を含めたものである。 -豊國神社公式Webより



         
            大阪城 豊國神社
              御朱印




                             つづく









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