~西へ~(24)3日目⑦ 神倉神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


                       近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


ここまで10数分程。瑞垣に設けられた鳥居をくぐります。

      
新宮市指定文化財
 神倉神社の手水鉢 
           指定年月日 平成元年(1989) 3月 25日
新宮城主第2代の水野重良(1596年~1668年)が、下野国(栃木県)那須城主の大関高増の母の延命と繁栄を祈願して寄進したものです。
「大関高増の母」は、重良の姉(妹) にあたります。
黒雲母花崗岩の巨大な石を加工して作られており、正面には、寛永8年(1631年)2月、重良が寄進したことが刻まれています。
 阿須賀神社にも同様のものが奉納されています。
   平成21年(2009)3月  新宮市教育委員会  -案内板より



瑞垣の内は、歩きやすい石畳になります。



ご神体 ゴトビキ岩と呼ばれる巨岩と社殿が見えてきました。
(「琴引岩」。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)



ゴトビキ岩の根元を支える岩(袈裟岩と言われる)の周辺には経塚が
発見されており、平安時代の経筒が多数発掘され、そのさらに下層
からは銅鐸片や滑石製模造品が出土しており、

       

神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられています。



社殿前からは、新宮市街および熊野灘が一望できました。



瑞垣から出て、ゴトビキ岩の裏へ回り込もう。

      

としましたが、立ち入り禁止となってました。

   

では、神倉山を下り、熊野三山の最後になりました「熊野那智大社」へ

           

最後の200段程は、キツイ傾斜です。 ビーサンなので、慎重に慎重に。

     


         
             熊野三山元宮
            神倉神社 御朱印



                             つづく







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