近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
伊勢国一宮を称している神社は二社あり、先程参拝にあがった
椿大神社と都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)です。


明治時代に都波岐神社・奈加等神社両社をあわせて
「都波岐奈加等神社」となりました。

ご祭神は、
都波岐神社
猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)
奈加等神社
天椹野命 (あまのくののみこと)
中筒之男命 (なかつつおのみこと) で、ございます。


由緒
当都波岐神社は、延喜式内の古社で伊勢国一之宮であります。創立は、雄略天皇二十三年三月で、猿田彦大神八世の孫、伊勢国造高雄柬命が勅を奉じて伊勢国河曲県中跡里(現鈴鹿市一ノ宮町)に二社を造営し、その一社を「都波岐神社」、また他の一社を「奈加等神社」と称したのが初まりであります。
その際、天椹野命十五世の孫中跡直広幡が宣旨を受け初代の祭主を務め、その子孫が代々神主を継承し、当代で第五十八代であります。
平安時代の初めには、弘法大師空海が本社を参籠し獅子頭二口を奉納したと伝えています。
室町時代には、征夷大将軍足利義満が富士登山の帰途本社に参拝し幣帛を供え社領を寄進したので、多くの武士が参詣したと伝えています。
戦国時代には、織田信長が、伊勢平定の軍を進め近くに神戸・高岡の二城を攻略しました。その際、本社は兵火にかかり社殿が焼失しました。幸いにも御神宝の獅子頭などは他所へ遷し難を免れることができました。
社殿は、江戸時代の初めの寛永年中に神戸城主一柳監物によって再建されました。また、肥後国の阿蘇神社及び常陸国の鹿島神宮と同じ鷹司家の執奏社として本社には大宮司職が置かれ、当地方において大きな勢力を維持しました。現在の本殿は、江戸時代末期の安政三年に造営されたものです。 -境内案内板より

コンクリート造の拝殿、幣殿、瑞垣

本殿・都波岐神社・奈加等神社の相殿 (中央)
小川薬王子社(手前)
御祭神:天宇受賣命、大穴牟遅神、少毘古名神、宇迦之御魂命、
品陀和気命、鷹司房輔公、菅原神、須佐之男命、大山津見神
神明春日社(奥)
御祭神:天照大御神、天児屋神


伊勢国一宮 奈加等神社 御朱印
都波岐神社 御朱印
御朱印を頂く為に待っていると、神職の奥様だろうか?
冷たいお茶を出してくれた。有り難く頂戴して待ちます。
同じく御朱印を待っていた方は、昔、全国の一宮を全部廻り、
定年を期に2周目の参拝を始めたと言う。大きく立派な「一之宮」
専用の御朱印帳をお持ちでした。
つづく
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