「新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所」
昭和天皇、終戦の詔書の一部であります。


昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分(米軍資料16分)、
人類史上初めて実戦において核兵器が使われました。

広島市に対して投下された「ウラン型原子爆弾」であります。

17万人もの人々がこのたった1発の爆弾により、
即死または半年以内に死亡したとされます。
その後に亡くなられた方々、今尚、後遺症に苦しんでおられる方々もおられます。


広島平和記念公園の慰霊碑には、

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」

と刻まれております。
この文章には、主語がありません。
広島市の公式見解としては、主語は「全ての人々」となっております。

「全て」ですから、世界中の生きとし生ける人々全員という事になりますが、
先の大戦・大東亜戦争にまったくの関係ない、局地に住む人々も対象になるのか?
という事は、この「全ての人々」の中に、被害を受け、今尚苦しんでいる人や
大切な方を原爆によって奪われた方々も入っているという事である。
すなわち、日本人は当然含まれているのです。

ある人は、こう言います。
「そもそも、米国と戦争を始めたのは、日本である。戦争をしなければ、原爆も
 落とされなかった。だから当然だ」
また、他の人は、こう言います。
「落としたのは米国だから、日本人が含まれるのは筋違いではないか。ましてや、
 直接被害に遭われた方々が過ちを犯したとは」

ちなみに、当事国である米国の人たちの過半数は広島原爆投下を正しいと考えて
いるのだからアメリカ人を含めるのは妥当でないという意見もあるそうです。

インド人法学者ラダ・ビノード・パール氏(極東国際軍事裁判の判事)は、
この碑文の訳を聞かされた際にこう述べております。

「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、
 まだ清められていない」

また、米国による日本国への原爆使用について、

*「広島、長崎に原爆が投ぜられたとき、どのような言い訳がされたか、
 何のために投ぜられなければならなかったか」
*「いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。
日本はすでに降伏すべき用意ができておった」
*「これを投下したところの国(米国)から、真実味のある、心からの懺悔の言葉を
いまだに聞いたことがない」
*米国側の「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため」という言い分に対して、
「その代償として、罪のないところの老人や、子供や、婦人を、あるいは一般の
 平和的生活を営む市民を幾万人、幾十万人と殺してもいいというのだろうか」

とも述べられております。

国際的な陸戦の法規慣例に関する事は「ハーグ陸戦条約」と
「ジュネーブ傷病者条約(条約)」にもとづきます。
それらの法では「非戦闘員の殺傷」「非軍事目標、無防備都市への攻撃」
「不必要に残虐な兵器の使用」「捕虜の虐待等」が厳禁されております。

この原爆投下の事実は、米国トルーマン大統領の言う、
「戦争の災禍を早く終らせる為であり、幾千万もの若きアメリカ人の生命を
 救う為である」
では、正当化(戦争犯罪には当たらないと)する理由には、不十分であることは、
明らかではないか。


もうすぐ敗戦後70年になります。
戦争体験者もご高齢になり、真実の歴史が直接語られる事も少なくなります。
敗戦の呪縛を解き放ち、戦勝国が「占領政策」として作り上げた歴史観ではなく、
正しい歴史を子供たちに語り継いでいくのは、今を生きる者の「責任」では
ないでしょうか。