いよいよ手術当日。
8時30分頃、S先生が病室にやってきた。
慣れた手つきで私の体にデザインしていく。
医療用ではなく、普通にマッキーで書いてた。
ちょうどその時、手術の付添を頼んでいた母親がやってきた。
カーテン越しに母親ですと紹介するも、まだ時間がかかると追い払われる。
胸帯のことを聞いてみた。
S先生に持ってきていた「片胸帯」を見せたら「片っぽだけだよねぇ?」と。
ん??「片胸帯」という名前のイメージだからか片方の胸しか隠れないと思ってる??
いや、両方隠れますと言ったけど、さして胸帯は重要ではないようで「使わないかもね~」
と言っていた。
結局使ってくれたんだけど、胸帯を私が持ってきてなかったらどうなっていたんだろう?と謎を残したままである。
その後看護師さんもやってきて、弾性ストッキングを履くよう指示された。
弾性ストッキングは持ってこなくて良いと言われていたけど、念の為、持ってきていた。
これもまた持ってきてなかったらどうなってたんだろ?
履かない?それとも買わされる?、もしくは貸してくれる??
Y大病院のO先生もこちらにきており、病室にきた。
S先生がデザインした体をデジカメで撮影していった。
実はタイミング悪いことにこの日に生理になってしまった。
生理になっちゃったんですケド・・・と言ったら「全然問題ないですよ~」って。
そうなんだ~、普通にパンツにナプキンで手術にのぞむ。
T字帯を持ち込んだけどこちらは不要だった。
手術は9時から。
9時ちょと前に看護師さんが呼びにきた。
今回の手術、私の不安をよそに看護師さんは「簡単な手術」という。
私的には背中も切るし、胸も切るし、胸の乳腺だけを切除した乳がんの手術よりハードなのでは・・・と思っていたのだけど。
乳がん手術時は早朝に病室で点滴をし、弾性ストッキングを履いて、病室からベッドのまま手術室へ運ばれた。
私、これがすっごく嫌だった。
まだ手術前で元気なのに寝かされて運ばれて、それに乗り物酔いしやすい私はこれで気持ち悪くなっちゃったんだよね。
術後は、点滴はもちろんのこと、尿道カテーテル、足ブルブルの装置、ドレーン、酸素マスクとがんじがらめ。
麻酔のせいで気分も悪いし最悪。
回復室で一夜を過ごした。
そして今回、看護師さんに連れられてスタスタと手術室へ。
短い手術なので尿カテも足ブルブルもやらないでしょうとのこと。
ふーん、と半信半疑な私。
手術室に入ってベッドに寝かされて点滴をさす。
まずボーーーっとする薬を入れる。
「これでもう眠っちゃうのですか?」と聞いたらこれでは眠らないとのこと。
次の薬で麻酔がかかるのでその時にまた言いますねとのことだった。
でもこれだけでも眠くなり、2本目の点滴の記憶なし。
気づいたら手術は終わっていた。
途中「桃子さん!桃子さん!」と何回か呼ばれたのは覚えてる。
手術室から病室までどうやって戻ってきたのか?
前の説明では術後3時間で動いていいので、3時間休んでから歩いて帰ってくるって言ってたような・・・?
歩いて帰ってきたのか??無理じゃね??
後に母親に聞いたら歩いてではなく、ベッドに寝かされて戻ってきたのそうだ。
この辺の記憶はあいまい。
ただただ気持ち悪かった。
手術は9時~12時40分、3時間40分。
病室に戻ってきたけど、とにかく麻酔でフラフラ。気持ち悪い。
ドレーン2個(胸と背中)と点滴、酸素マスク。
酸素マスクは乳がん手術後は息苦しかったと言っていたから付けてくれたのかも。
言われてた通り、尿カテも足のブルブルもついてなかった。
それだけで乳がんの手術後よりだいぶ楽。
でもねー、麻酔でフラフラでトイレに行きたいなと思うけどもそんな状態じゃない。
あんなに嫌がった尿カテだけど、必要なのでは・・・ってちょっと思った。
術後3時間たったら歩行可とのことでトイレに行こうとするものの、起き上っただけで貧血。
滝のような汗。
トイレはあきらめずっと横になってた。
夕方ちかくになったらちょっと回復しトイレへ。
息も絶え絶えにトイレへ行き、戻ってきたらグッタリ。はぁはぁしちゃう。
寝てればある程度は平気なんだけど起きるととたんに具合が悪くなり、夜中と翌日早朝に吐いた。
普通に夕飯を持ってこられたけど当然食べれるわけもなく・・・。
手術当日に食べれる人いるのかな?
手術後は本当につらくて、思い出したくもないって感じ。
手術した胸や背中の痛みでつらいのではなく、麻酔が抜けきらない気持ち悪さ。
手術した胸を見てみる余裕もなくひたすら横になってた。
血管が通っている脇を圧迫するのは厳禁。
寝る時は手術した左脇の下にクッションをしいたりして保護して寝る。
仰向けで寝てOK。
背中の傷も気になり、私は横向きで寝た。