百済の王で有名なのは「近肖古王」クンチョゴワン -?かと思うのですが・・・
2010年 KBS 「百済の王クンチョゴワン」 60話 がありましたし。。。
視聴率はそれほど振るわなかった?らしいですが・・・
この百済13代王クンチョコゴワン は王になってから30年間、領土を広げ続け百済の全盛期を築いた王と言われています。
また領土を広げただけではなく、漢陽に都を遷し整備をして、他 外交面でも中国(当時は晋)や日本(当時は倭国)に使者を送り関係を強化しています。
倭国の朝廷に贈った「七支刀」は、奈良、石上いそのかみ神宮に国宝と保管されているそうです~また行きたいところができましたね。
と武寧王陵の前に、有名だった百済の王を紹介しました
ですが、その後の衰退した百済をふたたび安定させたのが25代目の王「武寧王」です。
熊津に遷都した後、百済は24代の王・東城王トンソンワン 、25代の王・武寧王ムリョンワン らの努力で復興する。
公州・宋山里古墳から発見された武寧王陵とその副葬品、扶余・陵山里古墳から発見された百済金銅大香炉などから、当時の百済の隆盛ぶりが窺われる。 河出書房韓国の歴史~抜粋
は~いチケット売り場・・・ほぉ~ きた~(*^.^*) きました~
武寧王:東城王が殺害された501年に40歳で即位し、523年の62歳まで23年間の在位期間中に民生安全と百済の国力を伸ばして国際的な地位を固めるなど、内外的に大きな業績を上げ、その子 聖王の時代には百済の中興を果たした。 武寧王陵リーフレット記載
ガイドさんは10年前は、入ることができたそうです。現在は別の場所に同じような状態で展示、入ってみることができるようになっています。
発掘された時のままを再現してあります。
すごい・・・です。なんか色々移動しています。ガイドさんは盗掘されていなかったというのですが地震でもあったのでしょうか?とおっしゃってましたが・・・
足置き 頭置き・・・装飾品も・・・↑
毎日、着けていたわけではなく、祭事のときに身につけていたそうです。
ドラマではいつも身につけているのもありますよね・・・フフフ笑っちゃいます(^_^)v
すごいですね~こんな感じ?だと思われる衣装も再現できるほど、、、ボロボロでも残っていたのですかね。↓
ジャ~ン この王陵から発見された最も重要な遺物とされるもの・・・
それがこの墓誌石。墓誌石に王は523年5月7日に亡くなり、3年後の525年8月12日に王陵に安置され、王妃は526年2月12日王陵に安置した。。。と記されていた-というこの石版があることで、武寧王であることが明確になったんですよね!
武寧王が亡くなって3年後に安置-ですが、この3年間は王陵を作っていた期間でもあるそうで・・・
では・・・最後に武寧王 ムリョン ワン
本当ですか?武寧王 ・・・ 男前です~スベクヒャンおもいだしました~
「扶余プヨ・公州コンジュ 百済香りのツアー1日」は日本語ガイドさんがついて色々説明して下さって・・・専用ワゴンでしたが、ガイドさん・・・早くて
もっとゆっくり見たいのにぃ・・・と思いつつ、でもまた扶余は来よう!と思いました。
今回の旅程の記事はここまでです
お付合い下さいましてありがとうございました。o(^-^)o
後の1日は、いつものエステに行きましてボディマッサージ~ 旅の疲れを癒し・・・まつげエクステ~ ショッピングしました~
今度はいつ行きましょう?行けるかな~ いつかは釜山とか済州島へも行きたいですね!