「風の絵師」のOSTサントラをレンタルしてみました。

(強い印象はなかったのですが目にはいったので) 

 

 

聞いてみると、いい音楽でしたね音譜 

聞きながら・・・二人の天才絵師を調べてみました。

 


韓国時代劇・中

 

 二人=金弘道(キムホンド)と申潤福(シンユンボク)。

実在した二大画家ですがドラマのストーリーは切ない師弟愛を描きながら

二人の歴史に残る絵を沢山見られる作品に仕上げてあり

とても感慨深い作品だったわ・・・と、

後になって思いました。

 

 

実際ストーリーは脚本家が色んな設定と脚色で仕上げられていますが。

 

 キムホンドの庶民を描いた作品『風俗図牒』【ドラマ中にも登場させている絵】は

韓国国立中央博物館蔵。韓国国宝527号指定 (その他の作品も含め)となっている。

 

また、ユンボクの絵『女人俗帖』も同じく韓国国立中央博物館蔵(その他の作品も)。

うーん実物を見に行きたくなりました~韓国国立中央博物館!

 

 

 檀園(タンウォン)こと金弘道(キムホンド) と蕙園(ヘウォン)こと申潤福(シンユンボク)

 18世紀末 <英祖と正祖の時代> 漢城でこの二人の絵師が人気を博していた。

 

ドラマの通りに画風は対照的なものでした。

キムホンド1745年生まれ、ユンボクは1758年生まれ。13歳の歳の差ね・・・。

(別の歴史本では、ユンボクの生没年は不明というのもありましたが・・・)

 

 史実でのキムホンドは中人の家に生まれ

母方が図画署(トファソ)の画員で宮廷画家を多数輩出した家柄だった。

ゆえに幼少期より天才的な才能があったといわれている。

 

師匠にあたる姜世晃(カンセファン)曰く、「檀園(キムホンドの号)は、

幼いころから描けない絵がなかった。

人物、山水、神仙、仏画、花と果物、鳥と虫、魚と犬にいたるまで

全て絶品に該当し彼に対抗する者はいなかった」という。

 

 実際に、キムホンドは師匠カンセファンの推挙によって

20歳前に図画署の画員になり、ドラマ「イ・サン」にもあった

華城(ファソン)への行幸する様子の絵を担当している。

 

王の行列が川を渡るために

丁若鏞(チョンヤギン)が作った船橋も描いていました。 

 

-連作屏風絵『華城行幸図屏風』韓国国立古宮博物館蔵-。

 

 

 

 キムホンドは図画署の画員の最高の名誉職とされる御真画師に選ばれ

1773年英祖の御真と王世孫だった頃の正祖の肖像画を製作。

 

1781年と1791年に正祖の御真を描くなど、御真画師を3回も務めた。

 

そしてキムホンドは従六品東班職の位階を与えられた。

中人出身ながら懸監(ヒョウンガム)就任-ですが、

キムホンドは庶民の中で暮らすことを好んだ。

40代のころに描いたとされる「檀園風俗帖」は

庶民生活のあらゆる局面をテーマに取り組んでいる。

 

 

 官職を離れると絵を描くことだけに専念し、

山川画、花鳥画、人物画など数々の名作を送りだした。

 

現在は300点余りの作品が確認されているが、没年は不明。

 

 韓国相撲に興じる人々を描いた絵は、ドラマにも登場していて

ドラマでキムホンドの絵が見れるのがすごいし すばらしい!



韓国時代劇・中

 ユンボクは4代にわたる画員の家系で育ったにもかかわらず、

妓生を題材にした美人風俗画や男女の逢瀬を好んで描いた異端児。

 

その生涯の記録が殆どなく、謎のベールに包まれている。

 

ドラマ「風の絵師」や映画「美人図」ではいづれも

ユンボクは女性だったとして脚本されているのですが

史実では、男姓だとされています。

 

ただ絵のタッチが非常に繊細でミステリアスな部分が多く

女性説が囁かれたのだとか。

 

 

 ただし、朝鮮時代の画家伝である「槿域書画微」(クニョクソファジン)には

「申潤福は画員、申漢秤(シンハンピョン)の子で、号は薫園、

父と同じく図画署の画員であり、風俗画に優れていた」という記述がある。

<少しですが記録があったみたいですね>

 

 

お父さんである、申漢秤はキムホンドとともに

英祖の御真製作に参加した画員であり同僚だった。

で、ユンボクは家業を継ぐべく画員になったのだろう。。。

ところが宮廷の画員でありながら卑俗な絵を多数描いたため

図画署から追い出されたと言われています。

 

 たしかに申潤福は、父申漢秤や金弘道のように

王御真製作に関ったという史書はない。

 

それでも封建的な朝鮮時代の社会であえて

女性をテーマに選び女性の美しさやなまめかしさを大胆な色使いと

写実的なタッチで描いた申潤福が

朝鮮時代の画壇に与えた影響は非常に大きい。

 

 申潤福が登場するまで儒教の封建的な時代、

風俗画を描く絵師は誰ひとりとして存在しなかったからです。

 

朝鮮王朝時代は独特の記録があるのに、

庶民生活の実態をリアルに書いた資料が乏しく、見当たらない。

 

何故なら朝鮮王朝の身分社会では「世俗雑事を絵で表すのは、

身分の賤しい絵描きが職人の業」と見なされていたため。

 

 

だからこそ、金弘道と申潤福が遺した風俗画は

朝鮮時代の庶民の息づかいを今に伝える貴重な歴史資料だといえます。

 ※韓国の歴史 及び韓国の偉人から


韓国時代劇・中
 

音楽を聴きながら、二人を思い調べていると、

タイムスリップしていくような感じに・・・。

 

実物の絵を見にいきたいものです。

 

色々わかったところで、もう一度見てみたいですね。

「風の絵師」