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一時期は残存する全機がJR貨物オリジナル塗色になってしまった新鶴見機関区のEF65だが、ラストナンバー機である「2139」号機が全般検査を機に国鉄特急色に塗り戻された。その後、何台か全検を受けているのだが、その際の再塗装では貨物色のまま復帰していた。
ところが昨年後半、「2065」号機が全検に際し国鉄特急色に塗り戻されて復帰したのを皮切りにその後に全検を実施された「2066」号機、「2067」号機、「2068」号機と相次いで原色で出場し、その後も「2070」号機、「2074」号機が原色化されている。
そして最新の全検出場では「2101」号機も原色化された模様。
最初に原色に戻された「2139」号機はEF65の最終機番で、もともとは大阪発着の九州寝台特急の牽引機として宮原機関区に新製配置され、その後JR西日本に継承され下関運転所に配備され、やはり寝台特急牽引の任に就いていた。
その他の原色復帰機はいずれも新製時から貨物牽引機だったもので、ある意味JR貨物にしてみれば生え抜きの由緒正しき「貨物機」。赤プレートは新製時の姿ではないものの、貨物牽引機として一時期必要な改造を施された識別のためのものなので、JR貨物の機関車としては正統派の姿と言えるのだ。
そして一番最新の全検出場機「2101」号機の新製時代の配備は東京機関区。1978年当時は間違いなく国鉄の花形だった東京発着の対九州寝台特急牽引専用機として、EF65P型の置き換えのために製造された25機のEF65の1機で、その任をEF66 に譲った後も東京機関区にあって「出雲」や「瀬戸」などの牽引を担当。JR東日本に継承され、田端運転所に移管されながらも「出雲」廃止まで特急牽引機として活躍した機関車なのだ。
その「2101」号機は原色復帰に際して寝台特急牽引機時代と同じ前面クリーム色の機番プレートに復元されたと言う。国鉄時代と言うより、JR東日本田端運転所所属時代の姿に近いと言うことだろうから、運用投入が楽しみだ。
また、現在大宮の工場には「2091」号機、「2092」号機が全検のために入場しているので、これらの塗色がどうなるのかも注目だ。
前回のブログアップからもうすぐ1年がたとうとしていた。こりゃあ、いまさら誰も読んではいないだろうなぁ……。
前回の内容も「カシオペア」で、しかも撮影場所も今回と同じ東北本線栗橋〜古河間。ただ、今回はローズピンクの車体にお召し牽引時の銀挿しも鮮やかな81号機が牽引しているシーンです。
当地は通常撮影者は多くても2〜3人という場所なのですが、この日は10人以上がいてビックリ。先着者がたくさんいたのですが、なんとかローアングルで狙えるポジションを頂くことができて感謝感謝です。
ずうっと曇りベースの天候だったのですが、「カシオペア」がやってくる数分前、西側の空、雲の切れ間から太陽が顔を出し、なんとか日の当たる状態で「カシオペア」登場。緊張感たっぷりの一発切りでなんとか狙いの位置で仕留めることができました。
この台風9号は、このあと日本列島を北上する予報なので、東北から北海道が心配だ。特に北海道は先にきた11号が大雨を降らしすでに災害が発生しているので、ますます心配である。
この11号が接近する中、一昨日の『カシオペア』は予定通り上野を発ち、北を目指した。今回は北海道までは運行されず、盛岡までの運転で、旅客は新幹線に乗り換えて北海道を目指す行程だというから、台風による影響が心配だ。
↑133号機の牽引で盛岡を目指す『カシオペア』。めまぐるしく変わる天候だったが、通過時の当地は青空で日が差した
土曜日は関東地方は大気の状態が不安定で、都内は青空が見えていたかと思うと突如豪雨が降り出し、30分もしないうちにまた青空が見えてくる……といった繰り返しで、撮影に行こうかと思ったときも、今先ほどまで青空で日差しが照りつけていたものが、急に大粒の雨が降り始めあっという間に豪雨。これは撮影に出かけるどころではないかと外出を中止しようかと思ったところで再び青空が出て、なかなか困った天候だ。
雨雲レーダーで予測などを見ると、古河周辺は17時過ぎまで雨雲の発生はなさそうだとのこと。ただし18時には雨雲が発生する予測なので、何とも言えない状況。
降るなら降れ!! と意を決して出かけたわけだが、結果的にはご覧の通りでありました。
撮影後、古河駅まで歩いたのだが、古河駅に到着する直前に大粒の雨が降り出した。ギリギリだったのだ。
↑形式違いの重連というのはなかなかに趣がある。EF64同士であれば総括制御が可能だが、本務機は総括制御の機能がないEF81なので、乗務員が乗っている
上野から長岡の間はEF64が前補機に連結され、EF81との重連となる。これは上越線の清水トンネルを挟む国境の山越え区間で牽引力を補助するため。2台の電気機関車が合計4基のパンタグラフを高々と上げて走る姿は迫力がある。
ただ残念なのが、先頭を任されるEF64にヘッドマークが装着されないことだ。以前の運転時には装着されたこともあるのだが、ここ最近は非装着。まあ、いろいろと事情があるのだろう。
この後、長岡で先頭のEF64を切り離して羽越本線〜奥羽本線を走り青森を目指し、青函トンネルを越えて北海道へと足を進めるのだ。
↑小沼のほとりを走る『カシオペア紀行』。JR貨物のDF200がJR東日本の客車を牽く姿は新鮮だ
11日夜、羽田から新千歳までいっきに飛んでレンタカーをピックアップ。新千歳のレンタカー屋さんは23時まで営業しているので至極便利。市内のコンピにで軽食や飲み物を購入し道央道で釜谷を目指す。距離にして300kmチョイなので午前4時前には到着できるはず。途中のPAで多少の仮眠などを取りつつ釜谷〜渡島当別の撮影ポイントに到着。EH800が牽くE26系というのは、ちょっと違和感を覚えつつも新鮮。ちょうど上りつつある朝日を受けてオレンジに輝く姿は美しかった。
↑早朝は海霧に悩まされることが多いこの場所だが、この日はスポットライトのような朝日を浴びて主役が登場した
団体列車となった『カシオペア紀行』は以前とは異なり函館駅には乗り入れることなく、五稜郭でDF200に機関車をチェンジして札幌を目指す。それでも充分に時間の余裕があるため、大沼駅近くへ移動して待ち構えることにする。快晴だった釜谷とは一変、小沼をバックに走るこの区間は濃霧に覆われていた。
『カシオペア紀行』通過まであと30分程度。霧は少しずつだが薄くなってきて、「これは晴れる」とこの場所で撮影することを決断。結果は写真を見てのとおりで、一部青空は見えるものの、まだモヤった感じは残っており趣のある情景となった。
前回のアップは1月のことで、まだ北海道新幹線は開業ししておらず『カシオペア』が寝台特急として走っていた。その最後の活躍を見届けたら、なんか脱力してしまい、ブログからも遠ざかってしまっていたのだ。
とはいえ、別に鉄道写真をやめてしまったわけではなく、ジワリジワリと線路端に足を運んでは写真を撮っている。
6月になり団体列車として『カシオペア』が走り出した。クルーズレトレインとして高崎線〜上越線から日本海側を走り札幌までいく『カシオペアクルーズ』と、以前のルートを辿る『カシオペア紀行』があり、後者は以前とほぼ同じダイヤで走ってくれる。
ただし青函トンネルを含む海峡線区間はED79が全廃されており、この区間を走れる機関車はJR貨物のEH800のみ。また北海道内はDD51がやはり全廃されてしまったため、こちらもJR貨物の所有するDF200を借り受けての運行となる。ヘッドマークが掲出されないと言うこともあり、いまひとつ腰が重かったのだが、やはり一度は自分の目で見ておかなければとの思いが沸き立ち、急遽渡道してきた次第。
↑直前までギリギリ残っていた夕陽だったが、通過10分ほど前に西の水平線に沸き立った雲に隠されてしまった……
それにしても室蘭近郊のこの場所で上り『カシオペア紀行』を撮影すると、もうその日のうちには鉄路で帰京することは出来ないのであった。当地の通過時刻は18時37分。レンタカーを返却して東室蘭から『スーパー北斗』に乗っても、すでに東京行き『はやぶさ』はなく、ギリギリ新青森に行けるだけ。
鉄道写真を撮る旅の場合、極力鉄道で移動することを楽しみにしている私だが、これでは仕方がない……。
当地から新千歳まではクルマで1時間少々という距離。ゆっくりと撤収作業をしてレンタカーの給油などをしても余裕で羽田行き最終便に間に合う。本当は『スーパー北斗』で“ぷしゅ〜!!”、“しゅわ〜!!”、“ぷふぁ〜!!”を楽しみたいところだが、今回は帰宅までおあずけ。それでも羽田に23時半に到着し、自宅で深夜1時には“ぷふぁ〜!!”出来るのだから、鉄道よ、勝負を下りちゃそれでお終いよ……。ダイヤ改正以前であれば、『はまなす』から『はやぶさ』の乗り継ぎで帰京するのが常だったのだから。
1ヶ月前には16時を過ぎるとずいぶんと薄暗くなっていたものだが、今では天気のいい日は17時近くなってもまだ残照で明るさを感じるほどである。
廃止までのカウントダウンとなった『カシオペア』。ここ最近は田端に残された青いEF510型最後の1台、514号機がヘビーローテーションで牽引の任に就いている。ブルーの車体を残照で紅く染めて北へ向けての力走が印象的だった。
↑年間を通じてもっとも日没時刻が早くなるのがちょうど今の時期。『カシオペア』が上野を発つとすぐに日没時間となる。埼玉県内を走る時間帯は当然日没後となる
夏に『北斗星』の運行が終わり、北海道行きの寝台特急は『カシオペア』だけになったわけだが、いよいよカウントダウンである。あと3ヶ月すると、上野駅を発つ夜行列車はすべて運転を終了してしまうこととなる。こんな日が来るとは、思いもしなかった……。
↑一度は乗りたいのだが、果たして機会はあるだろうか!?
↑なんか斜めになってしまっているが、常磐線経由の寝台特急『ゆうづる』。この当時は7往復設定されており、3往復が583系電車寝台、4往復が客車による運転だった。この写真を撮影した時期はちょうど20系から24系への置き換えの時期で両形式が混在して運転されていた過渡期ならではのシーン
北へ向かう……、といえば上野駅。今では東京駅から東北新幹線『はやぶさ』に乗れば3時間少々で青森に着き、『スーパー白鳥』に乗りつげばトータル5時間少々で函館に着く。これが来年3月以降は直行で函館に行けるのだから隔世の感だ。もっとも、東京から函館に行くのなら、現実的には飛行機と言うことになろうが、私は鉄道旅行が大好きなので、仕事などで時間に限りがあるときを除けば、極力鉄道での旅をしたいと思っている。
↑おそらく23時ちょうど発の『ゆうづる6号』だったと思う。尾久から推進回送で19番線に入線してきたところ。こののち、隣の20番線に23時5分発の『ゆうづる7号』が入線してくる。20系の『ゆうづる』バックサインはほのかにピンク色だった
新幹線が開業する以前の上野駅は、今では想像もつかない活況で、早朝から深夜までホームには人があふれ、長距離列車がひっきりなしに発着していた。今ではずいぶんと規模を縮小してしまったけれど、地平ホームは13番から20番線まであり、各方面の着発列車を捌いていたのだ。
↑これは多分、早朝の上り『ゆうづる』の到着シーンだと思う……。EF80は8号機と9号機が連番で並んでいる