東北沢睦 HPはコチラ
http://higasikitazawamutumi.jimdo.com/
この日は、 7月に配布する チラシとポスターの打ち合わせ & 扇子の柄の最終確認
扇子の 東北沢睦の上に 書いてある 「 下山谷(しもざんや) 」 は、 昔の 東北沢周辺の地名
今は、駅名のみ残っている 下北沢も その当時は、地名でした。
わかりやすいHPないかなと 調べると なんと
お世話になっている 大堀不動産 大堀専務のブログに 心底詳しく、分かりやすく 書いてある^^
http://ohori.jp/blog/category/22/blogid/1 代田睦 副会長である 専務流石です。
その一部を勝手に抜粋させていただき 下山谷の乗っいる地図を
明治(1873年)頃の「大日本沿海輿地全図」から荏原郡にある下北澤村のあたりを拡大
下北澤村 や 代田村があるんですね。
大正(1916年)頃の「東京市及附近番地入地圖」から世田ヶ谷村大字下北澤周辺を拡大
下山谷が確認できます。
大正(1923年頃)の「最新模範東京市全圖」から下北沢の地名を探す 左上に
大正(1925年頃)の「大正十四年東京全図」から世田谷区の下北沢エリアを拡大
大正(1925年頃)「大東京市郊外地圖最新調査番地入交通明細(表)」から世田谷区下北沢付近を拡大
昭和(1931年)頃の「最新番地入東京郊外地圖」から世田谷区と下北沢周辺を拡大
文彰堂書店の東京近郊地図です(内容年代は昭和6年)。
昭和(1932年)頃の「東京近郊地圖 (郡分町村地番入圖)」から世田谷区の下北沢周辺を拡大
丸善好文館の郡分町村地番入東京近郊地図です(内容年代は昭和7年)
これが、最後の 「 下山谷 」の地名だったとしの地図のようです。
・昭和7年(1932年・東京市新区制大東京35区) ~東京市・世田谷区・世田谷町・北沢何町目
で、 北沢3丁目になったようですね。
大変分かりやすく、下北澤周辺の 古地図をまとている 大堀専務 流石です。
http://ohori.jp/blog/item/1793/catid/24
会社のある 代田5丁目は、 以前は 中原地区だったので お祭りの時は 中原って地名が飛び交います。
金子相談役が 自作してくださった 青年部のお揃い^^ ゴールド^^
何から何まで、ありがとうございます。 orz
まぁ、このブログで感謝しても 読んでないので伝わらない ;;
そののち、 意見交換会を
ヨガフチ子も、 2万円!!! って書いてある 赤霧島の上で アピールタイム
更に、 加藤部長代理と 「 じゅん 」 に行ったら東北沢のニューフェイス 「 じゅん 」 いn 東北沢
HAGIのマスターもいて 12f hagiファーム直送 ほうれん草のキッシュ いn 東北沢
チビッと飲んで帰りました。