お久しぶりです💦大変にご無沙汰いたしてしまいました。今日、中秋の名月ですが、唐突に?当ブログのタイトル?変更しました。1年半以上ぶりの更新ですが、今まで何故更新しなかったのか?というと、長くなってしまうのですが、簡単に?説明すると、サボっていたら、次から次へとインプットの波が押し寄せて来て、アウトプット出来ないまま流されて溺れて、沈んだまま浮かんで来れなくなってしまった?って感じですかね?とにかくいろいろありまして、すいません。途中のいろいろは、ともかく、高千穂の歴史を紐解いてる途中だったんですよね。とにかく続きの再開をどうにかしますので、よかったら、お付き合いください。それでは、明日以降、どうにか?頑張ります。よろしくお願いします。


2019年が開けた1月8日の寒い朝、高千穂神社の猪掛祭に参列しました。

ご訪問ありがとうございます。

お久しぶりです。長らく間が空いてしまいました。

よろしかったらお付き合いください。

高千穂神社では、毎年旧暦の12月3日に猪掛祭が行われます。

(高千穂神社祭神、初代神武天皇の兄神)十社大明神に退治された荒ぶる神、鬼八の魂を鎮める為に生け贄の猪を奉納するお祭りです。


祭壇?に供えられた、一頭の猪…(画像はお借りしました。)


(画像はお借りしました)

初めて、猪掛祭に参列。

高千穂町長さん?を始め、商工会の会頭さん?や町内各地区の区長さん?の皆さま方ご列席の中、一般参列者ということで、拝殿に通していただき、着席

笹振り神事の舞(地祇の舞)を奉納?する神職(画像はお借りしました)

しのべやたんぐあぁん

さありやさそふ  まあどかや

ささふり  たちばな

なんとも奇妙な不思議な響き、呪文のような歌(鬼八眠らせ歌)を(7度)唱えながら笹竹?を振る所作を繰り返し、順番に神職、参列者が奉納?していきます。(一般参列者は拝礼のみでした)


何故、このお祭りに参列したのかと言うと、

語りたくはない、口を閉ざしてしまいたい事ではあるのですが…

昨年の11月、高千穂町内のみならず、全国を震撼させたあの悲しい出来事は、何だったのか?と…

神々の里の静かな限界集落で起きた、身の毛もよだつような恐ろしい悲惨な殺戮…

何人もの尊い命が犠牲になりました。

山の神、里の神に一年の収穫の感謝と、来年の五穀豊穣を祈念する、年に一度の、平成最後の夜神楽を目前に控えた時期に…

神話の里、高千穂で何故?あのような出来事が起きたのか?

その答えが見つかるものなら見つからないだろうか?

そんな思いもあったのです。

あの出来事から想起したこと…

それは…

「鬼八」と「生け贄」のキーワードでした。

 




猪掛祭は、高千穂に伝わる有名な夜神楽の原形とされ、最も古い古代祭祀の様式を伝えていると言われます。


古来、秋の実りは、生死を分かつ、最大の懸案事項であり、特に山あいの寒村である高千穂では、初秋の霜害を回避祈念する為の農耕儀礼が代々、大切に継承されてきました。

収穫を目前に控えた初秋の霜害は、自然への畏敬の念と畏怖、同時に、十社大明神(高千穂神社祭神、初代神武天皇兄神)に撃たれた鬼八(高千穂土着の神?)の怨霊の祟りであると恐れられ、信じられていたのです。




祈り足りねば実り少なく、祈り足りれば実り豊かなり。



現代の猪掛祭では、鬼八に奉納される生け贄は、文字通り一頭の猪ですが、恐ろしいことに、450年くらい?前の天正年間の頃までは、村の処女(おとめ)が差し出されたと伝えられています。


豊臣秀吉の時代の頃まで高千穂でそんな恐ろしい慣習があったのか?と、にわかには信じがたい話しではあるのですが、時の領主の裁量?で、「処女(おとめ)を差し出すのは、あまりにもむげない(可哀相だ)」として、代わりに猪を差し出すようになったと伝えています。

飽食の時代に生きる現代の大多数の日本人にとって、ピンと来ない話しだと思いますが


秋の豊かな実りと来たる年の豊穣は、処女(おとめ)の命と引き換えにしなくてはならないほど切実な願いであり、高千穂に暮らす人々は、それほど、辛く苦しく過酷な暮らしをしていたということだと思います。




猪掛祭も夜神楽も一年の収穫の感謝と来年の五穀豊穣を祈念し神(先祖、鬼八)の魂を鎮める農耕儀礼とされます。

神の魂を鎮めるとは、すなわち先祖の供養でもあり、同時に非業の最後を遂げた先人の魂(怨霊)の供養と祟りの封じ込め(封印)の意味合いもあったのだろうと思います。

鬼八に象徴される高千穂土着の神(民)は、どのように撃たれ、殺戮されたのか…



祈り足りねば災いを成し  祈り足りれば無病息災、家内安全、心願成就?

(祈り忘るれば災いが起こる?)




今を生きる私たちに繋がれて来た命

古から伝わる先人の魂、心、祈り


十社大明神(高千穂神社祭神、初代神武天皇兄神)に撃たれた鬼八に象徴される高千穂土着の神(民)の魂、心、祈り


魂を鎮め怨霊、祟りを封じ込める為に差し出された処女(おとめ)の命、魂、心、祈り





高千穂の歴史を知る人の多くが、あの悲しい出来事の惨劇を伝え聞いて、思い起こしたのではないかと思います。





どんなに時が過ぎても、時代が変わっても、忘れてはならない事があるのだと…





時に目に見える形でハッと気付かされることがあります


この世とあの世は繋がっていないようで繋がっている…


神さまは目に見える形で指し示し、現される


そんなことをふと思ってしまうような出来事、最近見たり聞いたりする事が多くなっていませんか?






最後までお付き合いありがとうございました。


また、続きます…

あけましておめでとうございます

ずーっとご無沙汰したまま、間が空いてしまい、年を越してしまいました。

ご訪問ありがとうございます。

早速?ですが、昨年の記事から引き続き、高千穂の歴史を紐解いて行きます。


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高千穂町上野地区の鬼切畑という所(画像中央左奥の二つの峰は二上山、その左側の小高い丘は国見ヶ丘)

「鬼切畑」

凄い地名です。

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鬼切畑に伝えられている真っ二つに割れている?石

「鬼切石」

伝承によると、この地に現れた荒ぶる神、「鬼八」が十社大明神(高千穂神社祭神、初代神武天皇兄神)に一太刀、斬り付けられたものの、外れ、この石を切ったので、その時の太刀跡ということです。

「鬼切石」の由緒?(説明表示板)によると、「鬼八(走建はせたける)」は、力あるままに高千穂を領し、美女を求めて乱行するなど民を悩ましていたため退治されることになった」とありました。

鬼八は、押方の乳ヶ窟から逃れて(押方)横原(地名が具体的です)三ヶ所内ノ口、諸塚、椎葉、米良山に入り肥後(熊本)の八代を経て阿蘇谷から祖母山に至り、身を隠し、その後、押方の二上山に帰るべく、この地に現れたのだそうです。

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鬼八が自らの住処に帰ろうと目指した二上山(天孫降臨神話では皇室の祖先神ニニギノミコトが高天原より降り立った霊山として伝えられています。)

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鬼八の住処と伝えられている二上山山麓の乳ヶ窟

高千穂八十八社に数えられる聖域だそうです。

窟は、巨大な磐座のようで?その下の部分に、どこまで続いているのか未確認(だそうです)の空間(穴)がありました。

鬼切畑で負傷を負ったものの、その場を逃れた鬼八は、ついに住処を目前にした三田井神殿市の堀で撃たれ、退治されてしまいます。


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鬼八が撃たれた高千穂町三田井神殿に鎮座の高千穂神社

鬼八の住処だったと伝えられる押方や高千穂峡一帯?のアララギの里に隣接する小高い丘の上にある高千穂神社は元々、鬼八に象徴される高千穂土着の民の王?の神殿だったのではないでしょうか?

高千穂神社の鎮座地は、高千穂町内外、九州各地の古社や先史時代の遺跡、祭祀場跡、聖域との直線的配列が指摘されています。

高千穂八十八社の総社である高千穂神社の鎮座地は、各地の祭祀場や聖域との直線的配列の交点に位置していることから、太古の先史時代から日本人の祖先の信仰の重要な祭祀場だったことが伺えます。


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高千穂神社本殿脇障子の(高千穂神社祭神、十社大明神、神武天皇兄神)ミケヌノミコトと撃たれる鬼八の彫刻

撃たれた鬼八はその後、度々生き返り、民を悩ませた為、三つに切り離し、それぞれを高千穂神社周辺の三ヶ所に埋めたと伝えられています。


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鬼八の胴塚

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鬼八の手足塚

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鬼八の首塚

一度、退治された鬼八が度々生き返り、民を悩ませたとの言い伝えは、鬼八とは一人の反抗者ではなく、支配者に反抗した複数の土着の民衆だったのではないか?ということが伺えると思うのです。

高千穂で撃たれる以前の鬼八が椎葉や熊本、阿蘇などに出没?したという伝説も、鬼八に例えられる反抗者が各地に存在していたことを物語っていると思います。

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天孫降臨神話の霊峰、二上山女岳山頂展望台より望む高千穂町中心部と祖母傾山系の山々

この場所に立つと二上山の山頂と高千穂神社、天香具山山頂、天岩戸神社が一直線上に並んで位置していることが実感できます。(反対方向の二上山男岳山頂と五ヶ瀬町の祇園山山頂も同様)

(高千穂神社は阿蘇の縄文時代の巨石遺構、押し戸石の丘と宗像大社とも直線的に並んでいます。また高千穂神社を挟んだ反対方向には宮崎県日向市美々津の巨石遺構、石神山が位置しており、一直線に並んでいます)

このように壮大な祭祀場の直線的配置を可能?にした私たち日本人の祖先の太古の先史時代の信仰とは一体、どんなものだったのでしょうか?

皇室の祖先神、天孫降臨神話の聖地、日本神話のふるさと高千穂は、鬼(土着の民)を支配した支配者と支配者に反抗した鬼(土着の民)との攻防の歴史を伝える場所でもあると思います。

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高千穂出身の作家高山文彦の著書「鬼降る森」

高千穂がどんなところか?ということがよくわかるおすすめの一冊です。

神と鬼の伝説についても、「そこまで書いてもいいんですか⁉︎」というところまで書かれています。

この一冊をきっかけに高千穂のことをより深く知っていただけたら幸いです。

続きます。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。


今年もよろしくお願いいたします。