【映画】『ヒミズ』※長文注意 | 『e視点』―いともたやすく行われるえげつない書評―

【映画】『ヒミズ』※長文注意

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あらすじ



住田祐一、茶沢景子、「ふつうの未来」を夢見る15歳。
だが、そんな2人の日常は、ある“事件”をきっかけに一変。
衝動的に父親を殺してしまった住田は、そこからの人生を「オマケ人生」と名付け、世間の害悪となる、‘悪党’を殺していこうと決めた。
自らの未来を捨てることを選んだ住田に、茶沢は再び光を見せられるのか―。

感想


<今日の感想はネタバレ全開です。未見の方はご注意ください。>
<そして、いつも以上に無駄に長いうえに、ちょと冷静じゃいられなくって、すごくめんどくさい文章になっていると思います。ご注意ください。


僕は、古谷実の漫画『ヒミズ』っていう作品が本当に大好きで、映画化されると聞いたときは「嬉しい」よりも「やめてくれ」という気持ちのほうが先にたった。
(漫画原作の映画化って、ほとんどうまく行ったことない気がするので。振り返ってみても、面白かった作品って『ピンポン』くらいしか出てこない。何かあったかな。。。)

監督が園子温と聞いて、「じゃあ大丈夫かな」という安心感は出てきたものの、やっぱりどこか不安があって。
実際に見てみても、原作と比べると不満なシーンがちょこちょことあって、「やっぱり漫画原作の映画で100%満足するっていうことは難しいんだな。例え、園子温でも」なんて思い始めていた。

思い始めていたんですが。。。

映画版と原作の最も大きな違いであるあのラストシーンがとんでもなく素晴らしくて、結果的にはちょっとしばらく泣き止まないほどの大号泣をしてしまいました。

うぉぉぉぉ、がんばれぇぇぇぇぇ!!という感じですよ!!

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そんなわけで、例年であれば「今年一番」級の映画にいきなり当たってしまったとすら感じる作品、『ヒミズ』
ただ、先述のとおり、ラストシーン寸前までは「うーん。。。」と思うところも少なくない。

原作との決定的な違いの一つは、映画版が「3・11の震災後」を舞台としている点がある。
正直、作品に「震災」を取り込むことは諸刃の剣になりかねないと思っている。
震災を扱ったせいで話の本質がズレてしまったり、そもそもただの偽善でしかなかったり。
注目を引く「ネタ」であるのは間違いないが、どう考えても扱いが難しい「ネタ」だ。
でも、“いま”を舞台とした青春映画を撮るにあたって、「震災」を避けられないのもまた事実だろう。

直接の震源地にいたわけじゃなかったが、いい大人の僕にとってさえ、あの「震災」は人生を一変させるような出来事だった。
頭の片隅に「震災」はこびりついていて、何かを決断する時には、今だに影響を受けている気がする。

15歳ならば、なお大きな事件だったことだろう。
だから、15歳を主役に据えた映画を撮るなら、「震災」は外すことのできないファクターだろう。
そこから目を逸らさずに、真摯に映画を作っていることに、まずは感動した。
(原作であった、「母親なんか大地震が来たらどさくさまぎれに殺してやるって言ってるぜ」というセリフが「もう一回大震災が来たら…」に変えてるのにはちょっと笑ったけども)


ただ、そこからしばらくは、原作ファンとしては「ちょっと違うんだよな。。。」と思うシーンが続く。

まず、震災で住む家を失くした大人たちが住田のボート小屋の周りに集まっていて、ほぼホームレス化しているその大人たちが結構「いい人」なのがいただけない。
『ヒミズ』っていうのは「立派な大人の不在」っていうのが大事な要素だと思うんだけど、ホームレス化して頼りにならないとはいえ、優しい大人たちに囲まれていては住田の絶望は育たない気がする。
しかも、そのおっさんの一人が、原作では住田の同級生だった夜野正造っていのは。。。(しかもただのおっさんじゃなく渡辺哲)

さらに、学校で「君は世界に一つだけの花。夢を持つって素晴らしいんだぞ!」みたいな言葉を言う教師に対して、住田が「ボート屋なめんな。普通最高!!」と叫ぶシーンがあるんだけど、あれもまた住田っぽくない。
原作の住田なら「叫ぶ」ということはしないし、少なくとも「ボート屋舐めんな」とは思わないだろう。(原作でのセリフは「要するにだ・・・普通ナメんな!普通最高!!・・・っていうお話だ」で、テンションは低い)

まあ、この辺で気付くわけです。
キャラの設定やセリフなんかは確かに一緒だけど、この『ヒミズ』と、あの『ヒミズ』は全くの別物だと。

「愛犬家連続殺人事件」をベースに『冷たい熱帯魚』が、「東電OL殺人事件」をベースに『恋の罪』が生まれたように、あくまで、古谷実の「ヒミズ」をベースに作った園子温映画が『ヒミズ』なのだ。

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そう思うと、いろいろな箇所の改変も、まあ許容範囲かと思えてくる。

しかし、それを踏まえた上でも納得行かなかったのが、本作の最初のクライマックスでもある「父殺し」のシーン。
住田が父親を殺すシーンが、映画版ではあまりにわかりやすすぎる。
父親はあからさまに嫌なやつで、父親に腹を立てて激情で殺してしまっている。殺した後も住田は叫ぶ。

あそこはそうじゃないんだよ。

「高い崖から飛び降りたら世界が一変しているのは不思議じゃないけど、階段を一段降りただけのつもりだったのに世界が一変してしまっているからこそ恐ろしい」とでも表現したらいいだろうか。
「殺す価値も意味もない男を、“つい”殺してしまった」というところに意味があると思うんですよ!

映画版の住田の行動には共感できてしまうけど、このシーンの醍醐味はそうじゃない。
「ちょっ、、おまっ、、なんでっ・・・」と思ってしまうところに意味あるのだ。
「よくわからないからこそ、自分がそうならないとは言い切れない」というのが『ヒミズ』の怖さであり、面白さなのだ。


『ヒミズ』がヤングマガジンで連載されたのは2001年で、僕は大学1年生だった。
僕は一浪して大学に入ったのでその春までは予備校生だった。
予備校っていうのはホントに奇妙な環境で、一年の間毎日一日中「受験勉強」だけをやる。
頭を壊してしまう人も少なからずいて、僕が行ってた予備校も「2階以上の窓は開閉不可」だった。(理由はご察しください。)
4月にはオシャレで可愛かった女の子が2月にはひげが生えていたりするような環境で、「悪意」ばかりを募らせている人もたくさんいて、「いつの間にかいなくなった人」も何人もいた。

そんな予備校時代の記憶が生々しく残っているせいもあり、自分が「住田」にも、「住田が探す悪人」にも成り得ることを自覚しながら読んだ漫画が『ヒミズ』だった。


『稲中』『僕といっしょ』『グリーン・ヒル』と読んできた古谷実作品、その延長線上と勝手に思い読んでいた『ヒミズ』。
赤田(「海夫の恋」の作者でお馴染みの変な顔のヤツ)が出ていたころは、まだそれ以前の古谷作品のテイストだったけど、彼の出番が減るのと入れ替わるように、作品の湿り気が増していったのを覚えている。
そして、あの「父殺し」。
さらに古谷実作品が決定的な変化を印象づけたのが「野上」という男の登場だった。
(コンビニでバイトしてる高校生で、隣に住んでる幼なじみの女の子を脳内彼女にしていて、女装+仮面で暴れた彼)
古谷実作品初の「面白くない変なやつ」が登場したことで、「ちょっ、、えっ、、、おまっ、、、えっ、、、」と、いよいよ後戻りできないトコまで来てしまっていたことに気付く。

そういう漫画が『ヒミズ』だったんですよ!(少なくとも僕の世代にとっては)

映画版にはそういう『ヒミズ』らしさが無くて、全員の行動にどこか納得がいってしまう。
それはわかりやすくていいんだけど、安心できるお話ならば『ヒミズ』じゃないのです!

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そんな不満を覚えつつ、原作におけるラストシーン、つまり「住田の自殺」のシーンまで物語は進む。
ここで映画は終わったと思ったし、「ちょっといまいちだったな」と落ち着きかけてしまっていた。
しかし、そこからの展開が本当に素晴らしかった。

おもいっきりネタバレをしてしまうと、住田は死んでいなかった。
映画版の住田は、自首して、図々しく、「生きる」方を選ぶ。
「がんばって生きる」ことを選ぶのだ。


ここに至る演出が良かったのが、冒頭の学校のシーンで教師が言った「君は世界に一つだけの花。夢を持つって素晴らしいんだぞ!」という表現に再び帰ってくるところ。

「世界に一つだけの花」的な言葉って、確かにいい言葉なんだろうけど、どこか甘っちょろくて、それこそ「古谷実的なもの」の正反対にあるものだと思う。
(イトキンの苦悩なんか、まさに「世界に一つだけの花」にしかなれないことの苦悩だし)
実際、教師の口から語られる「世界に一つだけの花」は、どこか浅く、甘っちょろく表現されていた。

でも、確かに「世界に一つだけの花」的な言葉ってすごく優しくて、間違いなく誰かにとっての「救い」になり得る言葉なわけで。
結局「世界に一つだけの花」的なものへの抵抗感こそ、自分の中の「青さ」つまりは「甘っちょろさ」が生み出してるものなわけで。
本当は「世界に一つだけの花」っていう言葉はまぎれもない「希望」なわけで。

映画版の茶沢さんは原作以上にウザい女で(まあ、ちょっと可愛いけど。ちょっと宮崎あおいにも似てるし。ま、宮崎あおいはあんまり好きじゃないけども)、ラストシーンに至るまでの2時間、ずーーーっと「茶沢、UZEEEEEEEEE!!!」と思っていたんだけど、あそこまでうざかったからこそ、茶沢さんの「希望」が住田の「絶望」を上回ってくれたわけで。

「絶望」は決して消えないけど、それよりも大きい「希望」が照らしてくれれば、少なくとも死ぬことはない。茶沢、住田を死なせないでくれてありがとう!!
という、完全に「お前誰やねん!」という立場から大号泣させていただきました。


さらに(すみません、ホント長文になってますね)、その「茶沢」から「住田」への応援の声のバックに、再び震災の瓦礫の映像が重なるわけですよ。

あそこまでの瓦礫がまだ残っているってことは、比較的「震災直後」に近い時期に撮られた映像なんだろう。
あそこまでの瓦礫がまだ残っているってことは、あの瓦礫の下にはまだ、、、と考えざるを得ない映像だ。

そこに住田と茶沢の「がんばれぇぇぇぇぇ」の声が重なるわけですよ。
これはもう、間違いなく監督から被災地へのエールなわけで、震災と向き合うと決めた園子温監督の「優しさ」が沁みてくる演出だった。

もし震災がなかったら、映画版も原作と同じようなラストを迎えていたのかも知れない。
だけど、“いま”だからこそ「希望」の映画になったのだろう。
それが監督の想いなんだろう。素晴らしいよ!!


そんなわけで、2001年の古谷実作品『ヒミズ』と同じように、2012年の園子温作品『ヒミズ』もまた、僕にとって思い出深い重要な作品になったのでした。
原作をここまで噛み砕いて、今必要な価値として再構築した作品はおそらく過去には無く、「原作を忠実に再現する」のとは全く別のベクトルとして、「漫画の映画化」のあるべき形だと思える素晴らしい映画だったのでした。

そして、ここまで読んでくださった方がいたとしたら、長すぎてごめんなさい。そして、ありがとうございました。

今日の余談

原作と違い大人が出てくる『ヒミズ』だったが、園子温映画の同窓会ともいうべき豪華な顔ぶれだった。
渡辺哲に諏訪太朗、吹越満に神楽坂恵、黒沢あすか、でんでん、吉高由里子に西島隆弘と勢ぞろい。
相変わらず、黒沢あすかのわけわからんシーン(首吊り台の件)が面白かったり、でんでんが超怖かったりするのも懐かしい。
「おいしい唐揚いかがですか!」を彷彿とさせるシーンもあったりで、園子温映画を追いかけてる人はニヤニヤできるシーンだらけでした。

今日の余談②

住田が包丁で刺しちゃうヤンキー三人組。原作だと、物語の後半に復讐されるんだけど、映画ではそれがなかった。
でも僕はずっと気になっていて、住田と茶沢さんが走りだす最後の最後に、「うわっ、もしかしてココであいつら来るんかいな!んで、住田を殺しちゃうんやないかいな!」なんてことを考えたりもしてしまいました。
その直後、園子温監督の「優しさ」を目の当たりにした僕は、、、
「ああ、俺ってクズだな」と再確認するはめになったのでした。。。

バックナンバー(映画_作品名順のもくじ)
映画化に合わせて上下巻の新装版がでたようです。最終話の最後の数ページは連載時とコミックでは全然違っていて、僕は連載時の終わり方の方がすきだったんだけど、新装版はやっぱりコミック版のままなんだろうな。。。連載時のが読みたいっす。。。
新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス)新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス)
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小説版もあるんです。個人的には、、、まあ、、、読まなくてもいいんじゃないかな、と思いますよ。。。
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山崎 燕三,古谷 実

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