【書評】『迷宮』清水義範 ―誰か、オチの意味を解説してくれ~!― | 『e視点』―いともたやすく行われるえげつない書評―

【書評】『迷宮』清水義範 ―誰か、オチの意味を解説してくれ~!―


★★★☆☆
あらすじ

24歳のOLが、アパートで殺された。猟奇的犯行に世間は震えあがる。
この殺人をめぐる犯罪記録、週刊誌報道、手記、供述調書…
ひとりの記憶喪失の男が「治療」としてこれら様々な文書を読まされて行く。
果たして彼は記憶を取り戻せるのだろうか。
そして事件の真相は?
言葉を使えば使うほど謎が深まり、闇が濃くなる―言葉は本当に真実を伝えられるのか?!
名人級の技巧を駆使して大命題に挑む、スリリングな超異色ミステリー。

感想

久しぶりに、超技工派なミステリー。
グロテスクな描写が気に障るものの、それすら含めて文句なく巧い。


本書の特徴は、「たった一つの事件を、様々な視点から繰り返し描写する」という構成。

最近だと、湊かなえの『告白』や、東野圭吾の『悪意』なんかで使われていた構成だ。
『STEEL BALL RUN vol.17』でのD4Cの能力の表現と言った方がわかりやすい人もいるだろう。
(関連記事:【書評】『告白』湊かなえ

ただ、「告白」や「悪意」などと比べると、
様々な視点から眺めたところで、一向に真実が見えてこないのが本書の特殊な点。

本来、「視点が変わることによって、徐々に謎が溶けていく」
もしくは、「視点が変わることで、それまでの真実がひっくり返る」
というダイナミズムが、この構成の醍醐味であるはずだ。

たしかに本書でも、視点が変わることで「新しい気づき」はあるものの、
一向に謎の解決には結びつかないし、事実がひっくり返るような発見もない。
いわば、同じ所を堂々巡りさせられている感覚だけを味わうことになる。

全編を通して常に感じる「違和感」というか「不快感」に対する答えを知りたい読者は、
「退屈な堂々巡り」にイライラしながらも、ページを捲る手を止めることができない。
いわば、「退屈さ」が物語の推進力になっているわけだ。

もちろん、作中での小説家の「堂々巡り」を追体験させる表現にはなっているけれど、
「堂々巡りに対する読者の「イライラ」を、巧みに弄ぶ著者のテクニックがすごいと思わされた。


そういうわけで、かなりテクニカルな本書。
しかし、積み重ねた真実の先にたどり着いた「オチ」は、なかなか難解なものだった。
物語の構成上、「叙述トリック」的なオチを予想していたけれど、
決して「どんでん返し」とは言えない不思議な終わり方。
恥ずかしながら、「ちょっとよくわからなかった」っていうのが正直な感想だ。


それでも、書評ブログを謳っている以上、ちゃんとあのオチと向き合わねばなるまい。

<ここからは、ネタバレでもありますが、あくまで個人的な見解で、作者の意図しない受取り方をしている部分もあるはすです。てか、誰かオチの意味を教えて!>

まず、物語の序盤から予想されていた「被験者=井口克己」「治療師=中澤博久」は、おそらく事実。
「被験者=中澤博久」などがオチとなる叙述トリックを疑っていたけれど、それはないだろう。

そして、最後の2文、
私は、言葉を失ってしばらく沈黙してしまった。
しかし、十秒ほどたって、とうとうたまらず声を立てて、くっく、と笑ってしまった。

「井口克己が記憶喪失ではない」説を指摘されてのこのリアクション。
これはやはり、井口克己の記憶は戻っていたと読み取るのが妥当だろう。

もちろん、「記憶喪失と思っていた主人公が実は記憶喪失じゃなかった」というのは、
たしかに叙述トリック的で、「どんでん返し」でもあるだろう。
しかし、「ここまで技巧派な本書の「オチ」がそれ?」と思わざるをえない。

「そもそも叙述トリックではないんじゃないか?」とも考えられるが、
解説にははっきりと
しかも本書、叙述型ミステリーとしても極めて斬新で、ミステリー史にも前例がないほど画期的な作品――と言っても、決して過言ではない。

との言葉が。
やはり、見る人が見ると叙述トリックなのだ。


そうなると、現状の僕の頭では、以下の見解しか思いつかない。

「犯人の正体」「被験者(主人公)の正体」「犯人の動機」などがひっくり返ると匂わせていたが、
実は仕掛けられていたトリックは、「すべての文章に捏造がある」ということ。
その捏造は「犯人」には直接関係がなく、スランプで自分の存在価値を失いかけていた作家が、「作家としてのアイデンティティ」を捏造した。
(自分の著書の影響力を過剰に捏造した。)


どうだろう?
これが、現時点での僕の個人の見解だが、
まったくもって確信がないし、スッキリもしていない。

そういうわけで、ある程度時間を置いて、もう一度読みなおしてみたい一冊。
そして、同じくこの本を読んだ誰かと、議論してみたいと思ってしまう一冊。
いやー、まさにタイトル通り、多次元的で複雑な言葉の「迷宮」だった。

今日の余談

小説にせよ映画にせよ、冒頭っていうのは一番大事だと思っている。
映画で言うと「開始10分が面白いかどうか」が、映画全体の評価に大きな影響を与える。
人を物語に引き込むなら、早ければ早いほどいい。

そういう意味で言うと、本書には最速で引き込まれてしまった。
なんせ、1ページ目の1行目の文章に、いきなり心を掴まれてしまったのだ。

自分のことを私と称することにする。
おれや、ぼくには、年齢や正確や社会的立場などの微妙なニュアンスがこめられている気がするから。
最も無色に近い私というごを使うのが、私には妥当だろう。


なんて美しい文章なんだろう。
そして今となっては、なんて的確に物語を表現した文章なんだろう。
素晴らしい。