【 フロイス神父の 最期の様子 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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Q. フロイス神父の 最期は、どのような様子だったのですか。
 
A. 1563年、長崎県の 横瀬浦に上陸。 31歳。
   1597年7月8日、長崎の コレジョ ( 学院 ) で帰天。 65歳。
 
 ペトロ ・ ゴメス 日本副管区長が、「 1597年の年報 」 で伝えている
 「 ルイス ・ フロイスの死 」 についての 報告です。
 
● 一年位前から 片方の足が肥大し、その箇所が広がるにつれて
身体の力が 徐々に抜けているように感じていましたが、ついに、
重なる疲労と それまで耐えていた痛みに、ベッドで動くこともかなわず、夜、短い眠りさえも 取ることが出来なくなりました。
 
 これらの苦痛を、強い忍耐力と 謙遜をもって 耐えていましたので、
見舞いに来る人々には、感化と慰めを 与えていました。
 
 手は麻痺し、声も出なくなったのを感じて、生涯の最後の時が次第に
近づいたことを知り、何回も 御聖体拝領をした後、病人の秘跡を授かり、
 以前から、“ イエズス会の純粋な子どもとして 臨終を迎えるように ”
準備していましたので、留守中の会員に対しては 手紙で、
そばにいた人々には、慈愛溢れる言葉で別れを告げ、安らかに
創造主に 魂を返しました。
 私たちは皆、その生涯に感化を受け、失ったことを惜しんでおり
ます。
 
 イエズス会に入会して五十年。
 そのうち、東洋で 四十九年間。
 そして、日本では、三十四年間 を過ごしました。
 ミヤコ 及び 各地で、数々の 追放と迫害を受けました。
 人々に敬愛され 知られていましたので、彼の死は、多くの人々に
 大きな悲しみを もたらしました。