すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト ・ イエスにあって
神が あなたがたに 望んでおられることです。
( テサロニケ人への手紙 第一 5章18節 )
● 「 すべての事について、感謝しなさい。」 ━━ ということについて、見ていきましょう。
これも又、主にあって、感謝しなさい、ということですよネ。
誰に対して、感謝するのでしょうか。
勿論、主なる神さまに対してです。
● 当たり前に思っていることも、ちょっとしたハプニングや トラブルがあると、とたんに、当たり前のことではなかったんだ!
━━ と、思い知らされます。
歩けるのが 当たり前 ・ 走れるのが 当たり前 ・ 物を持つのが
当たり前 ・ 自転車に乗れるのが 当たり前 ・・・・・ だと、
私は、3年前 ( 2013年 ) の6月13日に、“ ギックリ腰 ” になるまでは、そう思っていましたよ。
3か月後の 9月10日には、今度は、妻が、足の “ 肉離れ ” を起こして 歩けなくなってしまい、
これ又、いろんなことが、当たり前では なくなりました。
近くの 整骨院で、適切な治療をしていただきましたので、回復しましたが、
体全体が だんだん固くなってきていて ・ 前かがみになってきていて ・ 背中も 丸くなりかけていて ( 皆さんは 大丈夫でしょうか? )
・ 姿勢も 悪くなってきていて ・・・・・
というわけで、その後も、普段の生活の中で、“ 体ほぐし ” のために、こまめに、柔軟体操 ・ ストレッチ体操を 続けるようにしています。
特に、大切な 肩甲骨 ━ 背骨 ━ 骨盤 ( 腰 ) に至る、体の基本と
なる軸 ( 体幹軸 ) の周りの 関節や筋肉を ほぐし、鍛えるようにしています。
「 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得、また 健康であるように 祈ります。」
( ヨハネの手紙 第三 2節 )
健康も又、天地万物の 創造主 であられる、神さまからのプレゼントであることが わかります。
神さまから いただいている “ いのち や からだ ” です。
大切にしていきましょう!
● クリスチャンは、毎日のように 「 主の祈り 」 を 祈ります。
私たちは、これまで、「 主の祈り 」 を、合計すると、
何回 祈ってきたのでしょうか。
何千回、あるいは 何万回 という風に、祈ってきていること
だろうと思います。
その 祈りの中の一つ、
「 私たちの、日ごとの糧を、今日も お与えください。」
毎日の食べ物も、当たり前だとは思わないで、
“ 今日も 与えられますように ” と祈っています。
毎食の、食事の前には、「 食前の祈り 」 をささげてから、
感謝して、いただいています。
感謝して いただくと、おいしいものが、よけいに、おいしく
いただけます。
そして又、自分たちのため だけではなく、
戦争や紛争、災害などの中で 厳しい状況にある人たちの
日ごとの糧のためにも、
そして又、クリスチャンの中にも、そのような厳しい状況の中におられる方々が たくさんおられることも覚えて、
「 必要な糧を お与えください。」 ━━ と 祈っています。
毎日、太陽が上ってくるのも、必要な雨が降るのも、
野菜や果物が育つのも
・・・・・ 私が生きていることも ・・・・・
私が 才能だと思っていることも ・・・・・
すべてが、決して、当たり前のことでは ありません。
心臓が動いていることも、呼吸していることも、吸うべき空気があることも、その 空気の中に 絶妙なバランスで 必要な酸素があることも
・・・・・ すべてが、決して、当たり前のことでは ありませんよ!
「 あなたは、何か、貰ったものでないものが あるのですか。
もし、貰ったのなら、なぜ、貰っていないかのように
誇るのですか。」
( コリント人への手紙 第一 4章7節 )
すべてのことが、天地万物の創造主であられる 神さまからの プレゼントです。
こうしたことを、しっかりと認識して、
すべての事について、主なる神さまに、感謝するのです。
● 最近、次々起こって来ている、いろんな災害や苦難については、どうなのでしょうか。
すべてのことについて感謝 とあるのですから、こうしたことについても 感謝するのでしょうか。
私たちが、自分で罪を犯し、その結果、自分で招いてしまった災いや苦しみについては、話は別ですが、
それ以外の、いろいろな災害や苦難については、どうなのでしょうか。
私たちには、避けることの出来ない災害や、患難が起こってきます。
そうした災害や患難は、私たちは、経験したくはありませんが、仕方がありません。
なぜかと言いますと、
主なる神さまは、天地万物を、そして人間を、知恵と力の限りを尽くして、
「 すべて 非常によかった 」 という状態に 創造されたのです。
天地創造の時点では、今、私たちが経験しているような、
台風や 地震 ・ 津波 ・ 竜巻 ・ 水害 などといった 自然災害は
ありませんでした。
戦争も、紛争 ・ 犯罪 ・ 病気 なども ありませんでした。
そして、死さえも、忌まわしいものは 何一つ なかったのです。
すべては、非常に よかったのです。
それが、今のような、悪や 罪や 災いがはびこるような とんでもない世界になってしまったのは、どうしてでしょうか?
最初に造られた人間 ・ アダムとエバが、主なる神さまに反逆して、原罪を犯してしまい、悪や罪を愛して、受け入れてしまった結果、
━━ このような世界、そして、このような 救われなければならない人間に なってしまったのでした。
そして、自然も又、完全ではなくなり、被造物全体が 共に
うめき、苦しむものになってしまったのです。
ですから、私たちには、避けることの出来ないこととして、
災害や患難は起こってきます。
出来ることなら、経験したくはありませんが、でも、仕方が
ありません。
原罪のせい です。神さまのせい ではありません。
しかし、そのようなことに対してさえも、主なる神さまは、
約束してくださっています。
患難が 忍耐を生み出すように、導いてくださいます。
忍耐が 練られた品性を生み出すように、導いてくださいます。
練られた品性が、希望を生み出していくように、導いてくださる
のです。
そして、そのような 私たちの経験さえも生かしてくださって、
同じような苦しみの中にいる人たちのために、用いてくださるのです。
感謝します。
「 すべての事について、主にあって、感謝しなさい。
これが、キリスト ・ イエスにあって、
神が あなたがたに 望んでおられること 」 ━━ なんですよネ!