【 髙山右近の 純粋な信仰 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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● 巡察師ヴァリニャーノ は言います。

「九州の下(しも)教区(平戸・大村・有馬・天草・長崎など) や豊後教区の領主たちは、自領の港に入る ポルトガル船に関連して、常に イエズス会から収めうる利益に着眼している。

 したがって、領主たちは、キリスト教徒であっても、常に 自領の港に ポルトガル船を入港させようとする。


 司祭たちが、彼らの希望することをしなかったり、あるいは 出来なかったりすると、彼らは 冷淡となり、動揺し、憤激し、司祭に対して当然払うべき考慮を払わず、自分たちの義務を果たさず、教会にも行かない。司祭たちは、幾度も 腹立たしい思いを経験した。

 

 したがって、キリスト教徒は、非常に弱く、彼らからは、大きい成果を挙げることが出来ない。」


● 私たちの、キリスト教との出会い方 ・ 信仰を持つようになる過程には、いろんなケースがあります。

 病気 ・ 仕事 ・ 結婚 ・ つき合い ・・・・・ 等々。


 私の場合は、大学の教養課程で、「倫理学」のレポート作成のために 初めて教会を訪ねて行って、牧師から いろいろ教えていただいたのが きっかけでした。

 いささかの利害がからんでいますが、九州地区のキリシタン領主や キリシタン達も含めて、キリスト教との出会い ・ 信仰を持つ過程において、利害 ・ 損得勘定に関係があればあるほど、その信仰は 純粋ではなくなるし、なかなか 成長していかない ━━ と言えそうです。


● 巡察師ヴァリニャーノ は言います。

「これに反して、都の教区(都・高槻・河内など) では、諸領主は、我らから 何らの利益を得ようとは考えていない。

 そのため、キリスト教徒になった場合には、はるかに優れており、その支配下にある人々も 同様である。


 この教区のキリスト教徒は、比類がないほど 優秀で 従順であり、あたうる限り、我らを援助してくれる。」


● 髙山右近 は、キリスト教との いい出会い方をしたと思います。

 ポルトガル船との関係もなく、利害 ・ 損得に支配されることなく、宣教師たちが 熱意をもって伝えていった “ 唯一の神 ・デウスの存在、永遠の生命、救世主 キリストへの信仰 ” など、キリスト教の教え そのものに感動し、応答していきました。


 その純粋な信仰 をもって、成長を続け、生涯を貫き通したのでした。

 そのような 信仰の姿が、今回の「福者」 認定 につながっていきました。


 九州の 大友フランシスコ宗麟や 大村バルトロメウ純忠も、キリシタン大名として有名ですが、戦国の世にあって 彼らの信仰は 揺れ続けましたし、髙山右近のようには、今の世界に生きる 私たちの模範となることは出来ないと思います。