胃カメラも無事に終わり次回は結果報告を聞きます。

若干指摘があり。

まあ、しょうがない。

もう逆らわないで大人しく先生の指示に従いましょう。

そう云うお年頃です。

すんなり終わる健診がいいのか?

色々と問題点を洗い出す健診がいいのか?

何かあってからでは遅いので、私も素直になります。

 

ある日の昼食

久しぶりに蕎麦にしました。

それも山芋をおろしてトロロを作ります。

トロロも美味しいですね。

 

夜は飲みます。

お茶サワー

妻は弘前シードル

コレは3種類あります。

温泉玉子🥚納豆

長崎産の鰹

最近は色んな場所からの鰹が多いですね。

東京は千葉の外房は鰹が名所。

江戸時代から江戸っ子は鰹にはうるさいんですよね!

山葵・生姜・醤油で私は楽しみます。

そして何枚かは漬けます。

冬瓜汁

ブロ友さんにも好評です。

身体に優しい。

鮎の塩焼き

秋刀魚が無かったので鮎にしました。

妻が串打ちをして焼くので、姿が良いですね。

ご馳走様でした。

 

嫌がる妻も連れて行きました。

さて、この後はまたもや閲覧注意ですが、全然怖い話は書いてありません。

勇気を出して読みましょう。

エイリアン ロムルス

あなたは観に行きましたか?

映画『エイリアン:ロムルス』の時代設定は2142年。

2122年を舞台にした第1作目『エイリアン』(1979) の20年後が舞台になっている

『 エイリアン』では、リプリーらが乗る宇宙貨物船ノストロモ号が惑星LV-426でエイリアンと遭遇。

『エイリアン』と『エイリアン2』の間の時代を舞台としている。

なるほど、時代背景もこの手の映画は必要です。

なぜなら話の時系列がありますからね。

人生の行き場を失った6人の若者たちが、足を踏み入れた宇宙ステーション“ロムルス”。
そこで彼らを待っていたのは、寄生した人間の胸を突き破り、異常な速さで進化する “エイリアン”だった。
宇宙最恐の生命体から、彼らは逃げ切ることができるのか

 

何となく、いつものエイリアンとは雰囲気が違う感じで始まります。

この辺は新鮮ですね。

兵士でもなく科学者でもない、どちらかと云うと落ちこぼれの若者達。

 

こう云う映画は映画館で見ないとです。

今回も迫力のあるIMAXで見ました。

物語は初めから面白い予感がしました。

この映画は、今までエイリアンを見たことが無い人でも楽しめそうな感じがします。

内容は書きませんが、思ったよりドッキリ感やビックリ感は私はありませんでした。

寧ろ、やはり面白い

宇宙船の内部構造とか色々な装置の雰囲気がSF的ではなくて、とてもリアルに感じられます。

遠い未来の話ではなくて、少し先の時代の雰囲気が良いですね。

 

そして映画館の楽しみのグッズは全く持って何も残っていません。

エイリアン・フアンの方にごっそりと買われたのでしょうか?

 

毎回ですがエイリアンの重要な登場人物は

アンドロイド。そして勇敢な女性。

これがいつも鍵になっています。

皆さんも是非、映画館でエイリアンを楽しんで下さい。

 

エイリアンの歴史を知りたかったらコレを読んで下さい。

 

そして以下は予備知識です。

エンジニア(プロメテウス)とは?

エイリアンの前日譚とされるプロメテウスで初登場した異星人。

2mを超える巨体と白い肌及び体毛の存在しない頭部を除けばほとんど地球人と変わりない姿をしたヒューマノイド型の種族。

地球人の創造主とされており、裏設定によれば文明を持った後も尚干渉をしていたようだが、どういうわけか地球人を見限り、滅ぼそうとするようになったという。

エイリアン一作目に登場した象のような頭部を持ったミイラ化した巨大な死体であるスペースジョッキーの正体であるとされ、象のような頭部はヘルメットであることがプロメテウス作中において判明している。

スペースジョッキー

エイリアンの起源
『エイリアン: コヴェナント』では「エイリアンは暴走したアンドロイドが新たな生命を作るべく、エンジニアと呼ばれる異星人の遺物を用いた動物実験を行った結果生まれた生物」と設定されている。
生物兵器みたいな者?

アンドロイドのデヴィッドがネオモーフ(エイリアン 右)やエンジニア達の身体を使い、様々な実験を繰り返した結果誕生したゼノモーフ(エイリアン 左)。 

エイリアンエッグから飛び出したフェイスハガーが人体に寄生体を植えつける事で誕生し、成体もほぼゼノモーフそのもの。

フェイスハガー

細部はかなり異なるが、体は皮膚を取り除いた人体標本の様である。

中秋の名月

広重ブルー。

最高ですね。

我家のサラダ・ゴーヤ

パプリカ🫑

茄子🍆

バジル🌿

内藤とうがらし🌶️

大葉

今まで暑過ぎたせいか?今になって野菜が元気を取り戻しました。

昼食🍜

支那そばや

熱海のお土産

本物は食べた事はありませんが、コレは美味しいです。

明日は胃の内視鏡があります。

人生2度目の胃の内視鏡。

夕飯も早めに食べて明日に備えます。

満月🌕が上がって来ました。

夕飯🍽️

大人風ポテトサラダ🥗

紅ズワイガニ🦀の蟹肉

冷やし中華

夕飯は8時までに食べて明日に備えます。

タップリの具材の冷やし中華

美味しいです。

ご馳走様です。

十五夜の月🌕

今年は暑いですが、綺麗に見られました。

ある日の夕飯🍽️ 

今日は妻はランチ会なので夜は弁当を私が準備しました。

弁当 by ライフ

だし巻き玉子焼鳥弁当

ツマミになる弁当です。

おろしソースのヒレカツ丼 

若干、ソースの味が濃いですが、キャベツ増量で食べると良いかも。

 

芋焼酎ハイボール

真鱈の真子

煮付けて頂きます。 

国産鰻の肝

妻のお土産。

やはり鰻肝は美味しい。

妻のとうもろこし🌽

今回も甘い。

しじみ汁とトロロ昆布

これも美味しいですね。

ご馳走様でした。 

先日は私は健診💉🩸

妻はゴルフ⛳️です。

血圧など少し難ありでしたが、普段は結構良くなっています。想定内です。

暑い中、歩いて行ったのがダメだったかな。

昨夜のお月様
 

夕飯🍽️は中華のテイクアウトにしました

3品とも一人前とは思えない量で、妻は2人前だと思っていました。

我家の胡瓜🥒

元気楼飯店

ブロ友さんにも人気の高い大陸系町中華 

車海老の海老チリソース

大きな車海老が4尾入っています。

芝海老とは違う迫力がありますね。

身を楽しみ頭は齧ります。

牛肉の青椒肉絲

いつもは豚肉ですが、今回は牛肉を選びました。

ご飯も🍚、酒も進みます。

蟹肉チャーハン

今回は味付けもサッぱりまた美味しい。

海老チリソースをチャーハンに乗せて、蟹🦀と海老🦐のコラボでしょうか?

最後のツマミはピータン丸ごと。

ご馳走様でした。

お腹も心も満足、満足。

この味で、この量で3千円。

コチラも満足でした。

 

なんだか寂しそう。

悩みごとか?

それとも哀愁に浸っているのか?

多分、腹が減ったんじゃないのかな。

ある日の夕飯🍽️ 

芋焼酎のハイボール

しじみ汁 

妻は美味しい奴 

バタービールジョッキで頂きます。

牛コロッケ 

牛カルビ弁当 

500円の特売日に買います。

ヒイカ

関東では「小イカ」、「ひいか」とされているが、ヤリイカやケンサキイカの幼イカと比べると安くて手頃。ジンドウイカ属のなかではいちばん北に生息域を持つ。

グツグツグツと煮付けます。

白ワインとにんにくとオリーブオイルと塩胡椒、ブイヨンで味付け。 

美味しい烏賊🦑料理の完成です。

お肉が苦手なあなたはコチラですよ。

スープはお約束のリゾット

勿論、作ります。

ブロ友さんが大好きな一品が出来上がりました。

お店にも負けない味ですよ。

これはたまりません。

食べたくなりましたか?

ご馳走様です。

休肝日前の食事🍽️ 

ランチの焼きそば

野菜がタップリのマルちゃん焼きそば

上海焼きそばが売っていないのでこれを買いましたが、とてもシンプルな味。

お茶ハイ 

伊右衛門が美味しいお茶サワー

とうもろこし🌽 

甘いです。今年のとうもろこし🌽は甘い

生キクラゲと海老の玉子炒め

ふわふわの玉子は出来立てじゃないと味わえないですね。

鯵の干物

我家は面倒なので焼き立ての身を捌いて食べます。捌き係は勿論私です。

セブンのナポリタン

シンプルなナポリタンを食べてみたくて買いました。

このシンプルさがいいですね。

美味しいです。

 

休肝日の夕飯🍽️ 

お茶🍵

お酒ではありません。

生姜揚げ

生姜の爽やかさが夏場に合います。

とうもろこし🌽(妻の主食?)

そして夜もとうもろこし。こちらは私のツマミ

お弁当byライフ

旨辛 回鍋肉丼 498円

今回初めて買いました。

安いですが味も本格的で美味しいです。

これはまた買います。

デミグラスソースのオムライス 390円

こちらは妻が頂きましたが美味しいです。

また買います。

コンビニより手作り感がいいですね。

こちらも昼からの販売になります。

椎茸とほうれん草汁

妻が作りました。サッパリ美味しい。

ご馳走様でした。

今日は休肝日ではありません。

温泉卵納豆

冬瓜汁

甘海老(兵庫産)

甘海老好きにはたまりません。

甘いです。美味しいです。大人食いです。

芋焼酎の強炭酸割

安い小肌 500円

試しに買ってみました。

値段の割には美味しいですね。

鮨屋や魚屋の小肌には及びませんが、まあまあ美味しい。

アワビの煮付

本鮪の赤身

赤身と云っても中トロに近い味わいです。

養殖物の鮪は脂が乗っているので、良いような悪いような。

でも美味しいのと、安いので重宝します。

ご飯が欲しくなりますね。

最近ニュースで熊の出現の話題が多いです

 

熊なんて昔から住んでいたのに今更、なぜ話題になったのか?

SNS等の情報が多いから話題になったのか?

熊に何かあったのか?

先日も、恐山で「ツキノワグマ出現!」の掲示板。正直、怖い!

以前は気軽に山道など散策や散歩を普通に皆さん楽しんでいたと思いますが、熊事件でそれも怖くなりますね。

山に山菜なんか獲りに行けません。元々行きませんが。

東京にも熊は居るの?

多摩地域(奥多摩町、檜原村、あきる野市、青梅市、八王子市、日の出町)の森林 

10月には町田市での目撃例が報告されている。

私は多摩には行きませんが

 

しかし、今年も秋にはわたし北陸に熊調査(🦀動機🦀が不純?)に出かけるつもりです。

 

ある日の夕飯🍽️

夏場はどうしてもサワー系が欲しくなります。

さしみ巻きゆば

ブロ友さんにも人気の一品です。

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北海道のつぶ貝

塩茹でして美味しく頂きます。

千葉県産のハマグリ

もう定番の美味しさです。

芋焼酎にチェンジ

海老胡瓜

浅草の金太郎寿司で有名です。

保存食のレトルトのカレーとハヤシ合い乗せ

どっちがどっちだか分からない色合い

杏仁豆腐

結構美味しかった杏仁豆腐でした。

ご馳走様です。

 

またある日の夕飯🍽️

胡瓜🥒の収穫

小さくても収穫出来ると嬉しい。

お茶サワー

仁右衛門が美味しい

丸武の玉子焼

やはり丸武は美味しいです。

ももハム

ももステーキ

ももステーキ 季節の野菜を添えて

たまにはこんなステーキも美味しいです。

シンプルに塩胡椒がいいですね。

真鱈の真子の煮付

小さめの真子がキメが細かくて美味しい。

しじみ汁

鱈の真子のおじや

〆はこれですね。

真夏の熱々おじやがまた旨い。

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田中達也展

早くも懐かしくなりました。

砂町銀座商店街にある「GOFUKU」

かき氷と焼きそばの専門店。

かき氷は主に、かき氷専門店で働いていた奥様。

焼きそばはご主人が担当しているらしい

砂町銀座 (明治通り側 入口徒歩2分)

《焼きそば》と《かき氷》専門店 

営業時間

11:00〜18:00 (LO17:30)季節により時間変更有り 

定休日 不定休 SNS店頭掲示板にて 月末に翌月お休み お知らせ致します。

03-6458-7290

千駄木のかき氷の名店「ひみつ堂」で修行された奥様

私もひみつ堂には行った事があります。

ここもかなり、いや物凄く混んでいました。

今はかき氷以外は提供していません。

店内は6席

カウンター4席、2人掛けテーブル:1卓

混んでたら結構待つかもですが、我々は開店前に並びました。

単独の男性客が2人もいました。

男性も好きなのね。

🍈青肉メロンみるく

私のチョイスです。

氷の中にもメロンが隠れていました。

 

GUFUKUの梅みるく 一推し

妻のチョイス

ひと夏に一度は行きたいお店ですね。

 

そして夕飯🍽️

サラダゴーヤのポテトサラダ

自家製サラダゴーヤです。 

さしみ湯葉巻き 

キャベツの糠漬け

北寄貝のカルパッチョ

豚の生姜焼き 

豚ロースの生姜焼きは美味しい。 

キャベツも追加して増量しました。

意外に美味しいフランス産のカマンベール・チーズ。

やはりチーズは外国産が美味しいかな?

ご馳走様でした。

オヤツより

こっちを向いてよ

お願いだ!

柴犬が好きな闘病中の貴女へ

毎月10日はジェフベック先生の月命日なので、先生の関連記事を載せています。

 

ボビー・テンチはより良い世界へ旅立った

過小評価されていたブリティッシュ・ロックの巨人ボビー・テンチが79歳で亡くなりました。

ジェフ・ベックのアルバムの中でも第二期が大好きな人は多いハズです。

彼は正にその中にいました。

私もJBG以外はHumming birdやハンブルバイ、リンダ・ルイスぐらいしか知らなかったのですが、改めて調べたら色々と活動していたのを知りました。

ロバート・テンチ Robert Tench 

1944年9月21日 - 2024年2月19日

イギリスのボーカリスト、ギタリスト、サイドマンソングライター、編曲家。

テンチは、フレディ・キングやヴァン・モリソンとの仕事で最もよく知られているほか、ジェフ・ベック・グループ、ハンブル・パイ、ストリートウォーカーズ、

ヴァン・モリソン・バンドのメンバーでもある。

彼は、ハミングバードおよびガスにも創設メンバーとして関わっています。

 

キャリアの初めに、彼はジェフ・ベック・グループに参加する前にザ・ガスで演奏及び録音し、ゴンザレスとも共演しました。

彼はジンジャー・ベイカーとレコーディングした後ボーカリストとしてベック・ボガート&アピスとツアーし、リンダ・ルイスとセッションをレコーディングしました。

ウェイラー・ジュニア・マービンやブルースギタリストのフレディ・キングとの交流も続きました。

 

テンチはA&Mレコードと契約してハミングバードを結成し、後にロジャー・チャップマンとチャーリー・ホイットニーとともにストリートウォーカーズに加わった。

この期間中、彼はボクサーやウィドウメイカーと短期間交流を持ち、ヴァン・モリソンと仕事をする前にそれぞれのアルバム曲をレコーディングした。

モリソンとの契約が終了すると、彼はアクシス・ポイントでもあるエリック・バードンとの仕事とレコーディングに移り、その後スティーヴ・マリオットが彼をハンブル・パイの新しいラインナップに正式バンド・メンバーとして加えた。

テンチは 2024 年 2 月に 79 歳で亡くなりました

 

ジェフ・ベック・グループ(JBG)

1971年、ジェフ・ベック・グループで演奏するテンチ

テンチは1971年5月末に移籍しジェフ・ベック・グループのメンバーとなった。

ジェフ・ベックは、ジェフ・ベック・グループを再結成し、1971年6月にCBSとレコード契約を結んでいた。アレックス・リガートウッド(後サンタナのリードボーカル)によるボーカルはレコード会社の上司によって予期せず拒否され、ベックは代わりの歌手を探すことを余儀なくされた。

ロンドン・ソーホーにあるロニー・スコットのクラブでテンチがガスと共演した

「アップステアーズ」を聴いたベックは、彼を後任のボーカリストとして採用した。Chris Hjort と Doug Hinman は、

ベックに関する本の中で、この関連性と状況について言及しています。

彼は『ラフ・アンド・レディ』 (1971年)にヴォーカルを加えるのにほんの短い時間しか与えられなかったが、その後、

ベックとドラマーのコージー・パウエル

ベーシストのクライブ・チャマン、キーボードのマックス・ミドルトンによってロンドンで以前に録音されたトラックでミキシングが再開された。

 

このアルバムがヨーロッパでリリースされ、彼らはフィンランド、オランダ、スイス、ドイツをツアーした。

『ラフ・アンド・レディ』は8か月後に米国でリリースされ、その後16日間のプロモーション・ツアーが行われた。

このアルバムは最終的に米国アルバムチャートで46位に達しました。

Jeff Beck Group -Situation

Vocal: Bob Tench Mastering Engineer: Jack Ashkinazy Drums: Cozy Powell Piano: Max Middleton Bass: Clive Chaman

1972年1月、ジェフ・ベック・グループは渡米し、テネシー州メンフィスのTMIスタジオでスティーブ・クロッパーをプロデューサーに迎えてアルバム『ジェフ・ベック・グループ』(1972年)をレコーディングした。

続くプロモーションツアーにはBBCのインコンサートシリーズへの出演が含まれており、その録音は1972年6月29日にロンドンのパリ劇場で行われた。

このセッション中、テンチのギター演奏は「ディフィニテリー・メイビー」でフィーチャーされ 、彼がベックと関係を持っていた中では珍しい機会となった。

 

1972年7月24日

第2次ジェフ・ベック・グループは正式に解散し、ベックの経営陣は次の声明を発表した。

「さまざまなメンバーの音楽スタイルの融合は、個々のミュージシャンの条件の範囲内では成功しているが、彼らはそれが成功につながったとは感じていなかった」彼らが本来求めていた強さを持った新しい音楽スタイルの創造に向けて。」

Jeff Beck Group 

Tonight I'll be Staying Here With You

Jeff Beck Group

Going Down

Got The Feeling

New Ways/Train Train 

Highways  JEFF BECK GROUP

 

ジンジャー・ベイカー、BBA、フレディ・キング、ジェフ・ベックと再会

1971年、テンチはクリームのドラマー、ジンジャー・ベイカーとギターを演奏し、スタジオ・セッションが録音され、 1972年7月にアルバム『ストラタヴァリアス』でリリースされた。

彼はボビー・ガスという変名でクレジットされ、アフロ・ビートの革新者フェラ・ランサムと共演した

 

彼は1972年の夏にジェフ・ベックと再会した。

当時ベックはベーシストのティム・ボガートとドラマーのカーマイン・アピスとコラボレーションしており、彼らは1972年8月1日からジェフ・ベック・グループと銘打って全米ツアーを始めていた。

テンチは、8月8日にシカゴで行われたアリー・クラウンのコンサート後に脱退したボーカリストのキム・ミルフォードの後任としてイギリスから呼び出された。

ツアーは1972年8月19日にシアトルのパラマウント・シアターで終了し、テンチはパワー・トリオ、ベック・ボガート&アピスの結成に至るまで

ジェフ・ベックとの関係を解消した。

 

テンチはブルース・ロック・ギタリストのフレディ・キングとレコード・プロデューサーのマイク・ヴァーノンとともにレコーディングした。

彼はキングの2枚のアルバム『バーグラー』 (1974年)と『ラージャー・ザン・ライフ』 (1975年)にクレジットされている。キングは1976年12月29日に心臓発作により42歳で死去し、数か月後にはテンチが『バーグラー』に参加した楽曲を収録したコンピレーションアルバム『フレディ・キング 1934-1976 』がリリースされた。

Only Getting Second Best · Freddie King · Brian Auger · Steve Ferrone · Bobby Tench

 

リンダ・ルイスとジュニア・マービンのハンソン

Fathoms Deep · Linda Lewis Reach For The Truth: Best Of The Reprise Years 1971-1974 ℗ 1973 Reprise Records 

Guitar: BobTench 

Saxophone: Chris Mercer 

Bass: Clive Chaman 

Drums: Conrad Isadore 

Bass: Danny Thompson 

Vocals: Domino 

Guitar, Vocals: Jim Cregan 

Percussion: Larry Steele 

Guitar, Vocals: Linda Lewis 

Guitar: Lowell George 

Keyboards: Max Middleton 

Saxophone: Mick Eve 

Bass: Phil Chen Flute, 

Drums: Richard Bailey 

Guitar: Robert Ahwry 

テンチはリンダ・ルイスのアルバム

「ファゾムズ・ディープ」 (1973年)にギタリストとして参加し、英国シングル・チャートで「ロック・ア・ドゥードル・ドゥ」でトップ20の成功を収めた。

彼は元ジェフ・ベック・グループのキーボード奏者マックス・ミドルトン、ベーシストのフィル・チェン、そしてアルバムのプロデュースも務めたギタリストのジム・クレガンとともに出演した。

オールミュージックのファゾムズ・ディープのレビューで、エイミー・ハンソンは次のように書いている。

「ジム・クレガンと並んで、R&Bマスターのボビー・テンチ、マックス・ミドルトン、ダニー・トンプソン、ロッカーのフィリップ・チェンらをフィーチャーしたバーチャル・スーパーグループが率いるファゾムズ・ディープは真のシンガーソングライターのアルバム、上品でタイト。」

1973年2月、彼はジュニア・マーヴィンと一緒にスタジオに入ったが、マーヴィンはその3年前にガスのアルバム『ジュジュ』にテンチと一緒に出演していた(ジュニア・カーとしてクレジットされている)マービンは以前に「ハンソン」を結成していた。

 

A&Mレコード

ハミングバード、ストリートウォーカーズ

テンチは1973年にA&Mと契約し、その後ロックとソウルのフュージョンバンド、ハミングバードを結成した 。そのラインナップには第2ジェフ・ベック・グループのメンバー、セカンド・ギタリストのバーニー・ホランド、ドラマーのコンラッド・イシドールが含まれていた。

彼らは1975年にサミー・サムウェルがプロデュースした3枚のアルバムのうちの最初の『ハミングバード』を録音した。

ジェフ・ベックはバンドと一緒にいくつかの曲を録音したがリリースされず、マーキー・クラブでライブ出演もした。

 

1975 年 4 月に彼はストリートウォーカーズのメンバーになりました。彼はすでにチャップマンとホイットニーの流動的なラインナップの一部であり、

「チャップマン・ホイットニー・ストリートウォーカーズ」のメンバーとして演奏し 、前年にはロンドンのハイド・パークなどでのコンサートにツアー・バンドとともに出演した。,

彼は1975年3月にロックパラストを含むバンドとともにテレビ出演もしたテンチとストリートウォーカーズは1975年の初めにファーストアルバム『ダウンタウン・フライヤーズ』をレコーディングし、同年10月にヨーロッパとアメリカでリリースされた。その後、彼らはセカンド アルバム、グルーヴ感あふれるレッド カード(1976 年) を録音し、これが彼らの最も尊敬されるアルバムとなりました。

1976年6月8日、彼はストリートウォーカーズとともにBBCラジオ1の ピール・セッションに出演し、1977年3月14日にはジョン・ピール・セッションで再び演奏した 。

Hummingbird - Maybe

テンチはハミングバードとセカンド・アルバム『We Can't Go On Meeting Like This』をレコーディングし、1976年にリリースされ、ドラマーのバーナード・"プリティ"・パーディをフィーチャーした2枚のアルバムのうちの最初のものとなった。

テンチはこの時期、モット・ザ・フープルとスプーキー・トゥースのギタリスト、ルーサー・グロブナーのバンド、ウィドウメーカーともレコーディングを行ったが、このバンドは1975年に結成され、潜在的なスーパーグループとみなされていた。

バンドのファースト・アルバムにはギターとボーカルを提供した。 

Hummingbird - We Can't Go On Meeting Like This (1976)

 

1975年に録音されたWidowmaker (1976)

1976年、テンチは同じく1975年にマイク・パトーとオリー・ハルソールによって結成されたバンド、ボクサーのブラッドレッティングにも参加した。

 

1977年4月19日、ストリートウォーカーズは最後にロックパラストに出演し、この公演のセットにはテンチがギターを弾いて「ラン・フォー・カバー」などの曲を歌うことが含まれていた。ストリートウォーカーズは3枚目にして最後のスタジオ・アルバム『ヴィシャス・バット・フェア』(1977年)をテンチとともにレコーディングし、テンチはバンド解散前の最後のリリース『ライヴ・ストリートウォーカーズ』(1977年)にも参加した。

テンチとハミングバードの最後のアルバム『ダイアモンド・ナイツ』は同年にリリースされた。

Diamond Nights - 01 - Got My Led Boots On

 

ヴァン・モリソンと「波長」

ヴァン・モリソンは1978年3月、アルバム『波長』をレコーディングするためにテンチをリードギタリスト兼ボーカリストとして新しいバンドのラインナップに加えた。

Wavelength (Remastered) ·

Van Morrison

 

エリック・バードンとハンブル・パイ

1978年5月、テンチはエリック・バードンに加わり、アイルランド・リークス州のラウンドウッド・ハウスでアルバム『ダークネス Darkness』をレコーディングした。

アルバムはほぼ2年後にリリースされました。このアルバムはロニー・レーンのモバイル・スタジオを使用してレコーディングされ、シン・リジィのギタリスト、ブライアン・ロバートソン、ウィングスを脱退したばかりのヘンリー・マッカロウ、トラフィックのミック・ウィーバーも参加したラインナップとなっている。

 

Steve Marriott - guitar, keyboards, harmonica, vocals 

Jerry Shirley - drums 

Bob Tench - guitar, vocals 

Andrew "Sooty" Jones - bass, vocals

 

テンチは1980年にハンブル・パイに参加

ラインナップには、創設メンバー、ギタリスト兼ボーカリストのスティーブ・マリオット、オリジナル・ドラマーのジェリー・シャーリー、アメリカ人ベーシストのアンソニー・"スーティ"・ジョーンズが含まれていた。

彼らは、マリオットが以前にシャーリーと書いた「Fool For a Pretty Face」を録音してレコード会社に提出した。この曲は米国のアトランティック子会社アトコと英国のドン・アーデンのジェット・レコードとのレコーディング契約を獲得し、テンチは彼らに残り、『オン・トゥ・ヴィクトリー』(1980年)をレコーディングし、ビルボード200アルバム・チャートで60位に達した。

バンドはこのアルバムのリリース後にツアーを行ったツアー中、当初予定されていたバンドの出演が延期され、その後マリオットが体調を崩したため、以降のツアー日程はすべてキャンセルとなった。その後間もなく、ハンブル・パイは解散した。

 

テンチは1982年にサム・クックへのトリビュートとして「チェイン・ギャング」を録音し、ドイツのレーベル・ライン・レコードからシングルとしてリリースされた。

 

その他

彼は同年1月4日に亡くなったフィル・ライノットへの追悼として、スティフ・レコードに「スティル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」(1986年)のカバーのボーカルを録音した 

この曲は同年後半にStiffレーベルからシングルとしてリリースされ、ブライアン・ロバートソンがギター・パートを提供した。

B面の「Heart Out Of Love」はジェレミー・バードとテンチの共作である。

1993年、テンチはシン・リジーのオリジナル・ドラマーであるブライアン・ダウニー、元ギタリストのブライアン・ロバートソン、同じくドイッシュ・ネーグル、そしてベーシストのドー・ブルッキーをフィーチャーしたシン・リジー・バンドでリード・ボーカルを歌った。バンドはアイルランドで短いツアーを行った。

 

1995年、彼はピーター・グリーンへのトリビュートであるRattlesnake Guitar (1995年)にギターとボーカルを提供した。

Paul Jones / Bobby Tench / Max Middleton - Albatross [Peter Green]

彼は「Whatcha Gonna Do」という曲でポール・ジョーンズとマックス・ミドルトンに、「 Albatross 」という曲ではズート・マネーに参加し、アルバムは同年10月にリリースされた。

テンチは尊敬されるミュージシャンであり、オールミュージックのマーク・デミングは彼の伝記の中で、彼は「イギリスのロック界で最も偉大で最も尊敬されている名前の何人かと仕事をしてきた才能あるシンガー兼ギタリスト」であると述べている。

クリス・ヨートとダグ・ヒンマンは著書『ジェフ・ベックのキャリア年表 1965–1980』の中で「テンチは熟練したギタリストである」と言及しており、エイミー・ハンソンはリンダ・ルイスのアルバム『ファゾムズ・ディープ』のレビューで彼を次のように評している。 「R&Bマスター」。

著者のマーティン・パワーは、テンチがジェフ・ベック・グループに加わったことについて書いた際、「彼は一流の歌手だった」と言及している。ジェフ・ベック・グループのアルバム『ラフ・アンド・レディ』のオリジナル・リリースについて、ローリング・ストーン誌のスティーヴン・デイヴィスは「その後、(トラックの)シチュエーションと、ショート・ビジネスという端正なロッカーが登場する。ボーカリストのテンチは、両方で勇敢な仕事をしている」と書いた。」

 

ハミングバードというバンドのアルバム『このままでは会えない』についての記事を特集したビート出版物は、テンチの声が「驚くべきパワーと音域を最大限に発揮していた」と述べた 。

リードギターを演奏しており、音楽雑誌グラモフォンは「ハミングバードのメンバーは英国のセッション・ミュージシャンの精鋭であり、あらゆる知的レベルでロックを演奏することに他の誰よりも慣れている」と評した。

2008年、ダグ・コレットはオンライン雑誌allabout jazz.comでヴァン・モリソンのリマスター版『Wavelength』アルバム(2008年)をレビューし、タイトル曲でのテンチのギター・ソロに言及し、「彼の素早いフィンガー・ギター・ソロに歌う喜びをすべて吹き込んだ」と述べた。 

 

その後、rocktrain.netは同じ録音でのテンチのギター・ソロについてもコメントし、「特に注目すべきは、ボビー・テンチの熱くて楽しいリード・ギターだ。曲中盤の彼の簡潔なソロは気分を高揚させ、あらゆる方向に音を曲げている」と述べた。

フラン・レスリーは、ブルース・イン・ブリテン誌の2009年9月号にテンチについての編集特集を書き、その序文で「私たちのカバー・アーティストのボビー・テンチは、非常に多くの人々と演奏し、レコーディングしてきたミュージシャンであり、彼の伝記はまるでそのようなものである」と書いています。彼女はまた、彼が著名な歌手であり、恐るべきギタリストであるとも述べた。

 

2012年のBackstage Axxessのトム・ジェニングスとのインタビューで、ジョー・ボナマッサはボーカルに影響を与えた人物としてテンチについて言及した。その後、プラネット・ロック誌の2018年のインタビューでボナマッサはテンチのボーカルスキルについて言及し、彼は「1970年代で最高の声の一人だった」と述べた。

カーマイン・アピス(ヴァニラ・ファッジのドラマー)は2016年の自伝『スティック・イット』の中で、テンチは「ヴォーカルに本当にクールでザラザラしたエッジを持ったキラーソウルフルなシンガー」だったと述べている。

 

R.I.P. Bobby Tench: British musician Bobby 'Bob' Tench has Dead at 79