『安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること』への反論① | 安楽死制度と死ぬ権利(金田一のブログ)

安楽死制度と死ぬ権利(金田一のブログ)

「生きる権利もあれば死ぬ権利もある」
死ぬことを進めるつもりは全くないですが、
どんな人でも安楽死のできる制度を求めていきます。

http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://webronza.asahi.com/synodos/2012100100002.html&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E5%AE%89%E6%A5%BD%E6%AD%BB+%E3%81%8A%E3%81%9E%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%84
ヨーロッパやアメリカで推進される安楽死を強く批判したこの記事。


この記事に対してはすでに批判がなされています。

承認欲求が生命倫理への思考を停止させる

http://www.anlyznews.com/2012/11/blog-post.html


であれば、私が批判する余地など無いはずなのですが、

素人目で見てもどうもおかしい点がいくつもあるので、そこを書いていきます。



①具体性を欠いている

「おぞましい」、「コワい」という刺激的な言葉で

安楽死に一方的にマイナスイメージを塗りたくる。

しかし、なぜそのようなことを感じるのかわかりにくい。

ただ安楽死の条件が緩和され、安楽死できる人が「増える」だけのことを

そのような言葉で表しているように思える。



②末期以外の病気、さらにうつ病や精神障碍に対する知識が非常に乏しい

うつ病で「死にたい」と言ってきた人に対して、治療する方向に対応するのではなく

「ああ、そうですか。死の自己決定権を行使したいのですね」

といって致死薬を処方している医師がいるのだとすれば、

法的にも倫理的にも重大な問題であるはずなのだが、

両州の保健省は問題視する姿勢を見せない。


児玉氏は精神を病んだ人が安楽死を望むことを許せないようだ。

しかし、精神の病気といってもその苦しみは人によってさまざまだ。

安楽死の希望者の中には、十数年も重いうつ病で苦しみ、

薬を飲んでもその副作用にも苦しめられている人がいる。医者にさえ、

「あなたの病気は一生治らないから、うまくあきらめて生きていくべき」と宣告までされている人がいる。

そのような患者は他にも数多くいる。


児玉氏は

本来ならセーフガードで食い止められるはずの終末期ではない人や

精神障害者に致死薬が処方されている

と言う。

「食い止め」るというのはどういうことを指しているのだろう?

病気を治して幸せになるという選択肢は無い。

まさか、文字通り「死ぬほど」苦しんでいる人の最後の願いを妨害する、

ということでは無いと信じたい。


③運用時の不備を制度や考え方そのものの欠陥とみなしている
アメリカのオレゴン州、ワシントン州では安楽死が条件付きで許可されている。
両州の保健省は安楽死した人のデータを取りまとめて公表しているという。
そのデータから、児玉氏は次のことを読み取った。

限られた医師が(安楽死の)多数の処方箋を書いている、

処方すれば後は放置で患者が飲む場に医療職が立ちあっていない、

などの実態である


もし、意思確認の回数が少なかったり、冷却期間が短かったりすれば、

軽い気持ちの人まで安楽死してしまう可能性がある。

もしそのようなことがあったりすれば、確かに好ましいことでは無いだろう。

しかし、そのような点はいくらでも改善可能ではないだろうか?

であれば、児玉氏はこのような制度そのものを批判するべきでなく、

運用している人を批判するべきだ。

そもそも、両州がそのようなデータを取りまとめたのは、

この制度における問題点を分析し、改良を行うという目的もあるのではないか。

こんなことが可能なら、ミスで死人を出したことをもって

医療行為そのものを批判することだってできてしまう。


④現実の動きから実際には起こっていもいないことを一人で予想し、

現実の制度そのものを全て否定する。

安楽死が臓器提供と繋がっていく懸念について言えば、

10年に英国の生命倫理学者のドミニク・ウィルキンソンとジュリアン・サヴレスキュとが

「臓器提供安楽死」を提言している。

安楽死も臓器提供も自己決定するなら、

提供意志を無駄にしないためにも生きている状態で臓器を摘出するという方法で

安楽死してもらってはどうか、というものだ。

ベルギーの「安楽死後臓器提供」をさらに一歩進めたものと言えるだろう。

こちらはまだ現実には行われていないだろうけれど、

ルギーの現実を思えば「安楽死後臓器提供」から「臓器提供安楽死」までの距離は、実

際のところ、どれほどあるものなのだろう。


多分すごくあると思う。今現在安楽死を希望する人の数は非常に多い。

臓器をめぐって様々な事件やトラブルが絶えないのは、

臓器移植を待つ人の数に比べ、

提供される臓器の量が圧倒的に少ないからだ。

反面、もし、本人の意思でもって安楽死できるような制度ができたら、

誰かがわざわざ圧力をかけるまでも無く、安楽死希望者の多くは臓器の提供意思を表明するだろう

(現にネット上では、「自分が死んだら臓器は好きに使ってくれ」

という意思を表明する人は非常に多い。)。

現在のアンバランスな状況は大幅に改善され、

順番を待てば臓器移植を受けられる確率はぐっと高くなるはずだ。

それなのに、そのような「殺人」行為にわざわざ手を染めて臓器を得ようとするだろうか?


大体、児玉氏のようなことを言い出したら、今だって臓器を取り出すために

「事故死」や「病死」と言うことにされて密かに殺されている人だって

いそうなものだ。

あと、囚人が本当に「罪を償える」チャンスは非常に少ない。

それがこのような意見で潰されたら気の毒と思う。