日頃は意識することはありませんが、人は氏神さんの氏子であるという面があります(人がそのことを望もうと望むまいと)。
かつては氏神さんが町のコミュニティーの中心を担ってさえいました。
子供を授かれば報告のために氏神さんに参拝し、 以降、節目節目には氏神さんにお世話になるのです。
また、人々の生活のすべてであったと言っても過言ではない稲作をはじめとした農業。
その年の作業を始めるときには祈年祭を、収穫の際には新嘗祭を住民総出で氏神さんにて執り行いました。
夏には疫病を追い払うための祭もあります。
すべて今では一般の住民の方にとっては単なるイベントの一つにしか思われていないものかもしれません。
もっと言えば、氏神さんなどあってもなくても生活において何ら差し支えのないものだと思われているのかもしれません。
氏神さんは地域を守り育む役割を担ってきました。
最近、地元の地域新聞の紙上に、自治会で神社やお寺の寄付を集めることに抵抗感や違和感を覚える方々の意見が掲載されていますが、そのような意識は現代社会においては当然のことと捉えなければならないのかもしれません。残念なことですが。
コミュニティを形成する地域住民としては大変寂しく悲しい現実であると思います。
日本の伝統や文化、歴史を後世に伝えていくというのは斯くも困難でお金の掛かるものなのです。
自治会と神社、寺院との関係づくりには新たな工夫と意識改革が求められる時期にあるのだと思います。