国語ができるようにするためには 何を指導すればよいのか?

   あるいは、何が できるようになればよいのか?
   あるいは、どのような 思考回路が作り上げられればよいのか?


漢字の書き取りといった 基礎的な部分は わかりやすいと思っている。

いわゆる 読解力 という類のもの。
 私は 私自身の中学入試に際して、国語の試験を受けた。
 それなりの指導は 受けていたのだろうけれど、結果として、なんら形になるようなものを 体内には形成し得ないまま、ぼんやりとしたところで、解答を書き続けていた。なんだかなぁ・・・という かすっているだけの解答を書き続けてきたのだと 自分では思っている。
 
 今、中学入試の問題を眺めてみて、リード文の内容は ここまで 経験を重ねてくると、理解は可能になっている。抽象的な文章であっても、著者が言いたいことは さすがにわかる。その言わんとしていることも わかる。しかし、問題に対する解答を作成する・・・ということになると、ときとして、はたと困る。

 解答作成術のようなものが 模範解答作成者 の中には 潜んでいる のだと 思わざるを得ない。
 ある種の型のようなものを 認識しておかないと、「模範解答」のようには 書けないんだろうと思い始めた。
 
 そんな問題意識を持って、市販の本を眺めると、「中学受験の国語論」などという本を 目にするようになった。

 一定の形式を踏まえることで、表現できる力がつく というのであれば、それは それで いいことのように感じる。


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私自身が、気軽に 文章を作成できるようになっていったのは、25歳くらいのときから。
ワープロという機械の存在に媒介されるようにして、
  自分の気持ちや 考えを 整理するということが 可能になっていった。

鉛筆書きでは 書けない事が、ワープロを使うと 書けてしまう。
媒体が異なれば、表現が異なる。

そんな中で、自分の表現力が 付いていったように思う。