マザー・テレサの反戦と平和をめぐる発言についての考察 | 日本と大分と指原莉乃の左翼的考察|ケンケンのブログ

マザー・テレサの反戦と平和をめぐる発言についての考察

マザー・テレサの言葉として、「私は反戦集会には行きません。平和集会になら行きます」というのが流布している。

多くの人々がこの言葉を誤解している。彼女の神格化とともに。

おおかたの解釈は、「ネガティブはネガティブしか引き寄せない。ポジティブにいくべきだ」という主張だというものだ。

違う。
これは歴史的文脈を無視した認識だ。

この言葉の発せられた時期が本当は問題なのだ。1970年代前半、ベトナム反戦運動が高まっていた時期のものらしい。

マザー・テレサは、カトリックの修道女である。在家のカトリック信者たちと違って、ローマ教皇庁に反対できる余地は小さい。慈善事業にマザー・テレサの本領があればこそ、資金が必要であり、教皇庁に反対できなくなる事情は容易に想像できる。僕には。

現在のローマ教皇庁は、無益な戦争に反対する姿勢が強く、イラク戦争においては米国を止めるために奔走し、イスラムとの和解を進め、宗教的寛容を説く。
しかし、ベトナム戦争時にはそうではなかった。

米ソが激しい冷戦を繰り広げ、ベトナムではそれは熱戦となった。
そのとき、ローマ教皇庁は米国陣営に与した。ベトナム戦争でも米国を支持した。

すなわち、ベトナム反戦集会に参加することは、ローマ教皇庁の意向に反する行いである。
そこで、マザー・テレサは「反戦集会には行かない。平和集会なら行く」と言ったのだ。
平和を願うとか祈るだけなら、米国の戦争に反対する必要はないからだ。米国は、ベトナム戦争を平和と自由のための戦争だと主張していた。

実際には、米国が戦争をやめなければ、ベトナムに平和は来なかった。
1973年に米軍が撤退すると、南ベトナム右派政権は米国の想定外に速く弱体化し、1975年にはサイゴン陥落→ベトナム統一という流れになった。

マザー・テレサは、反戦集会への参加を拒否するのに、言葉たくみだった、ということだ。

マザー・テレサの言葉への誤解は、彼女の神格化とセットである。ノーベル平和賞受賞もしたし、死後、ローマ教皇庁によって聖人にも列せられた。そんなマザー・テレサが平和に背を向けることなどあり得ない、という思い込みが誤解の根っこにある。
実際のマザー・テレサは、慈善事業のために奔走するのに、泥臭い努力を重ねた人物で、そのためにはしたたかさも発揮した人物であった。
タフに汚れ役もこなした。
僕は、そんな現実主義者マザー・テレサにこそ共感する。本心がどんなものだったかわからないが、少なくとも立場上はローマ教皇庁に反対する言動をとれなかった。それに僕は賛成はできないが、同情する。

以前、僕はこのマザー・テレサの言葉が嫌いだった。その言葉は僕の言動を否定するものとしてしか機能しないから。
ところが、この言葉を真に受けていた人々の一部が、福島原発事故を目撃して、脱原発を主張し、運動も始めた。身の回りエコロジズムだけでは、エコロジー重視社会はやって来ない。環境や自然を壊す者たちが権力を握っているのだから、権力のあり方を転換させねば、自らの望む世は実現しない。そんな「気づき」を彼女/彼らは大切にした。

マザー・テレサは、気高い人だった。だから、彼女は俗世と格闘した。
ローマ教皇庁は、千年の過ちを順次、自己批判していった。ときに現代資本主義が人間を抑圧することを批判して、右派から「共産主義への屈服」と批判されることもある。
われわれ左翼とカトリックその他の伝統宗教が、大枠で立場を同じくする場面が増えた。
マザー・テレサの言葉も、そんな歴史のひとコマとして理解されねばならない、と思う。