釘宮磐市政12年の功罪 | 日本と大分と指原莉乃の左翼的考察|ケンケンのブログ

釘宮磐市政12年の功罪

釘宮磐(くぎみやばん)前大分市長が大分県知事選に転出することで、大分市長が交代することが確定的になった。
3期12年の釘宮市政の功罪をここで検討していみたい。

釘宮市政の新味は、市民の意見を聴く経路を増やしたことに尽きる。尽きると思う。他の諸政策に目立った新味はないか、あるいは市民意見聴取のよそおいに分類できるものであった。
そして、釘宮市政の罪の部分には、この政策のつまみぐい的活用も含まれる。
各種の意見交換会や、施策についての説明会もそれなりに開いてきた。市長への意見投書箱「市長にひとこと」も市の施設に設置され、それなりに丁寧に回答するようになった。市長と市民の直接対話の場「おでかけ市長室」も、かなり低いハードルで開催された。地域の問題を、地域団体と協議する場は公開された。市民意見公募(パブリックコメント)の実施がかなり増えたことや審議会の公開の増加は、単なる儀式だと冷やかに私は見ているが、やらないよりはまし、ということでもあると思う。
ただ、市民意見交換会や公開地域協議会を開くことによって開けた「パンドラの箱」が、釘宮市政にはあった。それまで狭い範囲の利害関係者だけが密室で協議していたことを、参加者の資格を限定せずに公開で議論したことで。
市民意見交換会で市政への異論が噴出し収集がつかなくなったのが、中心市街地の都市計画(中央通りの車線減少が焦点となった)をめぐる議論であった。これが、大分市では珍しく市長と議会の態度が異なる案件となった(市長も議会も決定的対立は回避した)
碩田中学校区の3つの小学校を統廃合するための地域協議会は、時間をかけて協議をしたという実績づくりと、その議論の動向を踏まえて中学をも統合した施設一体型小中一貫校の設立を誘導する場として、姑息な術策を駆使した。
ごみ収集の有料化では、事前にも事後にもかなり多くの住民説明会を開いたが、説明会で出た市民の異論や不安にまともに応えることなく、有料化を押し通した。当初説明と、有料化条例制定の時点とでは、有料化の根拠を変えてしまうという禁じ手も用いられた。

前市政から継続した誤りの政策が実は釘宮市政の基調である。民主党出身市長の下で市政は変わらなかったことのほうが釘宮市政の主要な問題点である。
大分県は、高度成長期以来、「呼び込み型」の経済政策をとり、大分市もそれに追随してきた。二全総(第二次全国総合開発計画・新全総)にもとづく新産業都市の指定を受け、大規模埋立地に大企業を誘致して優遇する政策である。新日鉄住金、昭和電工、新日本石油などが進出し、以前から立地していた住友化学とともに石油化学コンビナートを形成した。新産都政策は、1970年代の2度のオイルショックで破たんし、大分市も膨大な遊休埋立地を抱えることになるが、他都市と比較して遊休工業用地の割合は低く、新産都の優等生と言われてきた。これには住民運動によって二期工事が阻止されたことも寄与したことを特筆すべきであった。
その後も、大分県主導で、呼び込み型経済政策がとられ、東芝やキヤノンなどが立地している。
その特徴は、トリクルダウン理論にもとづく大企業優遇政策である。これは県が主導した政策に、大分市は追随したにすぎないが、工業用地の固定資産税の優遇や、各種補助金などにとどまらず、きめ細かな大企業優遇措置を大分市の権限で行っている。
前市政がハコモノなどの無駄な公共事業で、財政赤字と腐敗を蓄積したところで釘宮市政は登場した。釘宮市政の基調は緊縮財政となり、福祉施策や各種の文化施策の切り縮めが、大企業優遇の裏側で行われてきた。
大企業優遇策を重ねることの費用対効果がまともに検証されたことはない。大企業優遇策が市民向け施策に予算を振り向けることを阻害していることと合わせて考えれば、市民生活を保障するための経済政策が市民生活を圧迫する本末転倒が生じていて、費用対効果の効率は極めて悪い政策であると思われる。

緊縮で少し財政が好転すると、巨大箱物建設に乗り出した。中心市街地南側(大分駅南)の区画整理と再開発は、前市政の計画をかなりダウンサイズ化してきた釘宮市政だが、駅南の複合文化施設については計画を修正しなかった。跡地の用途も決めずに、大分文化会館を老朽化を理由に廃止して、代替施設と称して大規模な複合文化施設(現在のホルトホール大分)を建設した。規模を確保するために各種の公共施設を糾合するのでは計画の規模の施設とするのに足りないため、近所の保育園まで統合して建設される有様だった。
大友氏館の「復元」(実は想像物の創作)や、巨大アリーナ施設の計画も、釘宮市政は置き土産にしていく。

釘宮市政の功の部分に、いわゆる高齢者ワンコインバス制度の実現がある。これは市民の声を聴くという姿勢によるものだ。
2003年の釘宮市政発足間もない時期に、いわゆる高齢者ワンコインバス制度が実現された。70歳以上の高齢者には、バス料金を100円均一にするというものだ。2012年には、ワンコインバスの対象年齢が65歳に引き下げられた。
これは、住民運動を背景にしたものである。敬老無料パスの実現を要求する運動が広がり、4万人に及ぶ請願署名を集めた。運動の発端は、共産党員たちが始めたものだったが、運動は党派を超えて広がり、老人会などの保守的な団体も署名を推進した。ところが、前市政と市議会はこの請願を不採択とした。
2003年大分市長選にあたって、運動を発起した「敬老無料パスを実現する会」の各候補への公開質問状への回答で釘宮氏は趣旨に賛同する旨の回答をし、すなわちそれは公約となった。

小さな功なら、他にもある。
僕はばいじん公害をなくす会大分の世話人をつとめているが、運動をすすめるごとに担当職員の姿勢が変化し、新日鉄住金にかなり突っ込んだ指導をするようになった。これが市政全体の方針が市民の声をよく聴くということになったからなのかは不明だ。なお、大分市の姿勢には新日鉄住金への弱腰も目立つが、それが市政上層部の姿勢であるならば、現場職員の一つ一つの動きに圧力を加えることをしなかったのも、釘宮市政の小さな功なのではないか。
ばいじん公害をなくす会大分の活動が先鞭をつけたものには、PM2.5の測定局の設置があった。2009年に会の要求に応えて最初の測定局を設置した後、大分市は徐々にその測定局を増やしていった。後に、中国からのPM2.5の大量飛来が問題となったとき、県の怠慢で県内のほとんどの市町村に測定局が存在しない、という状況で対応を迫られたのと比較でいうと、その限りで釘宮市政を評価してもいいのではないか。
ただ、環境対策の人員や予算は全体として貧弱であることも付記しておく。