八事の歴史研究家ご来店 | うどん坊一休のブログ

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名古屋市昭和区八事の『うどん坊一休』です。定番メニューはもちろん、オリジナルメニューも豊富!オススメは味噌煮込みならぬ『カレー煮込みうどん』!!地元メディアでも多数出演。夜には一年中みそおでんも用意(1本120円)。ご来店をお待ちしています!


(尾張藩の御狩場)
尾張の藩主が徳川御三家の一つに決まると、この地方の農村は静けさを取り戻していったようです。

きっとのどかな田舎だったのでしょう。

江戸時代の記録をみますと、天白の地は、徳川氏の御狩場として付近の動物はとってはならない

とされ、天白渓のあたりは沼地で猪や鹿、うさぎやたぬきのすみかになっていたようです。

尾張名所図会にも音聞山のあたりに、鹿の姿がえがかれているところからも、

当時の面影をしのぶことができます。

(江戸時代の八事村)

徳川家康は天下をとると、軍事的な目的で岡崎から名古屋への街道を整備しました。

平針には宿場を設けましたので、この街道は平針街道とも、岡崎街道ともよばれていました。

その後、長野県の飯田との交通が重要になってきたので、飯田街道と言われてきました。

文献によると、家は77軒、人数341人、馬7頭と記されています。

 

歴史研究会の横井さんと山下さん