生きていた | うちのとらまる

生きていた



フードを置くポイントで


何度か同じ子に会うことがあります




何度か会うと


その子が待っている 


という意識が生まれ


自分が行かなければ


その子は死んでしまうのではないか 


そういう強迫観念に駆られ


何度も行くようになるのですが



実際


毎週毎週行けない時もあり


2週間3週間と


間隔が開いてしまう場合があるのです




この場所は


大熊町でも街中ではなく


幹線となる県道から脇にそれ


しばらく行った山のふもとにあるお宅



去年の5月に 鳥と猫の保護依頼があったところです


当時ボランティアさんが鳥を約10羽保護


私が猫1匹を保護した所



姿は見えませんでしたが


猫がまだ残っているということで


行く機会があるごとにフードを置いて来ていました









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去年の12月


依頼の猫は茶トラでしたが


どこかから流れてきたのかキジ白猫と遭遇


それからは


警戒区域に行けば必ず給餌することにしていました


この猫は


いつもこの場所にいて


私を迎えてくれていました









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近づくと すぐに逃げてしまう


そんな猫でした


私は持っていく所が無いので保護も出来ず


フードをやり続けることしかできませんでした


あとこちらでできる事は少しでも快適にと


猫ベッドを同じ場所に置いてやったりしたくらい



しかし今年の3月


福島行きがかなわない時があり


2週間以上の間が開いてしまい


それ以来 この子の姿を見ることはありませんでした



まだまだ寒い時であったし


食べ物が途絶え死んでしまったのか


そんな不安がよぎります


実際 圏内で会う猫たちも


少なくなってきていた気がしていましたし


何で行けなかった いや行かなかったのかと


後悔しながら過ごしていたのです



その後悔が とげ となって


ずっと自分の中にありました



キジ白猫がもういないこのお宅に


引き続き餌を置き続けましたが


餌は減ってはいるものの


何が食べているのか分からない状態で


この2ヶ月過ごして来たのです





そして昨日





うちのとらまる




そのお宅に向かう道路の入り口に一匹の猫がいました


真ん中あたりにいます


こんな写真じゃ分かりませんよね





今日は去年の4月から時々一緒に行動したり



私が保護した猫を引き受けてくださっていたボランティアさんと一緒だったのです


今回ボランティアさんは猫を保護する気満々


いずれ警戒区域の中でも さらに閉鎖されてしまうであろう


線量の高い 大熊や双葉の区域から


猫を1匹でも多く出してやりたい ということで来て下さった方


まさに「猫のマリア 」さま











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上の写真を拡大


速攻で捕獲器を仕掛け 離れて様子を見ました


お腹が減っていたのでしょう 5分もしないうちに捕獲











うちのとらまる




この顔を見てハッとしました


この子は山のふもとの民家にいた子


半信半疑でしたが家に帰って写真を照合


顔のシマ具合


右耳が欠けていて・・・間違いない!


ああ 良かった


まるで自分の罪が許されたような気持ちになります


この2ヶ月 この地にくるたびに心に刺さったとげが痛んでいました



保護した場所は民家から600m離れた場所


お腹が減って 車のよく通る県道まで下りてきたのでしょう













うちのとらまる



首にはケンカをしたのか傷があり血を流していました


汚れ具合や怪我を見ていると


厳しい 本当に厳しい生活をしていたことが伺えます


大変だったね


ごはんを持って来れなくなってごめんね


どうか許してね



この子は何としてでも幸せになって欲しいです






今も警戒区域では 命をかけたドラマが継続してあります


皆様


保護動物の一時預かりや 物資の援助など


出来ることでボランティアさんたちにサポートを


どうかよろしくお願いいたします