愛知県名古屋市昭和区
AgelessRetreat Cuti〜チュティ〜
現在3人の育児まっただ中♡
女性の美を呼び醒まし自由に美しく働く
エステオーナーこと、内田露美奈です♡
お家サロンで月商7桁に到達するまでの〜ロミナSTORY〜第1夜皆さんご覧いただけましたか?
初夜からディープなお話をさせて頂きましたが、
暗い話なのに元気でた!
面白くてスラスラ読んじゃった!
こんなに面白い人だと思わなかった!
など、
ポジティブなご感想たくさん頂きました♡
ありがとうございます!!
是非ロミナに聞きたい事、話してほしい事、この記事のご感想ありましたらLINE@にメッセージください♡
とっても励みになります♡
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さて、2夜目です♡
お家サロンで月商7桁に到達するまでの〜ロミナSTORY〜第1夜はこちら♡
両親の離婚後、
ロミナは母と大人の足で3〜4歩程で部屋の隅から隅まで行けるような狭いアパートで二人暮らしをしていました。
といっても、母方の実家から目と鼻の先にある場所で、
保育園から帰宅すると祖父母宅へ行き、
祖父のご飯を食べてから母と自宅へ戻る感じでした。
なのでほぼ寝るだけの場所。
でも、このアパート、狭かったけどロミナにとっては大好きな場所でした。
怖い祖母はいない、
大好きなママとの二人暮らし♡
(謎のお墓ショットだけど。我が家はどこでも写真を撮るというSNSのような最先端な家庭でした。笑)
アパートには幼なじみもいて、異年齢でもみんなで集まって
鬼ごっこしたり、ポコペンしたり、母がたまに折り紙クラブって名付けた折り紙教室を開催して皆で黙々と制作したり・・・
でも!!幼いロミナと母は一緒の布団で寝てくれる事がなかったんです。
まだまだ小さかったので、ママと同じ布団で寝たかった。
私はわりと発育が早く、背も高めで保育園の時はずっと後ろから2番目だったのです。
人と同じ布団で寝ると身体が痛くなって無理。と母に言われて、そっか、私の背が小さければ一緒に寝てもらえたけど、大きいし無理なんだ・・・
と、納得したふりしてましたが、
一度母に捨てられているので、
自分はやっぱり母のお荷物で愛されていいないんじゃないかな・・・と考えない様にしていたけど考えていました。
母は美人で周りに好きと言ってくれる男性がたくさんいました。
まー自称なので本当のところはわかりませんが。w
離婚してすぐ、彼氏ができました。
職場の旅行でロミナがやたらとなついたお兄ちゃんがいたらしいのですが、その人でした。
で、つき合った後、いつも母に
『ロミナはキューピットだったの♡』といわれ、
少しずつキューピットにならなくてはいけない・・・という
謎のプレッシャーを感じはじめるのでした。
しばらく何年かのこの彼とは週末婚のような形をとっており、
週末は大好きだった母と二人のアパート生活に全く居場所がなくなる事になるのでした。
幸せは長くは続かない。
そんな風に曲がった思考はじわじわと作られていったのでしょうね。
私の保育園の送り迎えは祖父がチャリでしてくれました♡
私にとっての祖父はスーパーヒーローで、
お迎えになると、『ロミナのじーちゃんがきたぞ!!』と皆に言われて面白くてかっこいい自慢の祖父でした。
でも、祖母宅へ帰ると祖父はいつも祖母にいびり倒され、
『じーさんを悪く言うしゃあしゃ(祖母)は許せない』
そんな気持ちになっていた様に思います。
祖父は私を甘やかし倒したので、私が食べたい!という物は内緒で何でも食べさせました。
特にウインナーにはハマって、おやつにはかならずウインナーを出してくれました。
無知識ゆえ・・・
じーさん、生ウインナーそのまま出してたけど。
今考えると恐ろしい。w
私とじーさんはしゃあしゃ(祖母)におびえる運命共同体であったと勝手に思っているので、
皆で食事するとロミナが怒られる、そんな気遣いから、よく
『ロミナ先に食べるか?』と夕飯を先に1人で食べさせてもらう事もしばしば。
ママ母にいじめられるシンデレラのような感覚でいたのかもしれません。笑
自分の人生そうして、何かの物語に見立て、自分を客観的にみるスキルはどんどんあがっていきました。笑
その時、
実際野菜でたべられるのはキュウリとなす
くらいでした。
残すと祖母にキツーーーく怒られるので祖父はそんな甘やかし方をしました。
そんな影響もあり栄養が偏っていたロミナ。
食べたい物だけ食べ、少しずつ太って行く・・・
でもこの頃はまだ太ってはいませんでした。
元々色白フェイスではありましたが、
もはや青白い顔が標準装備。
温泉にいくと必ず貧血をおこし、真っ裸のまま倒れ、
知らないおばちゃんとかに助けられる・・という事もしばしば。
今思えば危ない子だったなと思います。
その当時保育園の先生も、顔色の悪いイメージだったのでしょう。
母は誰からも好かれる愛され人間。
ロミナの担任にも好かれ、その影響で娘の私はなりたくもない、まさかの発表会の主役になったりしました。
青白い顔の私ロミナが主役にぴったりの白雪姫。
何度もオエツをこらえておこなった発表会の練習・・・
地獄でした。
でも、母の期待に答えなきゃ。
じゃなきゃ母はまたロミナの前からいなくなってしまうかも・・・
そんな思いを胸にやりきった白雪姫。by保育園年長。
なにかあると、
父のところへ返えそうか!!と、まるでものや飼い猫?みたいに祖母がいうから・・・
もう怖くって。
しかも母もたまに同調する事があって。
祖母の怖さ故か、なんなのか・・
私はトラブルを起こしては行けない!て思っていました。
ある意味やさぐれそうな境遇であってもグレなかったのは、
この事があるからかもしれません。笑
母は父を悪く言うことが多々あったので、
父の事をめちゃ嫌な奴って思っていたのでね。
そんな所にいきたくないって思ってたんですよ。
ある日、
朝から本当にしんどい日があったんです。
いつもの様に顔は青白くて・・・
『今日は保育園やすみたい』
初めて勇気を振り絞って母にいったんですけど、
保育園に行きたくない仮病って思われて、
大好きな祖父にも信じてもらえなくって・・・
めちゃめちゃ悲しかった。
今でもその記憶は鮮明に覚えています。
お寺の横にあった保育園。
頭クラクラしながら、祖父の自転車の後ろにのり、
もう手が祖父の腰から落ちそう
保育園について、寺の横を通って行く一歩一歩に吐き気を覚え、
この世に私の味方なんて1人もいないのかもしれないと、
考えながら石畳をわたり、涙がじわじわ溢れて来た事。
担任に『いつもの顔色!大丈夫!』と軽く、言われ誰も私の言う事を信じてはくれない・・と諦めに変わったあの瞬間
昼ご飯食べて吐き戻し、
先生がロミナの熱はかったら、
『39.2℃』
ほら!!って嬉しく思う反面、誰も私のこと信じてくれなかった。という悲しさで押しつぶされそうになりました。
早退し、
祖父母宅に帰ると、
『何で熱なんかでたの?』
『昨日薄着で寝たからじゃないの?』
『ぜったいにうつらないように部屋にいて』
そんな風邪を引いた理由さえも問いただされ、
叱られる。
ケガをした時も同様でした。
私が何かトラブルを起せば人に迷惑をかけ、
問いただされ、怒られるんだ。
そんな風に感じました。
唯一弱音を吐けるのは私が3歳の時から飼っていた
猫の『みゃあ』でした。
ひとりっこの私にとってお姉ちゃんの様な存在でした。
みゃあがいなかったら私、どうなってたかな。
悲しくなると、みゃあは何か察して私の膝にくるんです。
でも、みゃあも同様祖母におびえて生きていて、
悪い事(変なところで爪といだり)すると、
『捨てるぞ!!』って言われて、
私とみゃあは同じ位置にいるんだ。と思いました。
大人になってわかったのですが、
実は猫アレルギーだったロミナ・・・
この頃精神的なのもあると思いますが小児アトピーもひどく、
夜も痒くてろくに寝れず、強いステロイドも使っていました。
よく考えたら猫アレルギーのせいでもあったか!
と思いましたが、そんな事だれも気にしてくれないし、
みゃあは私が生きて行く上でとっても存在が大きかったので知らなくてよかったとも思うのです。
大好きなみゃあだったけど、すぐ捨てられるって言われる猫同様の扱いを受ける人間の私は、
自分に価値を見いだす事が出来るわけも無く、
自己価値の低い人間へとどんどんと成長して行くのでした。
やーべーーーーだいぶ暗い??
猫といえば・・
何か通じる物があるのか?
猫が自然と寄ってくる体質のロミナです。
現在実家は3匹か4匹の大きな猫が飛び交い、
猫屋敷を化していますが、ロミナはアレルギーのため、実家は玄関しか入れません
私の中でみゃあ以外の猫は考えられないので猫を飼う事はもうないかな。とも思います
自己価値の低かったロミナがどうして今の様に自己価値の高い人間になっていったのか。乞うご期待
今は自分には、
無限の可能性があると思っていますからね。
人生わからないものですね♡
新しい事を始めるのが怖いのは当たり前。
一歩踏み出す事の出来ない時が一番苦しい。
でもね、1歩を踏み出した時に、
2歩目は案外楽勝だったりする。
たまには1歩戻ったりもするけど、実は戻ってない。
進んでる。うまく言えないけど、
その積み重ねが今の自分を作ってくれるんだなって思います。
Romina
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