生まれつき色弱な方の話を聞いて思い出したが、以前こんなことを考えた。

自分が見ている色が果たしてみんなにもそう見えているのかどうか。

例えば「赤」

僕が見ている赤色と他人が見ている赤色は同じじゃないかもしれないと思ったのです。

どういうことかというと、僕が「赤」と認識している色は、別の人にとっては僕にとっての「緑」と同じように見えているなんてことはないかなと、ふと思ったのです。

わかりづらいのでもうちょっと説明します。

例えばA君とB君という二人の幼児に赤色のクレヨンや色紙を見せて、「これが赤だよ」と説明し、赤色がどんな色か認識させる。

ところがA君にとっての赤色はB君にとってはA君が思うところの「緑色」に見えているとします。

しかし、B君は初めからそのA君にとっての緑色こそが赤色だと説明されているので、B君にとってはそれは赤色であり、逆に言うとA君にとっては、B君の緑色に相当する色が赤色であると認識している

どうも上手く説明出来ないんですが言ってることわかりますかね( ̄Д ̄

結局のところ、自分の目を通して人に物を見せることは出来ず、実際にある物を指して「これが赤だ」と示すしか他人に対して色は説明出来ないので、実は見え方が自分と全く違っていてもそれはその人にとって完全に赤なのです。

だから夕日を見ても、炎を見ても、赤信号を見ても、ある人の視覚ではモリモトにとっての緑の世界が広がっている可能性もあるんじゃない、、、かなー、、とあるとき思ったんです。

「燃えるような赤」と言われても元々炎がモリモトにとっての緑色に見えている人には「まさにそれは燃えるような赤だ」と認識されます。

ひょっとしたら僕にとっては見たことも無いような色が別の人には見えているかもしれない。

ちなみに色弱というのは多くの人が共通して各々にとっての「赤だ」と認識している色が別の色に見えたりする状態なので、上記の話とはまた違う話です。

ところで、目の話なのでついでだから言いますが、、

時々、電車やバスでじーっと自分の方を見ているオッサンっていませんか?

ワタクシたまに遭遇するんですが、なぜかずーっとこっちを凝視してて、こっちが視線を合わせても外そうとせず、気まずいのですぐにこちらが視線を外し、その後またちらっと見るとやっぱりまだ見てるんですよ(笑)

そんな視線のやりとりを3~4回した後、最終的にはじーっと意地で見返すとようやく目をそらすんですがあれは一体なんなんだといつも不思議に思います。。

そんなに珍しい顔してるとは思わないんですけどねえ。

オッサンに見つめられても全く嬉しくない。


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