今、W杯ポーランド戦でのパス回しが批判されていますね。
卑怯だとか、サムライじゃないとか、安倍政権みたいだとか、負けているのに逃げるとは何事かとか、忖度ジャパンだとか、サッカーというスポーツの精神を冒とくしているとか、いろいろと言われています。
また、日本人得意の手のひら返しで、西野監督を批判する人も増えています。
この状況、面白いので、ちょっと解析してみることにしましょう。
まず、W杯ポーランド戦でのパス回し以前の問題として、今回の日本代表を批判していた人々は、これ幸いと再び批判している点が一つあります。
ハリルホジッチ監督を解任したのが気に食わなかった人や、ベテランばかり選出されたことで日本代表のボロ負けを予想していた人は、当初から西野ジャパンに対して批判の立場でしたから、これを機に批判を再燃させているわけです。
また、仮にW杯ポーランド戦で潔く戦って「0-2」で負けていたとしたら、いま批判している人々が「よくやった」と日本代表を賞賛するか?という点も論じてみるべきでしょう。
あの時点から一点とられたら、「なぜ最後の最後で負けるんだ」とドーハの悲劇と重ねて「日本代表はサムライじゃない」と批判してると想像できます。
つまり、今回の日本代表に批判的な人々は、どう転んでも批判するだろうと思うのです。
日本人は、どうしても「潔く戦って清く散る」ことを美徳と考えますが、一番の美徳は「負けないこと、生き残ること」という価値観もあると私は思うのです。
今回の騒動で私が不思議なのは、案外と左翼の立ち位置の人々が、西野ジャパンを批判していることです。「潔く戦って清く散る」って左翼の戦いの価値観とは違うと私は思うんですよね。
日本のJリーグでも、よく相手のコーナー近くでボールを渡さないようにすることは良くありますし、なでしこジャパンもやりましたが、今回のような批判はありません。日本のサッカーでは普通のことで、日本サッカーの風習なわけです。
では、今回、なぜポーランドに負けていたのに、守りの姿勢で勝ちに行かない消極的なサッカーをしたのでしょうか?
それは、今回のW杯で初めてフェアープレーポイントがルールに採用されたからです。
日本代表にとっては、決勝トーナメント進出が【勝ち】なわけですから、ルールにのっとり勝ちに行くために、あのプレーを西野監督は選択したのでしょう。
西野監督は、自分の決断で6人入れ替えわけですから、ポーランドに負けて決勝トーナメントに行けなかった時には「レギュラーメンバーに申し訳ない」という思いがあったはずです。
だから、グループリーグで【勝ち】残り、つぎに生き残るため、手段を選ばなかった…。たとえ捕虜のような恥辱に耐えてでも、決勝トーナメントに生き残る…。それはそれで一つの決断として、なでしこジャパンと同じ判断として、私はアリだと考えています。
もちろん、あそこで不用意にフリーキックを与えてしまったのが問題であり、勝ち切れなかった日本代表の実力不足も問題ですが…、今の日本代表の監督としては、やむを得ない判断でしょう。
なぜなら、今の日本国民には、卵を投げつけた韓国国民のように、日本代表を温かく見守る懐の深さは無いので、どんな手を使ってでも【勝ち】にこだわったのでしょうから。