ドラマ「関ヶ原」~奥州の雪~ | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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1599年(慶長4年)9月9日、重陽の節句。
「菊酒頂きの儀式」への参加を口実に大坂城入りした家康は、
城内に「家康暗殺の噂」がある事を知り、急ぎ奥の部屋へ足を運ぶ。



だが、この噂、事前に本多正信藤堂高虎を使って広めさせたもの。
更に伏見からは、家康警護という名目で兵500が到着。
そこに本多忠勝(高松英郎)が、長束&増田の二奉行の到着を伝える。



>はやいことよの・・。(家康)
>まいたエサに、すぐパクリ!(正信)
>これっ。(家康)

慌てふためきやって来た二奉行は、自分達も暗殺の噂を耳にした、
いや、それどころか、城中の奥女中や茶坊主でさえ知っている。
その不届き者の名は、秀頼の側近・大野治長。そして彼の黒幕は、
加賀にいる前田中納言(利家の息子)であるらしい・・と密告する。



そこで家康は、このまま伏見に帰ったのでは噂が真実になる。
「噂の真偽が明らかになるまで大坂に滞在しよう」と言い出す。
反論できない奉行衆。部屋の外で、薄笑いを浮かべる本多正信

◆◆◆越後の龍◆◆◆
家康が着々と大坂入りへの足掛かりを固めている頃、
島左近は、東北・上杉120万石、会津若松城の茶室に居た。

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>元越後で日本最強の軍団を誇っていた上杉謙信の子・景勝。
>つい一昨年、秀吉の願いで会津に移り、
>その国もとの整備の為に大坂を留守にしている。
>勿論、上杉の会津移転は、江戸の家康を背後より牽制するにあった。




>上杉家家老・直江兼続。家老とはいえ米沢30万石の城主。
>戦略家として名が高く、三成と同い年。
>年だけでなく気性も似ており、互いに「友」と呼んでいる。(ナレーション)


以前から徳川家康を叩き伏せねばならぬと考えている上杉家。
なぜなら、あの男が天下を握れば、この世に「義」「正義」は無くなり、
すべては謀略、策略、己の利益だけを考える世になると断じる兼続



現在、領内の16ヶ所に砦を建設中。総力をあげて半年後、
必ずや会津に火の手を挙げ、家康が上杉討伐に向かうや、
名だたる諸侯を集め、三成殿が大坂で挙兵。東西から家康を挟み打ちに・・。
二つの掌が合う様に、考えが合致したと喜び合う兼続左近

◆◆◆鍛冶職人の心意気◆◆◆
領国・近江国友の鉄砲鍛冶を訪れた三成は、頭領の国友寿斎(笠智衆)
日本ではまだ造られた事の無い一貫玉の大筒を依頼する。
渋る寿斎だったが、朝鮮の役で明国が使っており、
「日本でも出来ねば恥じだ」とまで言われ仕方なく了承する。



~と、そこへ屋外から鉄砲の音が聞こえ、三成が尋ねると、
徳川の御用商人・茶屋四郎次郎が求めた鉄砲の試し撃ちだと答える職人。
茶屋から500丁の依頼を受けた国友を一喝する三成。

しかし寿斎は、国友はただの鉄砲鍛冶。
注文があれば誰の依頼も受けると答える。
「我が領内にあってもか!」と声を荒らげる三成。

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国友村は、今は殿様の領地。しかしその前は織田様、
更に前は浅井様の御領地。そのたびに注文を選んでいては、
我が国友鍛冶は、生きてはいけませぬ~と説く寿斎
(その言葉に、思わず脇差しに手をやる三成・・。)



>私をお斬りになれば、御注文の大筒は出来ません。(寿斎)
>寿斎、脅しかっ!(三成)
>いえ、技。技を頼りに生きている者の、知恵とお考え下さいませ。(寿斎)
>そうか・・・。そうじゃな。知恵だな。(三成)
(両手を床につき、平伏する寿斎)

>その代わり、三成様の御注文、
>命を取られても、他にはもらしません。(寿斎)

>わかった!そち達も、戦こうておるのじゃな。(三成)

▼ドラマ「関ヶ原」 ~前田家の不運~