軍師官兵衛:第39回 跡を継ぐ者 第2幕 | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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◆◆◆大仏と落首(後編)◆◆◆
2月、聚楽第の城門に落首が貼られる。
「大仏の功徳もあれや 槍かたな くぎかすがひは子宝めぐむ」
「ささ絶へて 茶々生ひ茂る 内野原 今日はけいせい 香をきそひける」


増田長盛から報告を受けた石田三成は、
秀吉をからかう落首に怒りをあらわにしながら、
城門の番人17名を捕らえて調査を進める。

報告を受けた秀吉は、自分の事は構わんが、
茶々の事は許さん!と唸り声を上げる。



その後、この事件の犯人探しはエスカレートする一方で、
取調べを受けていた門番17人は拷問の末、死罪に。
疑わしければ年寄り女子供であれ、
手当たり次第に捕らえられ、その数は百を越える。
~という秀長からの報告に苦悶する北政所

◆◆◆官兵衛の出陣◆◆◆
北政所からの手紙により、官兵衛は秀吉のもとに向かう。
すでに百人以上が死罪となっている落首事件。
今の秀吉を諫めて、無事にすむかどうか?と説く
主君を諫めるのも家臣の務めと答える官兵衛

・やっとこさ秀吉の危うさに気付いたのね、光さん。



淀城の完成に喜ぶ秀吉。用向きを尋ねる秀吉に、
意を決して言葉を吐き出す官兵衛

>人は子が出来ると、ここまでモウロクするとは、
>思いもよりませなんだ。
>今、殿下のお子を、世の人々は待ち望んでおりましょうか?

(控えろと命じる三成を、左手で制す官兵衛)

>さきの落首の件、はなはだよろしくありません。
>咎人(とがにん=犯人)が誰だか分からぬゆえ、
>疑わしき者をまとめて殺すなど言語道断。

(まずは、秀吉がカチンとくる言葉で先制攻撃!)

>殿下はこれまで、人を殺さずに、味方に取り込むことで、
>信長公の死からわずか数年で、天下を手になさいました。

(ここからは、道理を説く官兵衛)

>されどこたびの一件で、人々の心は殿下から離れてしまいました。
>茶々様のお子を皆が待ち望む様な世にせねば、
>豊臣家の先行きが危のうござる!

(あんたの為に言ってんだよ!というのを分からせる)

>殿下はすでに齢五十を越えております。
>お世継ぎが長ぜられる頃、すでに殿下はお亡くなりやもしれません。
>その先も、豊臣家の天下は長く続きましょうか?
>生れてくるお子の為にも、とくと考えて頂きたい。

(秀吉の弱点=子供を突く作戦。さあ、秀吉の反応は?)

・今回の最大の見せ場。「軍師ここに在りき」という姿。
 諫言一つにも、「策」が必要なのです。
・軍師とは、戦場で兵を動かすばかりでなく、
 こういう政治の舞台(=日常の中)でも重要な役割を持つ。
 それこそが、このドラマの主題ですね。



※囲師必闕(いしひっけつ)
城攻めでは、まず説得工作を試み、相手が応じない時に初めて攻撃。
その時、三方を囲んで残り一方を開けておき逃げ口を作る。
城全体を囲うと敵は逃げ場がなく、全力で戦いを挑んでくるので、
敵味方の犠牲者が多くなる・・・。

これが、以前、このドラマでも紹介された、
孫子の兵法でいうところの「囲師必闕」という戦法。
今回、官兵衛が用いた策は、これの実務的応用編。

生半可な説得は通じないと悟っている官兵衛は、
秀吉を「敵」に見立てて、攻撃を開始します。

・あんたも子が出来てモウロクしたな。
・誰もあんたの子供なんか待ち望んでないよ。
・落首の咎人探しなど愚策、言語道断。
・子供が成人した頃にゃ、あんた死んでるよね。
・これじゃあ、豊臣家に明日はないね。
~と、あらゆる方向から秀吉を追いつめて行きますが、

追いつめすぎると相手は逆上するのみ。
例え論破して勝ったとしても相手に遺恨が残るだけ。

そこで官兵衛は、あえて、
・豊臣家の将来、生れてくる子供の為に・・・と、
秀吉に「思考の逃げ道」を作っておいたわけです。

前祝いとして金を配ろう!という結論は、
秀吉自身、自ら考え出した案と思っていますが、
実は、そう思わせる点が、この策のポイント。

官兵衛が秀吉に求めているのは「発想の転換」。
官兵衛が考えた案を、秀吉に採用させるのでは、
この隣にいる三成と同じレベルで意味が無いですね。

これ、現代における学生達の「部活ミーティング」や、
社会人の「会議」などでも使える戦法でもあります。(*^ー^)ノ



官兵衛の名を口にしながら怒りに満ちた秀吉の顔が、
突然、笑顔に転じ、大笑いし始める。
咎人探しはやめ、我が子誕生の前祝いとして、
皆に金銀を配るように取り計らう。

しかし咎人探しの件を献策していた三成としては、
自分を否定されている様で、当然、面白くない。

>この時、配られたのは、金六千枚、
>銀、二万五千枚だったという。(ナレーション)


隠居を許さない秀吉。しかし官兵衛の決意は固い。
ならば~と、長政に家督を譲るのを許すかわりに、
黒田官兵衛「個人として」仕えることを命じる。



◆◆◆お世継ぎ誕生◆◆◆
~1589年(天正17年)5月27日~
新設された淀城にて誕生した茶々の子は、
丈夫な子に育つように「棄=すて」と名付けられた。

男子誕生の知らせを受け、喜ぶ北政所(=おね)
しかし、これにより、淀君(=茶々)三成の権勢が、
更に強まることを危惧するマグダレナ

その言葉を否定する北政所だったが、一人になると、
マグダレナと同じことを案じていた。



同じ頃、官兵衛は長政に家督を譲り、
長政は秀吉の計らいで「甲斐守」の官位が授けられた。

秀吉との拝謁をすませた長政は、
福島正則と共に北政所に挨拶に出向く。

黒田家当主となった長政の立派な姿を喜ぶ北政所
隣の正則も「北政所に育てられた者は兄弟も同然!」と、
北政所を守ることを誓う。

・家中で徒党を組んでいるのは、どっちもどっちかな。
 この辺りから「関が原の布石」が始まってますね。

◆◆◆関東の嵐◆◆◆
上洛する気の無い北条家。庇いきれなくなった徳川家。
北条氏政徳川家康の交渉は決裂、
氏政の息子、氏直も父親に同調することを伝える。

・氏政=伊吹吾郎さんですか!久々にジイの姿を見た!
 シンケンジャーの爺(ジイ)も良かったけど、この氏政、
 家康より体格がいいので、すげ~大物に見えちゃう。w

58

小田原攻めが始まろうとしている。いよいよ天下統一の総仕上げ。
しかし、それだけに留まらず、
その先に明攻略戦が待っている事を予感している官兵衛

【次回予告:小田原の落日】


いよいよ「完成形」に近づく、軍師・官兵衛。
降伏する敵から家宝級の謝礼をされた使者(官兵衛)っていうのは、
当時としてもかなり珍しい存在。次回も期待してまっせ!

▼軍師官兵衛:第40回 小田原の落日 第1幕