エシ後屋さんが、
「全否定はいけないことなの?霊的虐待からの回復のために・その1 」で、考えを表していらっしゃったので、私も。
私が前記事「ホロコーストとJWとWT 」を書こうと思ったきっかけは、ある人の記事でエホバの証人たちの兵役拒否を賛美して、「その宗教は本物である」というのを読んで危機感を感じたからです。
気に入らなければ読まなければいい」という考えもあると思います。
しかし、私は、ものみの塔が有害であるのと同様に、JWを本物だと言うブログも有害だと思います。
一部の有益なものを頻繁に強調し、害があることを隠して宣伝を行うものみの塔と同じことを語っていると思います。
全否定をしようがしまいが、全体が毒だと気付いたならば、その中の一部の薬効を強調することに何の意味があるのでしょう?
販売されている自動車に乗員の生命に係わる欠陥があると分かったときに、そのコンパネの美しさとか、ノイズの低さが素晴らしいと語っているのと同じです。
その自動車はリコール対象なんですよ。
メーカーは全力で販売した車の欠陥改修をしなければいけないし、それができるまで販売してはいけないのです。
その車に致命的な欠陥があるならば、販売を全否定されるべきです。
もはや、コンパネの美しさも、低騒音も意味をなさないのです。
人を安全に運ぶ車であってはじめて、それらのことの評価が成り立つのです。
自分のノスタルジーに浸るのは自由だという意見もあるでしょうが、それを脳内に留めておくならまだしも、世の中に出すならば、それは批判されるべきだと思います。
書くのは自由であり、それらの書き込みを強制停止させることはできません。
しかし、私は、そういう記事ができるだけ人目に触れて欲しくないと思うのと、
誰かがものみの塔を賛美する一部の益を信じてしまった場合に、それを真っ向から否定する考えもある事を見てほしいと思って書いています。
以上が私の考えです。