堂山物語 第11話
豪放磊落なおじいちゃんに対して
おばあちゃんは超堅実な人でした。
おばあちゃんのお父さんは
満州で高名な医者だったこともあり
医者つながりで
おじいちゃんとお見合いしたそうです。
戦中に教会で洗礼を受けおじいちゃんの元へ
向かった気丈な祖母でもありました。
おばあちゃんは戦地からの帰還船内で
ゴロゴロと疫病で死んでいくヒトたちをみて
医者のDNAがそう感じさせたのか
戦後、日本には公衆衛生が必要
と肌に感じたそうです。
終戦を迎え
日本に戻ったおばあちゃんは
帰還船での体験と思いを胸に
大阪北摂地域の
TN市・IB市・IK市・S市・TK市の
保健所の所長を歴任し
晩年は障害者施設の園医なども務め
公衆衛生にその生涯をささげました。
そして僕の母が生まれ、父と結婚し
僕が生まれました。
父は結婚当初は某家電メーカーに勤めていたらしいの
ですが、おじいちゃんが亡くなってからは
おじいちゃんの鋳物工場の債務整理の為、退職し
鋳物工場を継いだそうです。
僕が物心付いたころには豊かでは無かったが
決して不幸な家庭ではありませんでした。
3歳くらいの時に僕は
ひいおばあちゃんの家の池を
絶対に無理なのに飛び越えようとジャンプし
おぼれかけたそうです。
幸い正月かなんかで親戚が集まっていたそうで
大事にはいたらなかったそうですが
おじいちゃんのご兄弟の
かずこ叔母ちゃんやただし叔父ちゃんは
茂兄さんの生まれ変わりや!
と笑ってらしたそうです。
僕の幼少期は思えば
超お堅い家系の流れを組む
ちょっと厳しめの教育の両親の下
兄と姉がおとなしい方だったらしく
恐らくであろう兄弟の中では
一番おじいちゃんの血を引いて
アンバランスな感じで育ちました。
兄と姉は幼稚園に通えたのですが
僕は保育所に通いました。
経済的に且つ且つだったのでしょう
ただ僕は保育所通いをほとんど覚えてません。
ご機嫌に通っていたような気がします。
やがて小学校に入学する時に
両親は保育所から同じ小学校に
あがる子がひとりもいないので
友達が作れるのだろうか
と非常に心配したそうです…
両親の心配は大きくはずれてしまい
僕は入学して3日目くらいに
友だちの松木くんと教室内で
2人ドッヂボール(ルールは今考えると不明…?)
でテンションがあがりすぎて
教頭先生の花瓶と窓ガラスを粉々に割ってしまい
両親の心配は
担任の藤丸先生と仲良くなるほど
別方向で大きくなっていくのでした。