2000年9月8日 月形~羽幌 | 2000年 ママチャリ北海道の旅

2000年9月8日 月形~羽幌

自転車のタイヤを取り替えた。
4000円もかかった。チューブも取り替えるよう言われたがそれは断る。
しかし、500円しか安くならない。
出費いてぇ。

とにかく新品タイヤとなって留萌よりよいよ最北端の地 稚内へと向かう国道232号線オロロンラインと入る。
ひたすら海岸線の道。
海から吹き付ける風が物凄い。
また苫前町近くからはアップダウンが激しくなり偉いキツかたった。

だが最北の町まであと135km!あと、もう少し!

ルート図



~後日談~
タイヤの感触が宜しくなかった様での取り替えてみたらしい。
今思えば2回もパンクしているのでチューブも取り替えておけよ、と思うがここら辺からだいぶ旅行運用資金が危うくなっていたのも事実である。
わが住処よりすでに1000km近く離れた異郷にて財布の中身が少なくなってくるのは大変不安。
というかそんな危ない状況で旅をするなと言われればそれまでなのだが。

さて、石狩川沿いの平野部を離れR233を通って日本海へと出る。
留萌市へは途中少しばかり山道となっていたが勾配はきつくなくそれほど苦労はしなかった記憶がある。
留萌市内のセイコマにて昼食をとっていた所、やはり最北端を目指す旅人に出会う。
ここでちょっと驚いた事があり、なんとこの人も、あのいわきから来た彼と出会っているそうだ。
まあちょっとペースやルートが違うだけで、同じ目的地を目指しているのだからさもありなん。
なんとなく旅人の連帯感を感じなくも無い。

留萌の町を出てオロロンラインを北上。
北日本海を眺めつつ、いよいよ旅の一つの区切りが見えてきた感じがする。
かつてニシン漁で栄えたこの地も今ではすっかり寂れてしまった感があり、至る所で廃屋を見かける。
それがいっそう「最果ての地」と行った雰囲気を醸し出させているようだ。
廃屋だけでない。
ニシンともう一つこの地にあった産業である石炭うを運んだ鉄路、旧国鉄羽幌線の廃線跡も点在。
廃トンネルや廃橋が道路沿いに時折顔を出す。


ホント、この鉄路でも旅をしてみたかったなぁ・・・。

さて海岸線を延々走っているのだが、本文にもあるようにけして平坦な道のりではなく海岸線へと張り出す岬を越えたり、たまに内陸部の丘陵地帯を通る事もあり中々大変。
それに海岸からは吹きさらしの風が叩きつけるのでかなり体力を消耗。
しかし、改めて地図を見ると結構な距離を走っており20代前半だった自分の体力に改めて驚く。

羽幌の町につき本日の行程を終了。
最北の町を目前に胸は高まる。


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