飛鳥山は東京都北区役所に近い小山で、JR王子駅に隣接し、桜の名所として、有名だ。
山の東側はJR王子駅とJR軌道になっている。

江戸時代は、江戸八百八町には入らない江戸郊外は王子村だった。
荒川・隅田川の河川敷からつづく低地に張り出した武蔵野台地の端になる。

 江戸時代以前は、飛鳥山は名前のとおり滝野川渓谷で、大川方面の低地は、葦の茂った湿地が多く、江戸時代の初期中期までは、古典落語「王子の狐」にでてくるような人家疎らな土地だった様だ。

安藤広重 王子滝野川


JR京浜東北線王子駅 南口
 
  王子駅の南口からは、線路を跨いで陸橋で飛鳥山につながってる。

王子駅南口から飛鳥山へのアプローチ
  
 
 
 徳川家康の江戸大規模開発のときも王子・赤羽周辺は、鷹場として指定されて、自然を残す為に、鳥獣の捕獲や、大規模工事・市街化は規制された。

 綱吉の時代に鷹狩りが禁止になったが、八代将軍吉宗が鷹狩りを再開するとともに富士山が眺望できる山で、ゆるやかに うねり流れる大川や、周辺の残された自然の 飛鳥山 を膨張し続ける江戸庶民の憩いの地にしようと、1,000本の桜を植え、道を整備し解放した。

江戸時代の飛鳥山詣で
 
これは大成功で、初期に15万だった江戸人口も100万人の巨大都市に発展していくのに連れて、日帰りで行楽できる自然豊かな景勝地として発展した。

王子の高級料理店
 
飛鳥山の眺望、桜見物、渓谷の景勝地として賑わい、、「東国三十三国」の稲荷の頭領である王子稲荷詣でを兼ねて、音無川沿いに茶店が渓谷に沿って軒を並べ、、特に扇屋、海老屋という有名料理店は、裕福層の集いの場所となった。


幕末にここを訪れた英国人も、緑豊かなこの地を絶賛し、英国のテムズ川流域に発展した有数の保養地 「リッチモンド」に例えた。 

安藤広重 王子音無川石堰
 



 残念なことに、この美しい緑豊かな情景は維持されず、明治以降、富国強兵の精神から、緑は市街化し、鉄道は川を暗渠化し、護岸工事で川辺はコンクリートで覆われてしまった。

 飛鳥山東側の音無川

 

 飛鳥山の東側は新幹線のコンクリート高架に隠れ上の部分しか見えなくなった

  この音無川の左の地下には、首都高速王子線が飛鳥山の下を貫いている。

  


荒川流域一体が大工業地帯となり、清流だった音無川にも工場排水が流れ、水は汚れ川底は見えなくなった。
  現在も豊かな自然を残しながら、計画的な田園都市になったイギリスのRichmondパークとは、対照的な時間の経過だ。

 明治初期は豊かな水を利用した製紙工場が発展し、普及はじめの郵便葉書を印刷した。
やがて旧大蔵省幣局ができ日本紙幣の印刷を担った。

現在も国立印刷局滝野川工場で、紙幣を印刷している。 ただ製紙工場は、移転し、紙の博物館に痕跡を残した。


昭和45年完成した飛鳥山展望台
 
 中のフロアが回転してぐるぐる回る当時の最新式だが、現在はない。

最近は、お年寄りでも楽に山に登れるモノレールができた。

飛鳥山公園のアスカルゴ
 
 
現在の飛鳥山公園の一部

 児童用のお城に上ると富士山が綺麗に見えたが、いつの頃からか富士山はビルの影で見えなくなったようだ。

飛鳥山博物館
 
 古代から近代までの貴重な展示がある。

博物館古墳時代の展示
  

名主の滝公園
 
昔の王子渓谷の面影を残す名主の滝

 高度成長時代に、汚れきった音無川の水も、人々の努力により、きれいな水を取り戻しつつある。
  飛鳥山に末永く現在の自然が残されることを望む
      ツーオン