2話で1つの物語を描いており、脚本家の方の癖なのか、その前編に当たる方は非常につまらないため、今回は、2話まとめて雑記を書きたいと思います。
褒めることを期待している方はお引き取り下さい。
元来、仮面ライダーマッハを演じていらっしゃった稲葉友さんがご出演になるということで注目した今作ですが、メインはNGT48ですから、クオリティもその程度。
褒められるところを見つけようとはしていますから、勘違いなされるな。
今回は綿流し編。
双子の姉妹・園崎魅音と詩音が、そのそっくりな見た目を利用して入れ替わっている、という叙述トリックが活かされています。
前作は主人公の圭一の目線で描くことでこそあり得る叙述トリックでしたが、今回は実写でないからこそできる叙述トリックという感じ。
現実では一卵性双生児でさえ、些細な見た目の違いはあるものですものね。
まあそこには目を瞑るとして、脚本。
前々から、「ドラマとは1時間の中で三幕構成や起承転結を作り上げなければならないのだ!」と、知ったように大声で騒いでいる次第ですが、今回もそう繰り返したい。
前編は作品への導入、後編はホラーシーンの数々、というように書いているようですが、そうなると前編の腑抜け感がある。
前編と後編の間に1週間空く、その間にも続きを期待させなくてはならない、という点において、及第点には程遠いでしょう。
原作を尊重するのは大切ですが、尊重というのは〝原作そのもの〟ということではないでしょう?
つまり、その媒体や手法の特質を活かさなくてはならない。
『ひぐらしのなく頃に』はサウンドノベルから始まって、アニメ化、映画化もされたわけですが、それぞれの特質を活かさなくてはならない。
アニメの登場人物がそのまま現実の人に置き換わっただけ、ならばそれはアニメで良い。
実写の、しかも1時間ドラマである限りは、どうしてもその中できっちりと緩急を描き切って欲しかった。
更に後半、園崎魅音が(実際には詩音)圭一を地下で殺そうとするシーン。
あそこがあまりに長過ぎ、あまりに話し過ぎたために、視聴者としては恐怖に慣れてしまった。
恐怖とは、自我の外側にある受け入れられないものだ、という話を聞いたことがあります。だとすれば、恐ろしいシーンであればあるほど、自我を揺るがし続けられる限度ギリギリまで使ったとしても、意味もなく長くあるべきではない。
そしてそこでは圭一は処刑されないわけですが、引っ越すことになった圭一の元に逃亡中も聞かされていた魅音(本当は詩音)がやってくる。
そこでは本当に圭一が腹を刺されてしまう。しかしさっきダラけてしまったためにここではそれほど恐怖心を誘われない。
刺されるんだろ? と概ね予想がつく。
そこでもなんとか生き延びる圭一であるが、最後に病院のベッドで、端から出てくる魅音を見る。
これはどうやら雛見沢症候群で見た幻想ということらしいのですが、ここでもちんたらと全体を描くので、恐怖心が薄らぐ。
もちろんこれは、ゲームでは存在しえなかった問題です(文字が一気に出るために、時間的な恐怖の減衰を恐れる必要がない
演出については、1,2話よりはこちらの方が幾分良かった。
違和感を禁じえないところは多々ありますが、それでもテレビ東京の深夜ドラマ、くらいのクオリティはキープしたと思います
残るは5,6話……今シリーズ中、いちばんまともな作品になることを祈ります。