昨夜、子どもを抱っこしながら、夕飯を囲んでいると、
ボブディランがノーベル文学賞を受賞、と友人から連絡がありました。
まさか、だよね、と友人はメッセージで言っていたんだけど、
ちがいます。
まさかではありません。
ずいぶん前にも書いたけれど(以前の記事→http://ameblo.jp/turi-saito/entry-11468423743.html)
私はボブディランの大ファンです。
ボブディランのノーベル文学賞ノミネートは少なくとも、
18年くらい前からはじまっていたことは、ファンのなかでは周知の事実です。
なので、今回の受賞は、私的にはすごくうれしい。
18才の頃から聞き始めて、いまでもボブディランの歌はよく聞いています。
なぜ歌手の彼が文学賞なのか?とネット上でもそこそこ話題になっていますが、
ボブディランほど偉大な歌手なら何賞でもかまわないんじゃないかと、勝手に私はおもっています。
彼の偉大さは
「周りを一切気にしない」
こと。
今年の春にしばらくぶりに彼のライブへ友人といってきましたが、
まずボブディランのライブは
「観客のために何かをする」
というものではありません。
なのでボブから観客への挨拶はなし。
サンキューの一言もなし。
MCも曲の話もなし。
ないものずくし。
そしてすべての曲は彼自身のなかでいつでも組み換えられていくので、
知っている曲でも知っている形では演奏されません。
よく知られている有名な曲でも、まったくちがった演奏とメロディ-で歌われるので、
原曲はほとんど形をとどめていない。
なので、聞いている側としては、元の記憶で曲をたどるということができない。
なのでボブディランのライブでは、
「常に新しく動いているアーティストの内面に、こちらがどれだけついていけるか」
ということを強いられる、とでも言えば合っているかな…。
昔ボブディランをいっしょによく聞いた友人とライブに行ったのだけど、
ライブが終わって、いっしょにハードロックカフェで話しているときに、
風に吹かれて、が演奏されなかったよなと、と言っていたけれど、
ちゃんとライブのなかでは最後に演奏されていました。
それくらい元の曲はわからない。
とにかく彼のアートは常に自分に向かい合っているのですが、
それでいて、彼のライブは本当に生き生きしている。
そして彼が出すアルバムはいつも新鮮です。
1960年代に活動をスタートさせ、21才でデビューを果たし、一時期、売れなかった時期もあるけれど、
2001年頃からじわじわと復活しはじめて、
70才を超える今でも、アルバムがヒットチャートに乗るほどの元気さ。
50年を超える長きにわたって、まったく外側の軸に動かされず、セルフパワーを保ち続けるボブディランは、僕にとって「偉大なアーティスト」以外何者でもありません。
ついついボブディランのことを語りだすと長くなってしまうのだけど…。
今回の受賞で僕がいいたいことがあって、このブログを書いています。
「ノーベル文学賞とったのだから、一度聞いてみよう」
という人。
気をつけてくださいな。
彼の歌を好きじゃない人ってほんと好きじゃない人は好きじゃない。
しゃがれ声だし、メロディ-もよくわからない。
ノーベル文学賞とったんだから、じゃあ詩がすごいのかと言われると、
それもよくわからない。
何がいいのか、よくわからない…と感じる人、きっと多いとおもいます。
僕の周りで
「ボブディランが好き」
という人にはなんとなく共通項があって、
それは
「現実ってどうよ?」
って、いつも感じている人たちのような気がしています。
もしボブディランの受賞で、いまからボブディランを聞いてみようという人がいたら、
「現実ってどうよ…?」
っておもいながら、一曲に集中するんじゃなくて、
手にとったアルバムをとりあえず流し続けてみてくださいな。
そうすると、アルバムのむこうからボブはいつでも
「お前の現実ってどうよ…?」
と語りかけてきます。
そうそう。話は変わるけど。
村上春樹もずっとノミネートされていますよね。
実は私がボブディランを知ったのは、
高校のときに読んだ村上春樹の「世界の終わりとハードボイルトワンダーランド」から。
私の内側でとても近い場所にある村上春樹とボブディラン。
なのでその二人が同時にノミネートされ、
まさか村上春樹とボブディランが受賞を争うなんて…。
(たぶん本人たちはまったく争ってないけど)、
なんとも不思議な心境です。
というわけで、ボブディランの曲を何曲かはりつけてみます。
これはボブが若いころの傑作。
激しい雨が降るとは、実際には核の恐怖を歌ったものです。
ボブ自身も、何かをつきぬけた、と表現したこの歌。
詩と歌とギタ-の融合が、彼の音楽の初期の頂点に達しています。
そしてロックの金字塔。
この演奏をしているときのボブは実際には麻薬の影響でかなりふらふらになっていますが、彼の心の内側を流れるものが溢れ出でています。