いざ馬から距離を置いてみると、
自分の主体性や目標や、将来に対する(あると思っている)彗眼が、全くもってなまくらの、信用に価しないものだと気付かされてしまう。
成長とは、確かに自分に生じるものなのだけれど、
蔦が、それだけではどうにも天へと馳せていけないように、何かを示軸としなくてはならない。

軸 が馬であるかどうかではなくて、
蔦 が必ずしも自分自身でなくてもいいように、

今感じる不安と視野を決して忘れないようにしよう。
大切なものは、いつでもどんな時でも、大切なことに変わりはない。