今日、私が行ってきた所は、医王寺。

みなさん、今日は歴史の話して良いですか?ww

歴史興味なかったらごめんなさい!
今日は写真より文章長めになるかもですww

医王寺はお寺なのですが。
源義経にゆかりがあります。

源義経の家臣で義経四天王に名を連ねる二人。
佐藤嗣信、佐藤忠信兄弟が祀られているお寺です。

皆さんは源義経の家臣と言われてパッと思いつく人と言ったら
武蔵坊弁慶や那須宗高(与一)や伊勢義盛あたりがメジャーどころかもしれませんが

今日は是非、佐藤兄弟を皆さんには覚えていただきたいなーと思いますw

佐藤兄弟は義経が平泉から挙兵して平氏討伐に参加する時に、藤原氏から付けられた家臣です。

兄弟は義経と共に幾つもの合戦に参加します

佐藤嗣信(兄さん)
雨降って地固まる

平氏を滅亡させた壇ノ浦の戦いの一つ前の戦いである屋島の戦い(那須与一の「扇の的」で有名な戦いです)
そこで兄の嗣信は義経を狙って放たれた矢を自らが盾となり主君の身代りとなって討ち死にします。


佐藤忠信(弟)
雨降って地固まる

弟の忠信は、義経が頼朝と対立した際に京都から脱出を図る義経の身代りとなって戦い討ち死にします。

このように佐藤兄弟は、そろって主君である義経の身代りとなって討ち死にしたことから武士の鑑とされている存在です!
雨降って地固まる


その後、義経は弁慶らと共に平泉へとのがれる途中、佐藤兄弟の父親である佐藤基治が治めていたこの福島の地に立ち寄り、佐藤家の菩提寺である医王寺に遺髪を納めたのでした。

佐藤兄弟の家族も立派な方々です。
兄弟の母親は乙和御前というのですが、乙和御前は息子二人が亡くなったことで酷く悲嘆してしまいます。

佐藤兄弟にはどちらも奥方さんがいました。
兄弟の奥方さんは乙和御前の悲しみを察して、
義経が福島に戻ってきた際に、奥方たちが佐藤兄弟の甲冑をまとって、義経と共に兄弟が凱旋した風を装ったそうです。

自分の御主人が亡くなり、未亡人になってしまったと言うのに、義母である乙和御前を思ってそんな行動をするだなんて。
なんという一族の絆でしょうか。すごいですよね。


この医王寺には「乙和の椿」というものがあります
悲しみにくれた乙和の心が乗り移り、椿が花を咲かす前につぼみのまま落ちてしまうのだそうです。

雨降って地固まる-乙和の椿

↑どうでしょう、右側の椿は花を咲かせているのに
乙和の椿は花が一つもないですよね!



雨降って地固まる
↑佐藤兄弟の公墓


雨降って地固まる
↑佐藤兄弟の父、佐藤基治の公墓

佐藤基治も後に義経が平泉へと逃げていく際に、頼朝の追討軍から義経を守るために福島で奮戦し討ち死にします。
佐藤家の義経への忠義はほんとに恐れ入ります。

福島県の白河市にも、佐藤家と関わりのあるお話しがあり
佐藤兄弟が義経に従って鎌倉へ向かう際に、父親である基治が白河まで息子のお見送りに行きます

基治はその場所に桜の杖を持ってきます。
それを地面に突き刺して、二人の息子が義経への忠義を全うするならば咲け!そうでないならば枯れてしまえー、と願を掛けた所、その後見事に杖は成長し、花を咲かせた!という桜が白河市にあります。
「庄司戻しの桜」と言います。

その桜もいつか見に行きたいなw


医王寺本堂
雨降って地固まる


薬師堂
雨降って地固まる


松尾芭蕉も医王寺を訪れ一句残しています。
雨降って地固まる

笈も太刀も 五月に飾れ 紙のぼり

医王寺には弁慶の笈や義経の太刀が所蔵されています。
そういったことから読まれた句なんでしょう。

弁慶の笈、義経の太刀、どちらも5月の端午の節句に、こいのぼりと一緒に飾ってくださいな。ってことでしょうか。

だとしたら自分はもの凄くタイムリーな時期に医王寺に行ったことになりますねw

と、医王寺参りはこんな感じでした!

みなさん今日は佐藤兄弟。覚えていただけたら嬉しいですw

今後ドラマや映画で義経が描かれる時があったら、佐藤兄弟。注目してくださいね(*^▽^*)

もっと語りたいけど、ピグでお会いした時にでも、興味がありましたらお話し聞いてください(なんてわがままw)


今日のおまけ
雨降って地固まる

お寺周辺で出会った猫さん。
めちゃくちゃ警戒されてるーー。
きみ、ちょっと目が怖いよ(;´▽`A``