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栞 和田重正著「もう一つの人間観」復刊に寄せて に書いたこと

 

自湧社から復刊された、和田重正著「もう一つの人間観」の栞(2023.9月発行)に

書かせて頂きました。こちらに保存しておきます。

今こそ読みたい、素晴らしい本です!

 

 

和田重正先生、お写真の目が優しく澄んでいて、一度お目にかかりたかった。

 

以下本文

 

「私」=「いのち」を自覚する時代が始まっている

 

 今、人類の進化のパラダイムシフトが起こりつつある。コロナ禍、ウクライナ戦争、地球温暖化、自然災害……日本に目を向ければ、経済の衰退、少子化……行き過ぎた科学文明が臨界点に達して、世界が行き詰まっている今だからこそだ。

 

 40年前に和田重正は『「大脳」(=「エゴ」と同義)の欲望を拡大していけば、必ず行き詰まる。その時、人間は自分が「いのち」(=「全体意識」「神」「仏性」「空」「ワンネス」等と同義)であることを自覚する。』と書いている。(カッコ内は筆者補筆)つまりいわゆる「悟り」の境地だ。自他の区別も時間も空間もない世界。誰もが、キリストや仏陀のような意識に至る……人類はその方向に進化していく、というわけだ。

 

 『いかなる問題も、その問題を生み出した時と同じ意識レベルで解決することはできない』とアインシュタインが言っているが、我々の意識が目覚めることでしか、人類の存続の道はないのかもしれない。そして、最新の物理学でもそういう世界がだんだん解明されてきているようだ。

 

 20年位前この本を初めて読んだ頃、自分より遥かに大きい「いのちの世界」が自分の外側にあり、自分がその場所に手を伸ばして繋がっていくようなイメージを持っていた。今は逆に、自分の中に「エゴの自分(左脳)」と「いのちの自分(右脳)」が両方同時に存在しているように感じることがある。要するに「私」=「いのち」である。「私」の認識がずいぶん大きくなったものだ。重正の言いたかったことはこちらであろう。普通のおばさんである私ですら、こんなことを感じるとは時代が変わったものである。重正の予言した「母の時代」の始まりである。

 

 そして若者たちにも「シェア」の思想が広がっているようだ。科学技術の最先端のインターネットやAIがそれを後押ししているのかもしれない。楽観的すぎるだろうか?重正がこの時代に生きていたら、何を思うのだろうか?

 

 教育者であり、思想家であった和田重正は、誰でも知っているというほど有名ではない。新興宗教の創始者にでもなれば違ったのかもしれないが、彼は一生涯「庶民」であり続けた。文章はちょっとまどろっこしいところがあるが、それは「この自分とは何ものだろう」と問いながら暗中模索する迷える我々と同じ目線で語っているからだろう。「僕はこう思っているけど、君はどう思う?」と、遠慮がちに問いかける。我々が自分で答えを出すしかないのだ。

 

 それは「はじめ塾」の教育と同じだ。重正が創設した「はじめ塾」は、現在塾長が3代目になり80年も続いてる。ウチの息子も小1からお世話になり、中学の3年間は寄宿させて頂いていた。20年経って思えば、子どもの教育以上に親(私)の育つ場であったということを実感する。

 

 「はじめ塾」は「塾」といっても、いわゆる勉強だけではない。山や川で遊び、みんなで食事を作り、田畑を耕し、また、映画を作ったり、伝統芸能である「能」を演じたりもする。不登校の子もいれば、ADHD的な子も、学校の成績優秀な子もいて多種多様。また親もしかり。みんなそれぞれの特徴を認め合って、共にゆるやかに風通しよく生きる場となっている。「シュタイナー教育」は「自由への教育」と言われているが、私は「はじめ塾」もまた稀有な「自由への教育」の場だと思っている。

 

 『「大脳」が己の役割を果たしながら、その個体を「いのち」の目指す進化の方向に従った生き方に乗せることができるかどうか?できるとすれば、どのようにすればよいか?』と、重正は問う。瞑想・ヨガ・呼吸法・祈り……古今東西あらゆる方法があるが、そういった特別のことをしなくても、その答えが「はじめ塾」の共同生活にあるのだ。

 

「はじめ塾」に飾ってある重正の言葉。「ケチな根性はいけない」「イヤなことは避けないで」「ヨイことはする」。これを「幸せの扉を開く3つの鍵」と言って、子どもたちにいつもポケットにしまっておくように話していたそうだ。他にも「今ここ」「本気」「手放す」「一歩前へ」「求めず」……など、様々なキーワードを残した。

 

「いのち」の目指す方向に従った生き方をするには「頭で損得を考えるより、今ここを本気で行動する。そうすれば道は開ける。開かなければ違ってたんだから、それは手放して仕切り直す。」ということであろう。身体感覚や直感を磨くのだ。「はじめ塾」では、事あるごとに、この思想に戻って生活している。

 

 ここに関わった人間は幸せであるが、直接関わらなくても「もう一つの人間観」の中に、そのエッセンスは満ちている。人生冒険の途中の一杯の水のように我々の喉を潤してくれるのだ。

 

(おがわちあき /グラフィックデザイナー・はじめ塾 塾生OBの母)

 

 

 

 

⚫️10年前に和田重正先生について書いた記事