篠森神社




篠森姓の由来

元は愛媛県愛南町一本松地区の篠山付近に居城していた篠森左近之丞が長宗我部氏によって落城した後に愛媛県東温市松瀬川の水越という谷に一族郎党共に落ち延び、そこに定住した事に始まる。

徒然に想う 落人の里-松瀬川水越地区 - FC2


由来碑
伝説によるとここ水越は落人の里と言われている。
南予一本松町土佐の県境にある篠山に城を築いていた篠森左近之丞は
土佐の長宗我部の席捲にあい落城一族郎党と共にの地に落のび住み着いた。
時は天正年間のことと伝えられる。
後世末裔ら住民は篠森神社を氏神として頭首左近之丞を祀って来た。
而して安住の地を築いた住民は時代の変遷とともにこの地を後にし
平成七年遂に無住の地となる。
2000年を期し後世のために之を記す。
平成十二年十二月吉祥日

長宗我部元親の南予への侵略は1580年頃だから430年程前に落ち延びて来たのだろう・・・と想像する。

篠森姓について調べてみると・・・そこにも落人伝説が出ていた。
「元は愛媛県愛南町一本松地区の篠山付近に居城していた篠森左近之丞が長宗我部氏によって落城した後に愛媛県東温市松瀬川の水越という谷に一族郎党共に落ち延び、そこに定住した事に始まる。
現在愛南町に「篠森」の姓を持つ人はおらず、現在の篠森姓は全てこの水越が発祥の地であるとみていいだろう。現在水越は無人であり、水越付近の松瀬川に篠森姓は多くみられる。
愛媛県外にも散見されるが、主に東温市あるいは松山市に見られる姓である。」



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