義父の他界

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ご無沙汰しておりました。
昨年の夏から、あまりにも慌ただしい時間を過ごしておりましたが、新しい年を迎え、少しずつ少しずつ、落ち着きを取り戻しています。





9月某日、義父は他界致しました。
春先に3度目の転移が見つかり、入院治療を受け、通院、入退院を繰り返しておりました。





家族として、夫の妻として、どのように看取る気持ちを持てば良いのか。
幼い子ども達に、祖父がこの世を離れていく様をどのように受け止めさせて行けばよいのか、母としてどんな背中を見せたら良いのか。


振り返れば短い時間でしたが、必死に考えて考え抜いていました。












主に子どもの安全を巡って、いがみ合うようなケンカも、さんざん繰り返しました。
(例えば牛乳アレルギーのウニョコに乳製品を繰り返し食べさせてしまうなど)

理不尽な扱いも受けて、伝わらない、理解されない悔しさで眠れない夜も何度もありました。





結婚して10年経ち、子ども達も最低限の手が離れ、私の心の余裕が出てきた矢先の、義父の転移発覚でした。





過去の確執にこだわっていたら今でも消化しきれない、わだかまりが残っていたでしょう。
けれども、それもどうでもよくなりました。


義父は紛れもなく、3人の孫に愛されるお祖父ちゃんでした。私が鬼嫁全開で義父母と口論し、戦って、子ども達の安全を守り抜いた甲斐はありました。子ども達はすくすく育ちましたから。
その子達を義父は大変可愛がってくれたのです。



これが答えだ、これで良いのだ。と、全て水に流れていきました。







遺影をなでて次女は泣きました。



この遺影の写真、私と夫の結婚式で撮ったものでした。10年前の、満面の笑みで写っています。


もっと新しく凛々しく写った写真を用意していたのに、何故か行方不明になって探しても見つからず、やむなく10年前の写真を使うことになりました。

この結婚式(同居生活の一日目)に撮った写真が、同居の終了を示す遺影に使われたということ。 私にはなんとも不思議で、昇華に導かれた気分でした。





もともと手話は好きでした。
けれども幼い子どもを抱えながら学び続けるのは容易ではなく。時には泣く子の手を振りほどき置き去りにしてでも夜の手話講習に通い、身内に咎められても譲らず、私はこだわり続けました。
どうしても伝えたい相手がいたから。

私が意地になり手話を学び続けた動機は決して綺麗なものではありません。






腹、真っ黒!!ドクロ




それほど強い意志を私に持たせた相手を失って、葬儀が済んで数ヶ月・・・ツブゾウは迷子になりました。本当に不思議なものです、居ないのです、あれほど存在感を放っていた人が。










頭、真っ白!!!ドクロ





今、少しずつ、手話を学ぶ動機を方向転換していこうとしています。
止める気はありません。多分、私のこの珍しい経験が、きっと誰かの役に立てるでしょう。




そして10年の節目を迎え、リスタートするのです照れ