フジテレビアナウンサー 梅津弥英子 | アナウンス研究コピペ保管庫

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フジテレビアナウンサー 梅津弥英子


umedu


吟遊詩人だの天女だのと、他のアナには大仰なキャッチフレーズ
をつけてるのに、なぜこの人だけ簡素に「フジテレビアナウンサー」
とだけ枕につけているのかは理由がある。


00年入社の梅津弥英子は20世紀最後のフジテレビ入社アナ。
同期にはチノパンこと千野志麻政井マヤ、子会社である
共同テレビの3人を合わせると、00年は女子アナだけで
6人も入社していることになるが、品格、美貌、カリスマ性に
ついては同期のなかで梅津が頭一つ抜けている。


彼女が入社したと同時にフジテレビを退職したのが長らく
フジテレビを支えた八木亜希子、梅津入社当時のアナルーム
にはまだ小島奈津子がいて、宇田麻衣子もいた。
また梅津の次年度入社が高島彩であり、00年は世紀末で
あると同時に、フジアナにとっても時代の変わり目といえる
時期でもあった。


01年に入社した高島が明けても暮れてもフジテレビの顔として
君臨するようになるのが02年以降ぐらいからなので、それ以前の
フジテレビを知っていて、今でも現役のスーパースターに名を連ね
ることができるのはこの梅津弥英子だけである。


フジ社屋のお台場移転は90年代後半だが、梅津が入社した
ころは河田町の空気がまだ番組全体に残っていた。
私にとってのフジテレビの原風景とは河田町時代のカルトQ、
アインシュタイン、カノッサの屈辱、音楽の正体など深夜の危険な
香りのする番組の数々。
これらのマニアックで危険なエッセンスが昼の番組やゴールデン
にもどこかしら散りばめられ、少なからず影響していてかつての
フジテレビの番組にはどれも躍動感と勢いがあった。

そんな局のカラーにフジアナのエース級の面々は非常に合って
いて(合わせていて?)八木亜希子、小島奈津子、中村江里子、
近藤サト、宇田麻衣子
といったビッグネームはアナウンサーである
以前にフジのカラーを全力で守っていたソルジャーだという印象が
私にはある。梅津弥英子はそんな時代を知る最古参の若手(ギリギリ)
であり、梅津自身も古き良き「フジテレビアナウンサー」の雰囲気を
持った最後の人物だと私は見ている。彼女のキャッチフレーズを
「フジテレビアナウンサー」と簡素なものにしたのはこういった訳な
のである。


ルックスは学生時代セントフォースに所属していた時期の
芸名「高石百合子」の名に恥じない百合のような可憐なもので、
30歳を越えた今でも美貌はフジのなかでもトップクラスを誇る

と思う。やや長身で色白、なんといっても立ち姿が良い。

いつもは女帝のようにフジに君臨する高島彩も梅津と並んで

共演するととたんに存在感(オーラ)を失ってしまう。

アナウンスも良い。声質はリリコタイプで優しく、超美声というほど

ではないものの彼女の読みには透明感がありつつ、艶と色気も

同時に感じさせる。彼女は声といい全体的な見た目といい「清純」な

空気を持っていて、色気のなかに爽やかさを感じさせる、

アイドルアナとしてはこれ以上ない資質を持っている。


先述したようにフジは02年ごろから空気が変わった。それ以降も

躍動感を保持していたのは皮肉にも外様の杉崎美香率いる

「めざにゅ~」(03~)ぐらいなものでそれ以外のフジの番組は

何を見ても少し物足りないものがある。しかし今でも梅津弥英子が

少しでも番組に登場すると、「あの日」のフジの記憶がよみがえる

ような気がしてならない。
(もちろん「女子アナ」としては現役バリバリ第一線のナンバーワンアナ
である石本沙織戸部洋子は梅津弥英子を越えた資質と才能があるが、
「フジアナ」としては梅津以上の人物は今はいない)


05年に「出来ちゃった結婚」でファンを驚愕させたが、
彼女の持っている「清純」の意味は「出来た出来ない」「やったやらない」
という俗世的な価値観に縛られた事実の評価では動かされない、

フジテレビの歴史と伝統に裏付けられたメタレベルでの概念なので、

このことは梅津を語る上ではそれほど重要ではないだろう。
とにもかくにもフジテレビを語る上では外すことが出来ない偉大な
スーパースターが梅津弥英子なのである。