スターウォーズEP9観てきたので感想。


とても良かったです。

王道のストーリーで

無駄なくうまくまとめていて感動したのですが、

色々レビューを見るとこんなのスターウォーズじゃない、つまらなかったと言っている人達が多いことにびっくりしています。


そこで、色々書籍などで既に散々言及されているとは思いますが、スターウォーズをスターウォーズ足らしめている要素について改めて考えました。


STARWARSは戦争映画ではありません。

忘れてませんか?

そもそもスターウォーズにお前らは何を求めてるの?というやつです。


【これが描けていればスターウォーズ】


・父と子(又は師弟関係などそれに準ずる関係)の確執とそれを乗り越える主人公


・自分自身の闇(出自)との闘い


・様々な個性・バックグラウンドを持つ仲間達との共闘(人種差別のない世界の実現)


・宇宙船の中でのチャンバラ



これです。

上記の文を見ただけでスターウォーズの話だと

わかりますよね。


とりあえずこれまでの設定やキャラを使い続けることでいわゆるSTARWARSらしさは補強されていますが、


上記のテーマが描かれていればあとは

本当はどうでも良いんです。

どうアレンジしても良いんです。



みなさんが色々ケチをつけているフォースの設定とかについても、そもそもが上記のテーマをくっつけるための設定のひとつでしかなく、フォースで出来ることなんか時代時代でアレンジされるのが普通でしょう。


そもそも宇宙船の中でチャンバラ出来ることがおかしいですよね?

とにかく細かいことは

May the force be with you


で全てOKですよ。

みんなフォースに導かれている。



レイア姫が宇宙遊泳しようが(笑ったけど)

フォースを持つ人同士でライトセイバーを瞬間移動させようが、ましてやルーク・スカイウォーカーが偏屈じじいになってようがどうでも良し。

てか、ルークの描き方とかお前に決める権利ある?何の思い入れ?



だから

EP2とかEP8とかが

やや評価が低いのは理由は単純で、

例えば恋愛要素とかが多めで、

上記以外の要素が少ないからです。

恋愛要素はSWを構成する要素としては必須ではないですから。


スターウォーズはまだ続くらしいですが、

次はどんな形になるんですかね。

色々言いましたが、僕も「こんなのスターウォーズじゃない!」という日が来るかもしれないですね

超久々の更新です。

撮ってませんがアイス本体はかなり黄色いです。


巷で話題の卵焼き味。
実は過去にコーンポタージュ味とかも食べているのですがめんどくさくて記事にしてませんでした。

少しミルクっぽさもあるのでプリン味🍮と言えないこともないけどやはり別物で、卵の風味がものすごく強く、一口目はちょっと生臭い感じがするくらい。
でもすぐ慣れますね。少しだけ和風のミルク卵味みたいな感じ。
外側の皮の部分に卵焼きの細かくしたやつが練り込まれていてちょっとクレープ的な歯応えを一緒に楽しめるのもポイントです。
かき氷部分は冷たいからか
あまりはっきり風味がわからないのですが、すごく味が「濃い」です。喉が乾く感じ。
濃厚なんだけどしょっぱさを感じるまではいかない絶妙な甘じょっぱさみたいな。

トータルで絶妙にまとまっている
流石の仕事だと思います。
このキワモノシリーズのなかでも
これならまた買っても良いかなという感じ。
ごちそうさまでした。

今回の評価
★★★★☆
4.0


今回は平成ライダー8作目。

人気作の電王です。


実は初めて見た平成ライダーがこれでした。

書こう書こうと思って後回しになってしまっていたのでスッキリ。



今回も

"仮面ライダーとは「異形である故」の

①「葛藤」

②「痛み」

③「自身の存在意義」

3つのどれかがちゃんと描かれていて

バイクに乗っていればいい"

理論に則ると


電王は②「痛み」をメインに描いた作品であると言える。

(ちなみに良太郎が階段や自転車で派手に転ぶシーンや、ボールが頭に当たるシーン、戦闘で身体に負担がかかっていることがわかる演出など表面的な「痛さ」描写も実に多いと思う。)


大きく分けると、メインどころは


I.

放課後の部室=デンライナーの食堂車にいつもたまっているボンクラのイマジン達とは「いつか別れないといけない」が、戦うほどそれが早まってしまうという【良太郎】の痛み

II.

未来を守るため変身して戦うたびに周囲の人、特に愛理さんが自分の事を忘れていき、いつかは消えてしまうという板挟みによる【悠斗】の痛み


の2つである。

実は他にもあるが後述。



この仮面ライダーで特徴的なのは仮面ライダーにおいて主人公の葛藤や痛みと結びつきやすい「自身が異形である」点をまるごとイマジンに託している点。

これによって主人公1人の内面描写よりも描ける「痛み」の幅が広く、それがより視聴者を感情移入しやすくさせている。

むしろ本来的なライダーの異形さは2号ライダーである悠人=ゼロノスの方が強い。


良太郎自身も「特異点」としての異形さはあるが、あくまでそのチート能力は痛みを増幅させるための装置であり、それ自体に良太郎が悩んでいる描写はない。


そして「③存在意義」も実は書かれている。

それは主人公の存在意義を描くのではなく、

「視聴者自身の過去の記憶」の存在意義である。

劇中で「どんな辛い記憶でも、それが今の自分を、未来を作っている」

過去の記憶のたった1日分でも欠けてしまい、連続性が失われてしまったら、今いる大事な人と出会えなかったかもしれない」

というような描写を重ねることで、

観客に体験させている、

エンターテイメント的な体験型アトラクション。


物語が終盤に近づくにつれ放課後の部室=デンライナーの食堂車でイマジンらがわちゃわちゃやってるのがいつまでも続いて欲しくて、なんか切なくなります。

この感じは良太郎というより、見ている我々の方が強く感じる部分だと思う。


実は、良太郎・悠斗の痛みに加え、


III .

視聴者自身が感じる痛み


が入り、


さらに後半になるにつれ


冒頭Ⅰ.の良太郎の痛みに対応する


.

イマジンの痛み

を我々視聴者が想像してしまう作りになっており


これまでのライダーで一番登場人物に感情移入させやすい作りになっている。多分これが人気作の所以。



ただ、どうしてもタイムパラドックスの要素が入ると、そうなりがちなんだけど、感情移入のハードルが低い割に、本筋の話や設定は恐らく平成ライダーイチ難しい&わかりにくい。

ジオウなんかより全然わかりにくい。

多分うちの子供らとか電王のメインストーリーを全く分かってないと思う。


本編と映画を繋ぐ回で、色んなところから良太郎を連れてきた結果、イマジンが消えてしまいそうになる話とか、終盤の良太郎のお姉ちゃんはどういう状態なのか?など正直本編を見ただけではよくわからず、他の方の考察の記事を見てやっと分かったという感じです。


本編のストーリーや伏線にこそ感動的な要素や上記①②③が全て含まれているのだけど、分かりづらく、作り込みが多重的すぎるのが原因で、平成ライダーの中でも、一番オタク向けの作品にはなっていると思うけど、平成ライダー全体としてはダブルなどと比べ、実はワリを食っている作品だと思う。


あと、白倉さんだか誰か言ってたけれど、

デンライナーが登場する事で、他のライダーとのクロスオーバーがしやすくなった。これがいわゆる対戦系の春映画がシリーズ化した事の直接の原因、との事。


そういう意味でもエポックメイキング的な作品だったのだなと。


まぁもう春映画はやらないって話だけどね。


是非またもう一度じっくりと見たい作品。

今回は再評価著しい平成ライダー6作目のブレイドです。


トランプやバトルファイトなど設定としてはやや取っ付きにくく、正直話は追いにくいものの、最終回はその要素をうまくまとめた感があり、評価が高いのも頷ける作品だと思います。


この作品のテーマは「ヒーローとは最初からヒーローなのではない。自分の意思でヒーローになるのだ」

です。


市井の人達がそれぞれ自分の弱さと向き合い、失敗しながら少しずつ自分の信じるやり方でヒーローになっていく過程を描いています。


睦月とか始とかタッジャアーナサーンそれぞれが自分の弱さと向き合いながらずっとのたうち回っているのに比べ、主人公の剣崎だけは割と飄々としているように見えます。


作品のテーマ性とラストへの伏線が強く提示され始めたのは、永遠になくならない無限ジュースを飲んだり吐いたりする迷惑すぎる家出少女の「みんな結局戦うのは自分の為。本当はヒーローなんかいない」

に対して、

広瀬さんが「ヒーローになろうとしている男ならここにいる」(だっけ?)

と答える台詞が出てきたあたりからではないでしょうか。



【仮面ライダーとは「異形である故」の

①「葛藤」②「痛み」③「自身の存在意義」

の3つのどれかがちゃんと描かれていて、

バイクに乗っていればいい】理論に照らし合わせると、これまでの実質的な主人公は始さんでしたが、


「ヒーローになる事を選んだ普通の人」という作品のテーマを体現する存在として、剣崎にフォーカスが当たり、ラストに向かう伏線になった話なのではないかと思います。


その後の有名なラストはご存知の通りの展開ですが、仮面ライダーとして物凄く高い評価を受けているのは、剣崎は最終的に上記①②③をかなりハッキリとした形で解決しており、それが設定や伏線の回収にもなっているためです。

ライダーをやる事で給料が振り込まれる、いわゆるただのサラリーマンだった剣崎が、本当のヒーローになった瞬間。


ヒーローになるのは生易しいものではないし、大きな犠牲を伴う。

この辺はクウガなどとも共通するテーマでもあるし、ブレイドはそれまでの平成ライダーの集大成のような作品と言えるのかも知れません。


ちなみにこの作品の感想と言うと必ずと言って良いほど「前半がグダグダ」というのがあるのですが、各登場人物の成長をメインで描く以上、最初は各ライダー共未熟である必要があるからで、その段階ではそれぞれの登場人物が自分の事しか考える余裕がないんですよね。


故に軋轢が起こるし、戦う目的に一貫性がなく、話が進まないもどかしさが出てしまうのはしょうがないんです。

あと多分ですが、序盤では各ライダーの書き分けをわざとしてません。みんな同じように周りに振り回される一般の人として無個性に見えるように書いている。

氷川くんが4人いる的な。


スカッとするシーンもあまりないため、それが序盤の特徴になってしまっており、作品の評価の低さがここに集中してしまっています。


何しろ教え、導く人が誰もいません。

嶋さんが出るあたりまで、まともな大人と呼べる人が出てきません。

オーズの感想で書きましたが、最初から揺るぎない自己を確立している大人がいっぱい出てくるオーズや、最初からヒーローである事を受け入れているクウガとは安定感が全く異なるのです。


あとどうしても触れておく必要があるオンドゥル語ですが、これは…!と思ったのは1話だけです。

タッジャアーナサーンはけっこう後の方でも危うい時があるんですが、後半は剣崎はだいぶ聞き取りやすくなってると思います。


あと、各インタビューが面白いのでまだ見てない人は是非見てください。

何故天音をそこまで庇うのかタッジャアーナサーンが始に「あれはロリコンだからでしょ?」と聞くシーンの一連のやり取りとか、あの凶暴性を引き出す謎の植物のプールが「もずく風呂」だった事とか、鈴鹿ロケに連れて行ってもらえなかった虎太郎にメインのライダー俳優達がテレビ電話をかけたらキレられた話とか。

今でもライダーの4人は仲が良いみたいでファンとしては嬉しい限りです。


今回は仮面ライダーオーズです。


全話見た率直な感想として、意外とあっけないラストであっという間に終わってしまったという印象がある。でもそれだけ視聴のストレスが少なかったのだと思う。


オーズのひとつ前のWが象徴的なのだけど、ディケイド以降の平成二期ライダーから、仮面ライダーは「相棒(buddy)」との一対一のストレートな関係性の中で戦いを通しお互いの成長を描くストーリーに切り替わった印象がある。

これは一期のアギト以降の多人数ライダーによる群像劇と対照的。


それは何も新しいことではなく、むしろ原点回帰と言え、

1号ライダーにおやっさんや滝がいるように仮面ライダーらしさとは異形の怪物が普通の人間と協力して戦う点にあるのではないか」という関係者の発言にあるとおり、昔ながらの仮面ライダーらしさと言える。


平成ライダーが違うのは、ショッカーを倒すとかたまたま目的が一緒だから共闘しているのではなく、その相棒と出会ったきっかけがストーリーの根幹になっている点である。

故に、ストーリーを進めることは相棒の素性に迫る事になり、そこに葛藤や軋轢が発生する。

電王の良太郎とイマジンの関係やWの翔太郎とフィリップの関係などとは違い、

オーズはお互いを利用し合っているという点で非常にドライな関係性が際立っているため、それ故に2人の絆をあらわす描写や演技は非常にデリケートなものになる。

アンクが非常に難しい役と言われたのはこういう所にあるのだと思う。

アンクの「チッ!」という舌打ちひとつとっても、物語の最初の頃と終盤ではその意味合いは異なる。

この点で仮面ライダーはオーズによって人間ドラマという点でひとつの到達点を迎えたと言ってもよい。


オーズは子供番組には珍しく「欲望」を肯定している。無欲で利他的な精神をこの作品では決して賛美していない。


メッセージの落とし所としては、

行き過ぎた欲望は人をモンスターに変えてしまうが、欲望を持つこと自体は悪くない。

でも欲望はキリがないから、自分がコントロールできるのはせいぜい自分の手の届く範囲。

その範囲だったら自分に正直になって手を伸ばしてもいいんじゃない?後悔したくないのなら。

という感じ。


そして、もう一つ実は重要なメッセージは、人を助けたいなら、まずは自分が死なない事。

というセリフ。

これを2号ライダーの伊達さんに言わせたのはえらい。

彼は欲望を暴走させずに、まず目の前の現実に折り合いをつける、という事を行動で示しており、「大人」としての存在感と安心感がある。伊達さんがいると画面が締まる、というスタッフの誰かのコメントがあるが、その通りだと思う。


子供には映司とアンクがおり

大人には伊達さんがいる。

もっというとさらにその上にもっと大人の鴻上さんがいる。


このバランスがオーズの安定感を生んでいたのではないか。

冒頭の視聴のストレスが少ない、というのは

こうした安定感も関係している。

剣の前半とかと比べるとものすごい差である。

オーズには他のライダーと比べて多分

「大人」がいっぱいいるのだ。

それが仮面ライダーオーズの1番の特徴だと思う。


だからこそ観てる方としては映司とアンクの不安定な関係やギスギスしたやり取りがそこまでしんどく感じないのだと思う。アンクも鴻上さんには逆らえないのだ。

でも、この安定感は最終回のカタルシスの弱さにも関係しており、逆にその安定感がアンクの尖ったキャラの強さを結果的に殺してしまった結果になっている。


他の平成ライダーと比べて、剣のラストがあれだけ持ち上げられているのも、それが関係しているように思えてならない。

(これを書いている時点で半分くらいしかまだ見てませんが)


あと、些末な事かもしれないが、

グリードは味を感じられないという設定がある。

前にツイッターで実際に味覚障害になってしまった人の体験談を読んだことがあるのだが、味覚が失われ始めた時、サラダに「砂が混じってる」と思ったらしい。

その後「あれ?砂混じりすぎじゃね?」とようやく変だと思い始めた矢先、今度は完全に砂100%になってしまった。

彼の場合、味覚はほとんど失われてしまったが、嗅覚が少しだけ残っていた。

感覚的にわかると思うが、味を感じるのに「匂い」というのはものすごく重要らしい。

味覚や嗅覚を失うと、人は少しでも感覚が感じられるものに執着するようになるらしい。

これは極端に言えば、味も匂いも感じられなくなった人はビー球をしゃぶって口の中の感覚を得たりするようになる。

彼の場合は少し匂いを感じることが出来たものがビールとチョコレートだったそうで、味覚障害だった時期はただひたすらそればっかり摂取していたそうだ。

この話を読んだ時、僕は真っ先にアンクを思い出した。これってアンクがアイスばっかり食べていたのと同じではないか?

そういうリアルさもこの話に説得力を持たせている要因の一つかもしれない、と思った。