空白を満たしなさい/平野 啓一郎 | つばみのBlog

 

 

 

ある夜、勤務先の会議室で目醒めた土屋徹生は、帰宅後、妻から「あなたは3年前に死んだはず」と告げられる。死因は「自殺」。家族はそのため心に深い傷を負っていた。しかし、息子が生まれ、仕事も順調だった当時、自殺する理由などない徹生は、殺されたのではと疑う。そして浮かび上がる犯人の記憶……。(Amazonより)

 

 

 

 

 

たまに「死にたい」と思うことがあります。
肉体的に疲れている時に精神的なダメージを受けた時。

でも、私は死にません。(ご心配は無用ですw)

美味しいものを食べたり、LIVEや球場に行ったり、旅行したり、美術館に行ったり映画や舞台を観たり、素敵な服やアクセサリーを買ったり…生きてて良かったと思うことが沢山あるから。
母が生きているのに自殺するのは親不孝だと思うから。
自分の持ち物の整理がついてないまま死ぬと残った家族に迷惑かけるから。
娘にはまだ母親が必要な年齢だと思うから。

だから本当にたまに疲れて死にたいと思っても、それは一瞬のことで、「ま、死なないけどね」と心の中で呟きます。

そして、私は生涯自殺はしないだろうと確信しています。

ただ、本書を読み、日々悩んだり精神を患ったりしていなくても、「疲れた…死にたい」と思った一瞬のうちに自分の分人達のパワーバランスが崩れ、自殺してしまうこともあるのかもしれないと思いました。
ここ数年で自ら命を絶ってしまった何人かの有名人も思い浮かび…自分だって可能性はゼロではないのかもしれないと思うと、怖くなりました。

『当時(伊勢物語)の日本人は、「今生きている、この自分がいやだ」と漠然と感じた時、その心を、「自殺したい」ではなく、「出家したい」という言葉に訳す習慣を持っていたのでしょう。出家というのは、社会的な分人を「消す」ことです。その分人を生じさせている人々との関係を絶って。二度とその分人が活性化されないように。簡単ではありません。しかし、そのお陰で、自殺せずに済んだ人たちが、たくさんいたことでしょう。』

今の世では出家も簡単ではありません。「今生きている、この自分がいやだ」と感じたのに自殺できなかった人は、死刑になるためにわざわざ他人を巻き込んだ事件を犯すのかも…。

 

読み始めるタイミングでドラマ化のキャストを知り、俳優さんたちを登場人物に重ねながら読みました。

ドラマも面白そう!

 

読みながら、生と死について考えました。こんなに深く考えたのは初めて。

どう生きたいのか、どう死にたいのか。

エンディングノート、50歳になったら作ろうと思っていたけど、早く準備しておいてもいいかも。

今まではぼんやりとしか考えていなかったけど、今回「今私が死んだら家族はどうなるか?」をきちんと考えたことにより、断捨離に励むことを心に誓いました。


またこのタイミングで平野さんの≪私とは何か――「個人」から「分人」へ≫も読み返したいです。

 

 

 

新刊も気になる!




ではでは☆☆☆