名前
名前 の 名 は、 な 、
七 でもある と 感じました。
な という字 名 であり、七であり、奈 、成(す)、為(す )
字は、字、地、自、時 などもありますが、 このような、 文字、漢字、仮名文字、 そういった 置き換えも 含めた様々ありながらの メッセージ。
それら 感じながら 名前を 開き 見れば 、
そこに 神が坐す 意味がわかる というのです。
見た 光景は 、名前の字 、線と 線の間が 広がって いく ような 、 見ている私が 小さくなっていくのか とにかく 文字を 広げ 開かれていく 様子を見ていました。
内容 としては、 パッと 見ただけでは わからなくても よく それを 開いて見てみれば、
文字の神秘 読み方
など、 によって
神の 坐す ところの意味
が わかる というものでした。
見えたのは、 ある 名前 。
そして、 広がる 場面 、
その中から 藤の素材 で作られた椅子が 出てくるのです。
ん? 何故 籐の椅子?
籐家具? (・・;)
意味があるからこそ と 感じながら
不思議な気持ちでした。
藤の素材。
藤。 ふじ、 とう。
富士、不二、藤 なの ?
と思いながら その 出てきた 小さい 籐の椅子 、座椅子みたいな ものを 見ていました。
この時点で 様々な メッセージが よぎり 抱いておりましたが、 ( 藤家具 、ふじ、かぐ、 富士、かぐつち、かぐや、 他 、 以前 お話した ふじとう )
幾日か経ち、ハッと したことがありました。
冒頭に 記しました 一節がある 学ばせて頂いている 書籍にて、
神代のはじめ に
白い藤の花 が咲く
とされていた という文章 を 目にしたからです。
そのタイミングで 読み学んだことも 繋がるのかもしれないと思いました。
他の書籍を探しに出掛け、 その時近くにあり、 ああ こういったものが あったのか 是非 読んでみたい と 借りたのですが、
この関連もあるのか、 9月10日 過ぎ頃 諭しで
瑞霊の書
霊言ともいう
という 話を 魂世界で 聞いていました。
霊言 とも言える 瑞霊の書
学ぶように という意味と受け止めていたのです。
調べますと、 「 瑞霊の書 」という書籍も実在し 、読み 学びたい と感じながら、
改めて 霊言 ともいう と 伝えられた ことを 想うと 、やはり、 霊界物語 伊都能売神諭 そして 今 学んでいるもの など 感じていました。
そういった 経緯ありながらの
名を開く と 神の座がある 諭し でした。
**‥***・~~~~~~~
字と数の意 絶対無限の能(はたらき)ぞ。
南無(名務)荷い開く弥勒。
数と字の絶対光(こう)の道。
字の絶対開き、那美(名実)開くぞ。
字の極意の極みは読字(ヨミジ・黄泉)ぞ。
富士(普字)に花咲く時だぞ。
開く結びの命、字開き、字開きて実るぞ。
この部分 湧き上がる 諭しでした。
この中に 出てくる 光 。
光に ついても 後々 諭しを受け、全て繋がるのだろう と 感じております。
順を経て 受ける 意味もあるのかもしれません。
光の花
藤 に 白い花
富士 に 光の花
藤の成り立ちは、
藤の字の草冠の下の部分は、「トウ」という音を表すために用いられたもの との事。
それには「上にのぼる」という意味があり、
草冠と組み合わせから、
藤は 「つるが上によじのぼる草 」を 表す そうです。
螺旋上昇 のこと でもありますね。
藤は とうで 十 でもあり、
名 から 出てきた 藤
七 の中に あった 十 ( とう かみ ) の 座
ここにも ふじなると が ある のですね。
藤なる十がある
七 十
成十
鳴門 鳴戸
安息日の学び ナナカ の お話では
七日
七は なな 地成 名成
五六七の神代
松の世 七千万年の歳月
名前を 開きみれば 神の座がある諭しは、
名前を 開きみれば 神の座がある諭しは、
あることの 気づきの促しや知らせ
そして、
ミロクの世、神の世 への 示唆
時節 や とき の 示唆
そう 感じております。
次は、 摩周湖、屈斜路湖 、阿寒での お話を 紡がせて頂きながら 、続けて受けている 光の諭し にも 触れさせて頂けたらと思います。
全てへの 愛と感謝を込めて。
有難うございました。