あーだこーだ言い会おうぜ
マスクがどうとか、補償がどうとか、星野源との動画がどうとか。。ここは僕からもガツンと言うときます。
音楽家なので、ここは歌にしてて
うんうん、色んな考えがあるべきだし、政府批判やネガティブ投稿ばかりが浮き彫りになって疲れた人は、一度、携帯やTVから距離置こう。てのは前回のブログでも述べた通り。
批判する人達を批判しても、同じ。
よく喋るけども、これが私のモットーですので。
僕の仕事は政治じゃなく、音楽や行動で皆さんに元気を届ける事なので。
SNSで「おうち時間」に歌手仲間から届いた宿題の一つに「ワンバースチャレンジ」てのがあって、↑の歌でそのバトンを繋いだ翌朝にフォロワーさんから手話付きでの返信が
逆に元気もらったやん。
最後の「愛を繋げてこーぜ」の手話、ジーンときた。覚えたよ!!
そうだ楽しい話しよーぜ。&おうち時間に届けよーぜ。
て事で、先日かみじょうたけしさんのYouTubeチャンネルにお邪魔してきました。
ご存知の通り、かみじょうさんは高校野球マニアック芸人ですので、平安高校時代の事をオモクソ掘り下げてお話してきました。
20代の時に1人旅で飛び回った
日本はとても美しく素晴らしい国。だという事。
あーだこーだ言われながらも、最前線で戦ってくれてる国や地方自治体のトップの方々や、もちろん医療従事者の皆さんに最大の敬意。
踏ん張りながら色んなアイデアで戦う飲食業の皆さんにも敬意
テイクアウトの弁当を買いに。
元気もらえる。
みんな前向いて頑張ってる。
そんな強の
2020.9.5(土曜)強ワンマンLIVE in服部緑地野外音楽堂 開催決定‼️
て事は、中村アンや真矢みきもやね。
マスク2枚の批判批判やネガティブなSNS、海外から届く最悪の事態を想定して。。なタイムラインに疲れた人は一度スマホやTVから距離をとって
イェェェェーーーい!!よっしぁぁぁ
考え方や表現が少し違うだけで、ゴールは同じ
【頑張ろう日本、頑張ろう地球】
の文字化けと思って、みんな愛しあおうぜ。
声を発する人がどうしてもピックアップされますが、黙って静かに【頑張れ政府】【頑張れ日本】【マスクありがとう】【給付金何とか宜しく頼んます】と我が国の素晴らしさと底力を信じ願っている人達が確実に多く存在するのは選挙と言う事実が証明してくれてるからね!
大丈夫!
キミは1人じゃない。どうかご心配なく。
もちろん声高の皆さんや蓮舫さんのおかげで政治があらぬ方向に走り出さぬ様、均衡が保たれてる事も事実なので、そちらも見守っていてくれてありがとう。
愛してるぜベイベ!!
て事は、中村アンや真矢みきもやね!!
もとい
宣言は出ていなくとも
【緊急事態】である事には変わりなく
みんな色んな仕事があって、家族がいる人、子供がいる人、独身の人、シングルマザーの人、みんな生活があって、事情がある。
昨日までの正解が突然覆されるし不確かな情報
やデマも流れる。
たとえ君の思いに反する行動をする人が近くにいたとしても
一旦立ち止まって
コロナ憎んで、人を憎まず。
十分に距離をとって、買い物の道中、満開の桜を眺める事は不要不急では無く、我々日本人に必要な事だと僕は思います。
春よ来い。
必ず来る。
そんな強の
ただただ準備を続けるのみ。
少々野暮な気もしますが。。。
関ジャムがなかなか取り上げてくれないので、自ら曲を紹介します。
一曲目は強のデビューアルバムから
冒頭の歌詞
きっと今は遠く離れたアナタにまで届くか、この歌声が
コレは亡き父への曲です。また野球が深く関係するのですが。
中学を卒業し甲子園に夢を馳せ、平安高校に入学した1年生の夏、新チームになってからも親父に見せれた姿は試合用ユニホームを着れずにオープン戦の交通整理を駐車場でしている姿だけでした。
メイングランドに入れない、いわゆる2軍以下の選手。
その年の秋に親父が心不全で急死。
通夜、葬儀と少しだけ休みをいただき、また直ぐに【高校野球】と言う戦場に戻りました。
もちろん突然、野球が上手くなるハズもありませんが、親父に平安のユニホームで野球している姿を見せれ無かった悔しさから、唯一メイングランドに入れた3ヶ所バッティングの球拾いの時、まだ近くに居るであろう“空を彷徨う親父に向かって"ひたすら大声を出し続ける日々。
何日も何日も続けていると、シート打撃のチャンスを与えていただき、右翼越え二塁打。
翌日、コーチ推薦で初めて念願の試合用ユニホームに袖を通し、ノックバット係として遠征に帯同しました。
神戸弘陵とのオープン戦、元気だけの僕が終盤で"お試し"での代打。
レフト前ヒット
次の試合も代打。ヒット。。ヒット。ヒット。
5打席くらいまでは連続でヒットを打ち続け、神様の悪戯がしばらく続きました
きっと親父が神様をそそのかしたんだろうなと。
そこからズバ抜けた成績を残す事は出来ませんでしたが、2年生春から3年生秋の国体までベンチに入れていただき、副主将とし最後の最後に一桁の番号を背負えた事は、生きていく上で大きな誇りと自信になりました。
親父が死んでいなければ、また違ったシナリオが用意されていたハズですが、きっと甘えたままの選手で終わっていたと思います。
広島カープの赤松さんや一学年上の先輩方。
高校時代は鬼に見えましたが、今は全員カッコイイ姿を見せてくれる一生の先輩。
【野球選手になってやると決めた、一億円もろたら家はビルごと買ってやるから、オカンと住めや】
当時は一億円プレーヤーが一流への入り口だった様に強の歌にはその時代を象徴する歌詞が多く散りばめてあります。
【家族みんなで遠くに出かけた、親父の手には8ミリカメラ だからどれを見ても写って無い、残したのは思い出だけか】
遺品や沢山の写真を整理していく中で、家族全員での写真や映像が僅かしかなかったのは、ほとんど親父が撮ってくれてたからか。
そんなこんなで、道ハズレちまったけど見ててくれよどっかで、んで言ってくれ
「あぁじゃねぇこうじゃねぇ、やけどお前が決めた道だからしょうがねえ」
享年55歳。仮に僕もそこがゴールならもう折り返しは過ぎてるな、とか、記憶がある頃からを考えると親父と僕の思い出は10年にも満たないのかな。とか、、
実感が無きままにこの世を去り、お墓参りや仏壇に手を合わせる事が生活の一部として通り過ぎていく中で
子を持つ親となった今、親父が生きていたら聞きたい事や共に見たかった景色、会わせてやりたかった男(息子)の姿、それがふとした瞬間に湧いてきます、それを実感と言うのでしょうか、、
何より、
【決して金持ちじゃ無いが、それはどこよりも愛に溢れた】
とありますが、父であり、自営業のクロス屋の職人として、月イチは必ず家族を焼き肉に連れて行ってくれていた事。
この歌詞を書いた10年前には全く解っていませんでしたが、月イチで家族を焼き肉に連れて行く事、大好きな野球を他府県の私学に下宿してまで挑戦させてくれた事がいかに大変な事か
家族を持ち、強烈に実感しています。
母もですが、やはり父はとてつもなく偉大だと。
【もう一度会えるだなんて思ってない けどこの歌はそこに届けたい でも俺は空なんて飛べない いつかいつかまた会う日まで】
【言葉では少し照れ臭いから音に乗せて伝えたい あなたのもとに生まれて良かったと】
自身の歌詞について、此処まで語る事は少々野暮な気もしますが、落ち込んだ世の中の温かい読み物として、みんなの傍に寄り添えたら幸いです。
まだまだ長いトンネルになりそうですが
こんな時こそ唱えましょう。
きっと、きっと
そんな強の
2020.9.5(土曜)ワンマンLIVE in服部緑地野外音楽堂 開催決定‼️
いかなる状況であっても
準備を進めるのみです。
皆さんのハッピーな笑顔にまた会えますように、一刻も早いコロナの終息を願います。