〇..さようなら、、シュウ。

 17年間、私と、私の家族と共に、家族の一員として生きてくれたシュウベルト。
  君のおだやかな性格は、みんなに和みを与えてくれました。
 その君が、昨日、逝きました。いつものように私のベッドの枕元に丸くなって、少し笑っているような顔は、おだやかな、いつものシュウの顔でしたから、私も、いつものように、ねぼすけシュウを起こさぬように寝床を抜け出して、静かに部屋を出ました。
 夜になり、会社の仕事を終えて帰宅しましたが、いつものように、私の車の気配で家を出て、にゃあ、にゃあ、と、賑やかに、駐車場まで出迎いてくれるシュウが見えず。
「ねこの気まぐれだろう」くらいに、気にとめていなかったのですが、家に入り、植物の土間の部屋で、新しい練炭に火を着け、猫たちの餌の缶詰を切り、食器に夕食の準備をしましたが、兄弟たちのベエトウベンもバッハも食べているのに、シュウの姿が見えません。妻と一緒に台所にでもいるのだろうと、たいして気にもとめずにおりました。
 台所に手伝いに行くと、妻は、
「今日は、シュウベイが見えないの。どうしたのかしら、あなた、見ました?」と、私に問いかけますので、
「そう云えば、ちょっと変だな、?」と、私の部屋を覗いて見ますと、何のことは無い。いつものように、私の枕元に丸くなって、朝、出かける時と変わらない格好だたので、
「なんだ。まだ、寝ていたのか、腹へってんだろう。さあ!もう起きて!」と、シュウベイを揺すって、始めて死んでいるのが分かったのです。
 少し硬直が始まっているようでしたが、まだ、体温が残っていて温かみがありました。 シュウを抱いて廊下に出ると、妻も台所から出て来て
「シュウが居たのですか?」
「うん、シュウベイ、死んだ。」
「えっ?。死んでるの?」
「笑っているような機嫌のいい顔してるから、死んでるようには見えないね」
「でも、苦しんだ様子もなくて良かったですね」
「歳とっているから老衰死かも、だから眠っている内に自分でも気が付かないうちに逝ったかも知れないね。おれもこんな死に方したいもんだなあ」
死んでから気がつくのも変だけど、あらためてみてシュウは美しい猫だと気がついた。
妻は涙ぐみながら

「あなた。今日はシュウベイのお通夜ですね。新しいバスタオルに包んで上げましょうね。あなたは、お経を上げて下さいね」
「うん。ねんごろに弔ってあげるよ」
 私は暫くぶりに、法華経寿量品第十六を訓読でゆっくりと読経し、お題目を唱え、回向して、シュウの冥福を祈った。そして17年間、家族に慈しみと癒やしを呉れた感謝を述べて、シュウの供養とした。
 その夜、仏間に明かりが点いて居るので、そっと覗いて見ると息子が香を焚き、仏壇の前に安置しているシュウの棺に手を合わせ長い時間、瞑想していた。息子もいつの間にか少しづつ成長してきているのだ。

  翌日は裏の山を眺める桧葉の木の近くで、古代の英雄のように楢の槇を積み荼毘に付した。シュウは長い時間を掛けて一握りの白い骨になった。

 シュウベルトは、法華寺で大事に孫代わりに育てられた母猫が、私の家に貰われてきて、我が家で生まれた4匹の仔猫の内の1匹である。可愛い仔猫ばかりで、欲しいという人が居たが、兄弟を引き離すのが哀れで、結果、5匹全部の猫を自家で飼育する事になったのである。
  以来、5匹の猫は我が家の家族の主役になり、それぞれに、妻にはベエトウベンと女の子のウインク、私にはシュウベルト、息子には母猫のサラ、妹にはバッハ、と、それぞれ得意先が決まっていて、夜にはそれぞれの寝床に泊まりに行く習慣である。

 私たちが毎晩食事をするのは我が家の台所である。台所の半分は炉端の間になっており、みんなで炉端を囲んで食事をするのが習慣である。猫たちは、それぞれに自分の得意先の人間のそばに座り、人間たちの間にきちんと陣取り、一人前に仲間になったつもりで居る。

 猫たちの食事の時は、猫たちがみんな一緒に土間に集まって仲良く食事をした。食事では一切奪い合いは起こらなかった。大好物のカワハギが出ても、食べれない猫が居ても席を譲り合って交互に食べるなどして、実に猫らしくない、互譲の精神を備えた猫たちである。
  その兄弟たちにも、たとえツメにかけても絶対譲らないものがある。それは家の中の縄張りである。これだけは、いくら兄弟でも譲れないものらしい。

  シュウには、特別に仕込まれた芸というものは特には無いが、シュウが小さい頃から私が教え続けた言葉がある。
「お前は犬だ。だからワンと啼け。ワン!ワン!」と、教え続けているうちに、犬とは違い、こちらのワン!といって欲しい時には云わずに、自分がなにか欲しい時、機嫌がいい時、甘えたいときにはワン!と吠えるというより、アン!と聞こえるような啼き方をするようになった。それは、動物の条件反射というよりは「人間は、猫が犬の鳴き声を出せば嬉しがる。だから、嬉しがらせてやろう。」と、思われているようである。
「お前のワンには、まだまだ猫なまりがあるな」

私はシュウを、けなしながら褒めて上げた。
  ベンが妻のそばを着いて回るように、シュウは、私のそばを離れない。何をしてても、何処にいても、家に居る間はそばについていて離れない。しかし、朝、会社に行くときだけは着いては来ない。玄関前で見送るだけである。きちんと見極めがついているらしい。それでいてゴミを出すに行く時は、収集所まで80mの道のりをニャン、ニャン、云いながら後になり、先になりして着いてくる。
 こうして、毎日、毎日、17年間、私たちの家族になって楽しさと癒やしを与え続けてくれたシュウの冥福を祈りたい。

 シュウちゃん。先に行っててね。冥土までは49日の道のりです。道中長いですがゆっくり、ゆっくり歩いてね。私も間もなくそちらに行きます。待っていて下さいね。
 私が冥土に着いたら、また、私のそばに来て、一緒にそばに居て下さい。
 それでは、しばしの別れです。
  シュウちゃん、さようなら。