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○政治家には「保護観察」が着いている 160424 .txt
人間には、いま持っている既得権を手放さないで、新たに欲しいものを見付けたとき、それも同時に所持したくなる事がある。例えば、良妻が居て、愛児が居て、平和で温かい家庭を持っている幸せな夫が、街で出会った若い女性の魅力に負けて、つい、関係を持ってしまったとする。その夫が彼女の恋の虜になり、そのまま家庭の平和を守りながらも、彼女との情念に溺れ、別れることも諦めることも出来ず、大きな荷物を二つ同時に必死に抱えて、その日、その日を取り繕って生きている。しかし、破綻の日は必ずやって来る。
大きな荷物と重い荷物は両手両腕で持ち腰を入れて全身で支えなければならない。もしバランスを崩せば、荷物が落下し、持ち主に怪我を負わせるか、荷物が壊れるか、いずれにしても持ち主は大切なものを犠牲にする。大きな荷物、重い荷物は、片手では持ちきれない。つまり、人間は、大きな荷物は一つしか持てない、という現実を表わしている。軽く小さな荷物なら片手で持てる。二つの荷物を両手に同時に持てる。大きな荷物を両手に持つという「いいとこ取り」 は許されないのがこの社会の摂理である。新たに大きな荷物を抱えたくなったときは、いま持っている荷物を手放す事が条件になる。どちらを諦めるかは本人の意思に任されている。しかし、どちらも同時に所持したい。諦められない。その願望を満たされない悩みも、人には耐えられない程の苦痛を与える。所謂、仏法で云う四苦八苦の煩悩の内の「求不得苦」と云われる大苦である。
最近、国会議員の不倫が大きく新聞に取り上げられ大ニュースになった。妻の出産時に、若い女性と不倫し、それがマスコミに知られて、本人はおろか、所属の政党にまでダメージを与えて、本人は貴重な代議士の座まで失ってしまったのである。これなどは、本人にとって、代議士の座と家庭の崩壊と、折角努力して積み上げた社会の信頼、そして潤沢な固定収入までも、その総てを一瞬にして失ってしまったのである。彼にとって、この不倫が、これほど大きな代償を払うほどの価値があろう筈はない。では何故、彼はこれほど大きな冒険を成したのであろうか?賢明な人たちには理解が出来ない愚行としか見えない筈である。つまり、彼は、自分が座っている 「座」 の窮屈さが分かっていなかったのである。彼が自ら望み、人々の信認によって座ったその代議士という名の「座」は、大寺院の高僧のように、学院の校長のように、「高潔」という器の呼び名でもあった。その「高潔の座」に座する者は、人々にとっては、到底出来ないであろう禁欲の世界、所謂、高潔な人間でなければ許さないという厳しい地位である。人々の代表となる政治家となれば、良識のある人間の見本とならなければならないのである。町内会長から市町村議員、それなりの人格と品位が求められ、市町村長、県会議員ともなれば、それはもはや、権威を伴った高潔な人品骨柄を要求される。もはや、金銭賭博を楽しむ事や、娼(水商売の女性)等と私的な交際をすることなど、庶民と同じ行動をとる自由は認められない。当然、疑念を持たれるような反社会的風体の者達との接触も回避する努力が必要である。職業政治家に選ばれた瞬間から、彼らは、四六時中、一挙手一投足あらゆる庶民から監視される。「壁に耳あり障子に目あり」、いわゆる「保護観察」付きとなるのである。いま問題を起こした代議士には、そのような基本的な認識が欠けていた。自ら望んで「高潔の座」に着いた者は、「私だって人間だから」とかの、自己弁護の言葉を発して庶民の譲歩を求める発言は、許されないことを知るべきである。