○あなたの恋、その恋、危ないですよ!。160223
 1,恋人入門純情編                               津島ぜんじん
  好きな人が出来たら、周りの皆に祝福されて結婚するのが最上の幸せなのは分かっている。しかし、男女の縁と言うものは、そんな理想的な組み合わせになるとは限らない。むしろ、人に迷惑を掛けたり、苦しませたり、悲しませたりしなければ当事者の願望が叶えられない場合が多いものである。  「恋の成就」が即、人に迷惑が及ぶケースの場合、それでも当人が幸せになるためには、敢えてそれを強行するかどうかの二者択一の判断は、すべて当人たちの「決断」にかかっている。 大抵、他人の不幸の上に成り立つ幸せの構図は、それを得たときの有頂天な到達感の持続時間が、犠牲の大きさには比例せず、その幸福感が短命で終えるパターンが多いものである。それでも、このケースに嵌まったカップルの選択が「破滅の道」と云われている道を選ぶ事例が圧倒的に多いのは、やはり「恋は魔物」という事なのだろう。    高度な知性を得た人間が、文明の始めに手に入れた知識は、ものを比べて価値を判断する知恵である。即ち、物と物とを天秤に掛けて量を知り、質を知り、価値を知る。所謂、比べて計る天秤(てんびんはかり)の出現である。 しかし、この人間の英知が生み出した計量技術を以てしても、「本物の恋」は、どんな秤でも計れない。分銅となる比重物に「金」を使おうが「ダイヤ」を載せようが、比較して「対」を成す物が存在しないのである。
  因みに、「偽物の恋」は、簡単に秤(はかり)に掛けられる。  たとえば、ダイヤモンドならば何カラット、黄金ならば何キログラム。「成婚」の条件としての財産や資金の有無、「愛」を有価物と天秤に掛けて重さを計り、価値を判定して商談成立する。これを「商品化」と呼んでいる。
  本物の恋は、「値」という概念は通用しない。相手の「真心」意外に「対価物」が無いのである。故に、真実の恋は「商品化」出来ないのである。そこに、他を壊しても、人を傷つけても、結ばれざるを得ない「はた迷惑な真実の恋」が、誕生する所以がある。                                                     
ここで、筆者の個人的な都合により、この先の文を読む読者を限定する事に致しましょう。読んで欲しい人は、 〇現在、誰かに本当の恋をしている。  それが基本条件で、
 〇恋をしている故に、他のことに集中出来ず苦しんでいる。
 〇自分の恋には障害になる人がいる。
 〇自分の立場では現在の恋が許されない。
 〇恋を成就させたいが、お金がないのでこの先進めない。
 〇職業や環境が障害になっている。
 〇容姿に自信が持てないから、自分の気持ちを押し出せない。
 〇自分の恋を実らせる為の、その手法が分からない。
 〇勇気を出して思い切って肉体関係に進めない。
 ◎相手の気持ちが「本当なのかどうか」分からない。
上記各項のいずれかにも該当しない人はここでお別れです。
「長々とお付き合いを頂き、誠にありがとうございました。では、おやすみなさい。」
それから、ここでお別れしたい人は、まだいます。
 ◎容姿、風貌が優れ、異性にモテモテの人は、わたし達の同類項に入っていないので、ごめんなさい。お別れです。
 〇教養が高く、こんな低級な文章を読む必要がない人。
 〇人の文章を読めば批判したくなる人。そんな方も、この先の文章を読み進める事はご遠慮下さい。

 さてと、これでトラブルの原因が無くなったことでもあるし、そろそろ、 これから、世の中に混乱を起こし兼ねない危ない「真実の言葉」を云うことにいたし ましょう。 これから、読者は、誰も語ってくれない「真実の言葉」を聞くことになる。 筆者は、誰をも不幸にしたい目論見で言葉を語ることはない。 現在、自ら陥った「真実の恋」に翻弄されて、迷い、悩み、苦しんでいる老若男女の悪夢に「一滴の解毒剤」を進上して、「少しでも苦痛からの脱却の道筋が見えてくれたら」との、思いからの提言であることをご理解して頂きたい。 筆者の語る言葉が、聞いた者を、必ず幸せにしてくれるという事はない。むしろ「真実」を知る事によって、自分の姿を客観視し、尚さら不幸な自分と向き合う事になることもある。その現実をも受け入れて自分の進む道を見付けて欲しいと願っている。 これから私の言葉を聞く者は、その後は、自己責任において善後策を判じて頂きたい。故に、自己責任を持てない読者はこの先の文を読むことを禁ずる。

(第一のテスト)
 それでは、はじめに、その恋が成就するためには、大きな障害がある場合のコースから始める事にしよう。 まず、あなたのその「恋」が、本当に純粋な「恋」なのかどうかを知りたい。 もしかすると、あなただけが純粋の恋をしていて、相手がそうでなかった場合は、話の進む方向はまったく違ってくる。その場合は、スタートラインから出直さなければならなくなる。が、今は兎も角、相思相愛の純粋な恋愛であるとして話を進めたい。 もし、あなたの「恋」が、所謂、許されざる環境にあって、尚も、相思相愛の「本当の恋」であったならば、行き着く先には、愛を振り切り、孤独を道連れにした悲しい結末が待っている。 或いは、他の総てのしがらみを振り切って得た社会的には絶望的な、孤立した幸福絶頂の姿が見えてくる。即ち、ここで、愛し合う二人が辿り着くその先は、大海の荒波を乗り越えて絶海の孤島に辿り着いたと表現出来る。つまり、この恋の行く末には絶望的な孤独か、総てを捨てた恋の成就か、この二者択一の道しか無いと言える。 しかし、この例は、あなたにとっては最高に恵まれた条件下に置かれた場合を想定している。なぜならば、あなたが恋の成就を諦めた場合、失うものは大変貴重ではあるが、「時間」だけである。 または、恋の成就のために総てを捨てても、最高の幸福感が手に入る。そう考えると、この件に関しては「大損」はない。それは、相思相愛の条件を満たしているからである。 しかし、人の世というものは、そんなに甘いものではない。これから行う「恋愛テスト」に依って、あなたの心は奈落の底まで落ちて行く可能性が残っている。 まず、あなたのその「恋」が、あなたが思い込んでいるように「相思相愛」かどうか、それを知りたい。
 本当に愛し合ってしまった恋人同士ならば、一刻(いっとき)たりとも離れていたくない心境になるものである。時間が経てば必ず一緒にいられるようになるという保証があったとしても、それで安心して、長時間、恋人に会わずにいられるというものではない。それが恋に落ちた二人に襲いかかる本能慾である。「愛別離苦」という。仏教の経文にある四苦三十六、八苦七十二、合わせて百八つの煩悩の内に示される人間には耐えがたい苦しみを表す八大煩悩の一つで、生身の人間にはとても耐えきれない苦しみである。出家して仏門に入った僧が、煩悩を断ち切り、少しでも仏の境地に近づくために行う厳しい「修行」の内の一つに数えられる。 後に仏教の一宗派を打ち立てた程の高僧でさえ、恋する異性の魅力を振り切る力を得られず苦しんだという話を、聞いたこともあるだろう。 菩提樹の木の下で、「悟り」を開いた釈迦でさえ、死ぬ程に苦しみ抜いた「煩悩」との戦いの話は有名である。
 話が横道にそれたが本題に戻ろう。 自分の「いのち」が、誰のためにあるのかさえ分からなくなりかけている「あなた」の深刻な「恋ごころ」。 いま、この時間まで何時間、恋人に会えずにいましたか?。 会いたいでしょう。まだ、大丈夫ですか?。 苦しいでしょう。そうでしょう。 そうです。それはあなたの「恋」が、純粋な「本当の恋」だからそうなんです。 きっと、相思相愛のあなたの恋人も、今頃、あなたに会いたくて、会いたくて、何も手に着かなくなっているに違いありません。その現象を「相思相愛」と云うのです。 「相思相愛」は、人々から、自由奔放な行動の権利を奪う様々な制約が重なり合っていた封建時代と違い、現代では、環境が昔とは違ったせいか、純真な恋愛は、かなり発生しづらい状況になってきている感じがする。 そんな世の中でも、あなたが本当の恋をしてしまったから、あなたの「こころ」は、まっすぐ恋のゴールに向かって走り続けているのです。 しかし、いま、あなたの肉体は固まった溶岩のように動きません。その願望と現実との狭間に閉じ込められたあなたの「恋ごころ」は、苦しみもがき喘いでいます。 きっと、あなたの恋人も、いまのあなたと同じ苦しみの渦中にいます。
 わたしは、純粋な恋、本当の恋に見合う代価は、相手の相思相愛の「真心(まごころ)」だけだと云いました。 物事(ものごと)総てが手に着かなくなったあなたに、「気を紛らわすために、他のものに目を向けるように」とか、「そのことは早く忘れてしまいなさい」と、いう人がおりますが、その人は、自分が「本当の恋」を体験したことが無い人か、或いは、経験があっても当時の純粋な人間だった自分の姿を忘れてしまった人なのでしょう。 そうです。あなたの、その相手を思う純粋な心を、他の何かとか、別の言葉に置き換える事なんて出来る筈など無いのです。 あなたの真剣な「こころ」だけは、脇目も振らずにあなたの思い続ける相手の元に、真っ直ぐに駈けて行きます。しかし、想いだけでは、駈けても駈けても、恋の道の終着点には着きません。 でも、あなたは期待をしています。「相手も、自分と同じ気持ちでいるならば、あの人は、必ず、二人の間にある障害を打ち壊し、わたしに会うために、わたしと堅く結ばれるために、わたしの元へ走って来るに違いない。必ず、わたしを迎いにくるだろう。」と、
 これまでは、あなたの心が真剣な「真心の恋」であることの検証でした。 あらためて、あなたの立場から、今度は、あなたの思い続ける「相思相愛」の相手を、少し他人の目から客観的に見てみることにいたしましょう。  すこし、怖い気がするでしょう。 いや、少しばかりか、もし、相手の心が、自分と違う比重の恋であったら、 もし、この自分の深刻な愛が、相手にとっては「秤(はかり)」に掛けられる程度の余裕をもった「恋」だと判ったらどうしょう。 もし、この自分のいのちを賭けたこの愛が、自分の一方的な「片想い」だと判ったら、どうしよう。そんな不安があなたのこころを襲います。「いや、絶対に、そんな結果はあり得ない」だから、「そんな相手を勘ぐるような失礼な思考はするべきではないのだ。」という結論が出てきます。 しかし、自分の心に一抹の不安をも残さぬように、この際、徹底的に確かめて置いて、微塵も疑惑が湧かないようにしておくべきだ。とも考えています。 確かに、心の片隅には、「相手の真の姿も知っておきたい」という怖い願望が潜んでいて、それでいて、その願望の存在感はかなり強い筈である。 しかして、あなたは、迷い悩んだ末に、次のテストの扉を開くでしょう。
  いままでも、繰り返し申し述べてきた通り、この章のわたしの「恋の助言」は、「相思相愛の真実の恋」の場合が助言の条件になっています。 もし、いまのあなたの恋愛が、あなたの一方的な気持ちだけが先行しており、相手には心に余裕があり、あなたの「純粋な恋」に対応する「純粋な愛」には達していないと判った時、それに対する対応の手法は、次の機会、そのケースの「合理恋愛の章」に申し述べることに致しましょう。

それでは、第2のテストに入ります。
〇あなたの恋人は、
 ―「愛してる」、「会いたい」と、云いながら、メール、電話だけで一ヶ月もあなたと会わずにいられる。
 ―「あなたを信じているから、大丈夫!」と、二、三日連絡しなくても怒らない。
 ―「自分にも仕事の付き合いや、打ち合わせがあるから、あなたの行動も理解出来る」と、他の異性と二人だけで会ったりしていてもお互い気にしないことにしようと云う。
 ―「自分にはまったくその気は無いけれど、相手は結構自分にご執心。でも、怒らせられないお客さんだし、仕方がないから、気を付けながら付き合っている。自分はまったく大丈夫。」と言う。
 ― 聞きもしていないのに、自分の環境での異性の接触について「無責任な噂にまでなっていて、困っている。」などと、先手を打って釈明してくる。
  ― 恋人の接触している異性について、気になる事を聞くと、明解に説明する事ができない。又は、辻褄の合い過ぎる話を妙に軽快に話す。或いは、話題を逸らす。若しくは、イライラとして怒り出す。
 ― 親しくしている異性について、しつこく問い正すと「その人は、身内の人間だ。」または「恋とか愛に、関係ない親しい家族か身内のような人間だ。」と言う。
 ― 外泊の理由は、「同窓会のグループ旅行だ。」又は「職場の慰安旅行だ。」「自分は幹事だから、旅行先の下見があった」又は「仕事のための出張だから仕方がなく行っている」と言う。
 ―「理解ある恋人を持った自分は幸せ者だ。」と言う。
 ― 恋人は、不思議なことに、あなたが他の異性と二人きりで食事しても嫉妬しない。
  ―「仕事だから」と、再三、遅い時間まで待たされる事が多い。
 ― 今回も「出張だ。」は、何か、ある。と、感じる事もある。
 ― 自分と居るときに掛かってきた電話には出ない。もし、出るときは、必ず席を外して会話をしている。または、メールでの短いやりとりが多い。そしてそのメールは「即」消去される。
 ― 恋人に電話かメールが入ったあと、恋人はトイレに入ることが多い。
 ― デートの時のトイレタイムが普段より長い時は、出てきた後、二人の心が溶け合っていないのを感じ取れる。
  ― 〇あなたの恋人は、「あなたに毎日会いたい」との意思表示はありますよね? その意思は、直接あなたに「直」に伝えておりますよね?二人で会って、
         *********
 いま読んだ箇条書きにした項目の中に、「そう言えば?」と、気になる箇所が複数箇所ありますか?
前項の、箇条書きに、気になる条文が無かった人は、本当に果報な人です。
その方は、次の --------    -  の場所まで飛ばして、その後を読んでください。その他の人は、そのまま読み続け進んで下さい。
 ― の質問条文に「こころ当たり」が数カ所もあるなら、あなたの恋人には、肉体関係を伴う経済支援者、若しくは、恋人が居ます!。   あなたが、恋人から、本当に愛されているとしても、あなたの恋人には深い仲の交際相手がいます。純情なあなたには理解出来ないでしょうが、人間は、複数の相手を同時に深く愛することが出来る能力を備えています。そして、複数の相手と交わりながらでも、本当の恋人を特定できるものなのです。ですから、複数の恋人がいても不思議な現象とは言えないのです。 また、もしかしたら、恋人にとって、熱く湧き出た感情の泡が、消えていく過程に入っているのかもしれません。ですが、あなたの心を気遣い、敢えて二人の中を壊しまいとしてくれているのかも知れないのです。 わたしの、こんな、冷たい言葉を、あなたの心が、受け入れられない事は分かります。 あなたは、信じていたいのです。無二の「愛」を、永遠の「愛」を、恋人のあの時の「永遠の誓い」を、「幻の愛」を、信じていたいのです。いまのあなたにとって、「恋人」はあなたの「いのち」そのものなのですから、 いまここで、恋人を失えば、あなたは生きても行けません。だから、失うことができないんです。
  しかし、あなたの純粋な「本当の恋愛」は、あなた一人を置き去りにして、消えました。あなたはそれを受け入れることなど、出来るわけなど、あるわけ、ないでしょう!!。
   でも、現実の人間の世界なんて、それが本当の姿なんです。分かって下さい。人の世に、本当の愛は確かにあります。あなたが手に入れた「本当の愛」も、「真実」でした。
   ですが、分かってください。人の世の真実を、人の心の中に湧き出る「純粋な真実の気持ち」と言う永遠に続きそうな「恋」も「愛」も、実は、人間の創った、浮き世の深い沼の水面に湧き出た「一沫の泡」なのです。
   だから、時が経てば、跡形も無く消えて無くなるのです。そのあとに、その時吐き出してしまった「永遠の愛の誓いの言葉」だけ、空しく残ってしまうのです。
   しかし、人の心に焼き付いた耳に心地よい「愛の言葉」が、一抹の泡として消えて行くその時間には、人それぞれの性格に依って時間差があります。その時間差が大きな悲劇を生んでしまうのです。
  もし、一度、友人知人、親戚、神様の前で、声高らかに永遠の愛を誓いの言葉を宣言した人間が、一生、その言葉通りに、愛を信念に代えて一生守り通せるものならば、世の中に離婚騒動など起こりません。
  愛の感情の泡の消えて行く時間に、差が出来るのも、問題が起きる原因になっています。一人は関係を終わらせたい。だが、その時、相手は、まだ、終わらせたくない。一生愛すると言った。あの約束はどこへ行った??。
  人間の持って生まれた「デタラメさ」。神妙な顔をして、真剣に約束したことをあたかも無かったことにしたい。その「いい加減さ」。それが人間なのです。
  一つの真剣な恋愛が終わるたびに、人は、人間学の一つの単位を修得します。でも、こうも考えられるんです。 一時でも、愛されたことがある。純粋な愛を受け止めたことがある。それを大事にしまっておこう。それだけでも、人生では、輝ける宝石のような経験なのです。見なさい。それすら、気づかないで通り過ぎて行く「いい性格の人たち」がおります。 それに比べれば、あなたは今回、つらい目には遭いましたが、一回り大きな人間になれました。 では、次の経験学習のコ―スに進むことに致しましょう。次回また;会いましょう。
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あなたは、「純愛」を得た珍しく幸せな方です。また、一歩進んで「合理的恋愛」のお話をすることに致しましょう。
では又。次回お目に掛かりましょう。  津島ぜんじん