裁判員制度における初の死刑判決 | シマのブログ

裁判員制度における初の死刑判決

とうとう裁判員制度においてはじめての「死刑判決」が横浜地裁において一昨日16日に出ました。いつかはその時がやってくるだろうとは思っていましたが、現実に成立してしまうと、深く考えさせられてしまいます。今次の裁判員の精神的負担は大きなものであるのはもちろんですが、これから裁判員を担う人にとってこの判決が負いきれない重圧となる恐れがあります。殺人罪などの重要犯罪を担当させられるわけであるから、「死刑」がハードルとして目の前に意識されるはずです。

加えて裁判員は法律的な訓練は受けてないので、いくら裁判官によるサポートがあったとしても、担当する人選によって判決が左右される、ということもあり得る筈です。その判決を原告及び被告が理不尽であると思うこともあるでしょう。裁判員はそのときの一回限りであるのに対して、裁判官は日常の業務として対処しているのだから、判決の基準はほぼ固定しているはずです。それこそがわたし達が、たとえ少し変だと思うことはあるにしても、納得する強制力の所以になっていると思われます。それに充分にサポートできる裁判官であるならば、国民の民意を把握しているはずです。やはりこの制度は悪法である、という思いがますます募ります。世の中には真摯な人ばかりではありません。

11月17日の読売新聞によりますと、
引用
朝山芳史裁判長は、判決を終えて閉廷する直前、被告に対し「控訴を薦めます」と異例の付言をした。被告は公判中に「どんな刑にも服する」と発言しており、自分たちだけの判断で死刑を確定したくないという裁判員の意向を受けたものだった可能性もある。
「協議を重ねて出した結論には責任を持つべきだ」と、付言に批判的な検察幹部もいるが、安広氏は「裁判員にとっては控訴審の存在が負担の軽減になる。同様の言及は今後もありうるのではないか」と推測する。
引用終わり
さてわたし達はかような発言をする司法側にどのように接するべきか。唯一の意思表示は、衆議院議員選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査という場しかありません。