第106審/生命の値段⑮
秘書の池尾に罪をかぶらせる作戦でいた白栖と相楽弁護士だったが、九条の介入により、池尾はこころがわりをしてしまった。そこで相楽は、九条が反社ばかり相手にする信用ならない弁護士であることを伝え、じぶんは信用できるということを示す。スマホでカウンターを表示し、1秒ごとに支払う金額が減っていくというパフォーマンスをしたのだった。あの行為の要諦は、いま時間と自由を奪われているということを池尾に自覚させるところにあった。いま進行しているこの「時間」には値段がついている。無意味に自由を奪われるのでなく、その不自由に値段をつけたほうがよいのではないかと、こういうはなしだ。
あの場で池尾に回答を迫っていた感じだが、けっきょくこたえは出なかったのかもしれない。としたら0円になってしまっているはずだが、そこのところはどうしたのかな。とにかく、白栖に結果を聞かれた相楽は、確実に罪をかぶるだろうと、確信はありつつも池尾からたしかな回答が得られたふうではないこたえをしている。そんなふうにすぐ金で願える弱者が嫌いだと、相楽はひとりごとだ。
池尾は、今度は蔵人による取調べだ。カンモクしていれば最大20日までしか勾留できない、という九条の助言通り、池尾はがんばって沈黙を貫いている。蔵人は問い詰めたり人格攻撃をするタイプではないようで、楽しいおしゃべりをしようと持ちかける。ガサ入れした日、池尾の机にはカップラーメンがあったが、それがしょうゆ味だったのはなぜかと、戸惑う問いかけだ。おいしいものはいろいろある、なぜスタンダードなしょうゆ味なのかと。その前に蔵人はカップラーメンなんか食べないだろうと池尾はいうが、九条とよく似ているというか、蔵人は好きらしい。カレー味の残り汁にチャーハンおにぎりいれて粉チーズをかけるそうだ。なにそれ超おいしそう。
池尾は、じぶんはアンパイを選ぶ人生だった、だからスタンダードなものを選んでしまうのだという。その日のランチも鮭と梅のおにぎりだったらしい。電子マネーで病院のなかで買ったから、金の流れを調べている蔵人にはわかるのだ。それ以上に、池尾の行動原理を理解するためでもあるという。
蔵人が表情を変えて本題に戻る。白栖は池尾が独自の判断で不正受給をしたといっているが、梅のおにぎりで昼食を済ませる池尾がそんなタマにはおもえないわけである。池尾は、相楽からの1億円の提案に目がくらんだという。これをいうのはわりと大きい気もするが、蔵人はそこには特に言及しない。とにかく、池尾は相楽の申し出を受けないつもりのようだ。その前に九条に諭されていたから。不正が蔓延する会社からいいサービスは出てこない。病院の名前をかえて、役員を全員クビにしないといけないと。烏丸が引き継ぐ。まず法的観点から役員の刷新、新体制を築く。その対応は可能だと烏丸はいう。経営面では正孝の評価と実力を活かす。保険外診療も含めた高度医療サービスも実現させ、富裕層の誘致を行う。グループ展開まで視野にいれているらしい。そのとき、池尾はいまよりもっと重要な人物になる。なんかいつものふたりじゃないみたいだな。だが、それもこれも依頼人のためだ。弁護士は必ず依頼人の代理だと九条はいう。だから、依頼人の不利益はつぶす。転じて利益を求めるということだろう。
池尾は、泥舟に執着していたと蔵人に語る。次は新しいカップ麺を試すのだ。蔵人の取調べはある意味成功したのかもしれない。
そしてニュース。病院の態勢が一新する。正孝とはどうやって話し合ったのか、そのあたりはよくわからないが、射場がうまく動いているのかもしれない。病院の価値を上げるというのは、壬生の意志でもあるからだ。
だが、ニュースを受けた九条と烏丸の反応はきわめて謎めいたものだ。池尾はカンモクを貫いたという。目の前の金ではなく未来にかけた。そこまではいいが、九条はそこに、あと一手で詰みだという、謎の言葉を付け加えるのだった。
つづく
詰みって、白栖がってことなのかな。今回の病院刷新のはなしは、不正受給とは別ラインのはなしだ。病院がそうなる以上、もう池尾は白栖側のおもうとおりには動かない。とすれば白栖の最終手段もなくなってしまったわけである。白栖が退場し、正孝を中心にして病院が新しくなる状況は、九条、壬生の両者の望むところでもある。だが、壬生の計画は、不正受給等で信頼を失ったダメ病院を最安値で買い叩いて、それを最高の病院に仕上げたところで売る、というものだった。この「買い叩く」が、まだできていないうちに、きわめてポジティブな、イメージ刷新のニュースが流れてしまっている状況である。壬生は渋い顔をしているのではないか。いや、複雑すぎてよくわからないけど・・・。
一般に、弁護人が経営に口出しをするようなことがあるのかどうかはよくわからないが、今回、池尾が諭されたという九条の「代理」という言葉からは、ふつうに考えられる法律の専門家としての代理人としての意識を超えたものが感じられる。考えてみればそれも一理あるもので、依頼人はいま不自由な状況になるのだから、経営に限らず、依頼人の利益を守ろうと動くのは自然なことかもしれない。ただ、そこには越権行為というものがあるだろうとはおもう。そのたりのことはよくわからない。ここで問題とされるべきなのは九条の意識のほうだろう。
ふつうに考えられる本人‐代理人の関係というのは、時間的制約や専門的知識の多寡の差から、本人が実現し得ないことを代理人が変わって行うという状況だろう。弁護士は、ふつうの市民が身につけることの困難な法的知識と経験でもって、本人だけでは実現し得ないことをなしとげる。だから、まずは法的観点からの助言が最初に行うこととなる。だが九条の意識は、自由を奪われている状況の依頼人(本人)の利益ぜんたいを考慮するものなのだ。だから不似合いにもみえる経営のはなしなどもし始める。なぜかというと、いま生じている依頼人の不自由が、法律に基づいたものだからだろう。依頼人が、法的に不自由を課されている。その状況における法律の専門家としての九条は、ほんらいなら可能だった、もしくはまた別に代理人を立てるなりして実現できたことをぜんたいを、フォローしようとするのである。だからこそ、笠置雫の面倒を最後までみるようなことになるのである。これはそれほど不自然なはなしでもないのだ。依頼人にとって不案内な世界である法的実務をかわりにやるのが弁護士であることはまちがいないだろう。しかし法的事情で拘束されているものにとっては、そのものの行動全般を支援しなければならない。なぜなら、その不自由は法律によって生じているからだ。九条はこういう思考法でいるようにみえる。
といっても、どうもはなしはそれで終わらないっぽいので、九条がどういうつもりで経営のはなしなどはじめたのかは、しばらく見てみないとわからないかもしれない。でもいまは烏丸もついてるし、そんな悪いはなしでもないような気もするけど。
カンモクパイについては、なんだかよくわからない。事実としては、池尾はカンモクしていない。カンモクしていたらあの病院再編にいたるというようなはなしでもないだろう。ただ、よけいなことをいったわけでもないのかもしれない。この点では、九条と蔵人の意向は一致していたともいえる。つまり、池尾に罪をかぶせることなく、しっかり白栖の責任を追及するということだ。それは兄弟双方の望むところなのだ。つまり、ここでは、相楽の誘いにのって自白してしまわないことがカンモクだったのだろう。
蔵人の取調べがあのようなものになったのも、やはり目的が池尾に罪を認めさせることではなく、白栖の罪を暴くことだったからだろう。蔵人は、九条的にいえば、見えないものは存在しないといったタイプだ。しかし、同時に検事らしい正義感のようなものは強くあるタイプでもある。その視野が九条と比べると狭く、融通がきかないというだけのことなのだ。
蔵人には池尾というものは理解できない。世界は理解できないものであふれている。だが、彼は法律家的に「書かれてあるもの」として世界を認識するものである。だから、行動原理を理解しようとしたのだ。九条は、理解できないものを、ただ受け容れるだろう。理解する必要はない。ただ、存在していることを容れればそれでよい。しかし真実を探究する検事としての蔵人はそれを望まない。他者とは、記述可能なものとして発見しなければならないものなのだ。それが、今回に限ってはということだが、よい方向に働いたということなのだろう。
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