『読んじゃいなよ!』高橋源一郎 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『読んじゃいないよ!』高橋源一郎 岩波新書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「四の五のいう前に、ともかく新書に挑んでみた! 「お説ごもっとも」じゃつまらない。いっそ著者にも疑問をぶつけちゃえ──鷲田清一、長谷部恭男、伊藤比呂美の各氏も交え、稀代の読み手がファシリテーターとなって学生とトコトン読み込んだ二年間の記録。「こんなに手のかかった本もないけど、すこぶる面白い!」(編者談) 」Anazon商品説明より

 

 

 

 

 

 

 

明治学院大学の高橋ゼミにおいて、岩波新書を読み進める、その企画の最終段階のようなものとして、いっそ著者を招いてはなしをきいてしまおうというようにしてつくられた本。正直いうと、高橋源一郎読者として購入したというだけで、イロモノだろうとおもっていたぶぶんもないわけではなかったのだが、これが非常におもしろい本だった。ほんとうにすばらしかった。こんなに本を読みたくなる本もなかなかないだろう。僕はゼミに行くようになる感じの前に大学を辞めてしまったから、ゼミというものがどういうものかよく知らないのだが・・・。そもそも、みんながどこでどうやってゼミを決めたのかさえ知らない・・・というのは大袈裟で、よくよく考えるとなにかそんなような会話がまわりでされていて、じぶんもなにかを選んだような記憶もあるのだが、それ以上、さっぱり、なんにも記憶が出てこないので、たぶん心理的に抑圧されているのだろう。こんな授業があったらちゃんと学校行っちゃうなあ。二日酔いだとか三日寝てないとか、そういういまおもえばマヌケな言い訳なしで。まあ、理系だったから、少なくとも岩波新書を読もう、なんて企画は絶対なかったとおもうが。

ゲストとして呼ばれているのは、哲学者の鷲田清一、憲法学者の長谷部恭男、詩人の伊藤比呂美の3名。いったい、なんというメンバーなのだろうか。この3人が集まっているわけではなく、それぞれに時間を設けて、専門分野について(哲学、憲法、詩と人生)語ってもらう、また質問に応えてもらうということなのだが、ひとりの人間の企画で、1冊の本にまとめあげるしかたで、果たしてこの3名が集中することはありえるだろうか。高橋源一郎と内田樹は交流している人物に重複が多いので、あるいは似たようなこともできるかもしれないが、しかしやはり伊藤比呂美というのはいかにも高橋源一郎らしい関係性だし、秘密保護法にかんして、高橋源一郎をはじめとしたリベラルの側がいっせいに反対するなかで、理路整然とそれに賛成していた長谷部恭男を学者的に「実にカッコイイ」として授業に呼んでしまうのも、この作家ならではのスタンスである。

 

 

 

 

個々のはなしを読めば、それはそれは、とにかく勉強になる。また、高橋ゼミに集うような若者を相手にしていることであるし、質問も彼らがしているので、素人にとってみればかゆいところに手が届くような質問がよくされるのだ。鷲田清一も長谷部恭男も、あるいはじぶんで考えているほどには不親切な書き手ではなく、むしろ初心者にも読めるものを多く書いてくださる専門家である。しかし、とはいえ、たぶんその道のひとからしたら馬鹿みたいな疑問も、素人は抱えてしまうものだ。それが、新書の著者を前にしてぶつけられる。高橋ゼミにはそれが可能になる空気があるのである。とりわけ長谷部恭男の章は、ばしばし「素朴」な質問が出るので、スリリングでおもしろい。たとえば、長谷部恭男がよく引くことで、ルソーによれば戦争とは相手国の憲法、社会契約を書き換える行為だということがある。しかしわたしたちの戦争というものにかんするイメージと実感覚からすると、やはり領土とかそういうものを奪うものというふうにおもわれる。それは、いわれてみるとたしかにそういう感覚はあるのだ。自衛隊が合憲か違憲かというようなはなしも、ここまでくだけて、わかりやすく、もちろん口語で長谷部恭男が語ったことはかつてなかったのではないか。とりあえず僕は本書でそのあたりの長谷部理論をはじめて完全に理解できたとおもう。

 

 

ぜんたいにかんしていえば、いまの若者たちがじっさいに抱えている不安や、あるいは不満について書かれているととらえることも可能だ。安定性を欠いた、未来に不安しかないような社会に出て行かなくてはならないような状況にある彼らが、じっさいになにを考えているのか、また、当事者的な目線でいって、いったいどうやって生きていけばいいのか、質問それじたいがリアルな記録になっている。それはもちろん若者以外にとっても無関係ではない。とりわけ最後の伊藤比呂美は人生相談という枠でやっているので、そういう感じが強いけど、哲学、憲法学にかんしても実は同様である。哲学は、ものの考え方、についての考え方を探究することなのだし、憲法学は憲法とはなにか、どういうふうに私たちの生活にかかわっているのか、また現実に生じる問題にかんしてどのような視点をもてばよいのか、そういうことを教えてくれるのである。

 

 

三者の長い講義以外に、付録も充実している。高橋源一郎のまえがきや紹介文などは当然含まれているし、あいまに「私と岩波新書」という、ゼミ生によるさまざまな岩波新書の紹介もはさまれる。書評ブログでも読むような気軽さでいろいろな本が発見できるのである。岩波新書をタイトルだけで選んでグループわけした「岩波新書で遊ぶ」の企画もくだらなくておもしろい。本書がイロモノになっていないのは、むろん招かれた特別講師の迫力もあるけれど、やはり高橋ゼミが授業のありかたとして優れているのだとおもう。少なくとも学びということにかんして、本を読むときには、この空気の感じを忘れないようにしていきたいなあ。